平成上皇がまだ皇太子の頃、「1400年ぶりに外国人教師についた」という表現を見かけたことがあります。平成上皇が教わった外国人教師とはバイニング夫人であり、1400年前には聖徳太子(厩戸皇子)が高句麗の僧・恵慈に教えを受けています。
外国人教師と皇太子には更に古い例があり、応神天皇が百済から渡来した阿直岐と王仁を菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の教師としたと言われます。聖徳太子も菟道稚郎子も皇位につかなかった人物です。
聖徳太子が「日出る処の天子」の国書で隋の煬帝を怒らせたことは有名ですが、菟道稚郎子は高句麗王の上表文が無礼であるとして、表を破ったと日本書紀に書かれています。当時の倭国は高句麗と激しく争ったことが朝鮮や中国の史料から明らかですが、日本書紀ではすべて(後の時代に強大化した)新羅との争いに置き換えられ、上表文の事件が残るのみです。
日本と朝鮮・韓国との不幸な確執は今も続いています。
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