2017年04月

転生のしるし「左脇腹の三つの黒子」は『豊饒の海』では大事な役割を持っていますが、三つの黒子は三角形でしょうか。それとも一列に並んでいるのでしょうか。
黒子の描写が最初に現れるのは『春の雪』五で、松枝清顕の黒子は「あたかも唐鋤星のように」と書いてあります。唐鋤星はオリオン座の三つ星のことで、これを見ると三つの黒子は一列に並んでいると考えられます。
三十二で、本多繁邦が初めて清顕の黒子を見る場面では、三つの黒子は「集まっている」と表現されているだけです。
『奔馬』五で、本多が飯沼勲の黒子を見て驚く場面でも「集まっている」という表現です。
『暁の寺』十で、本多が月光姫を思い出す場面では「三つ星の黒子がなかった」となっています。三つ星といえばオリオン座の三つ星でしょう。ここからは、勲の黒子も一列に並んでいたことが分かります。
四十四で本多が月光姫(おそらく双子の姉)と久松慶子の同性愛を覗く場面では「昴(すばる)を思わせる」三つの黒子と書かれています。昴はおうし座のプレアデス星団ですが、すばるは肉眼では六つの星が見えますから、この表現は奇妙です。三島由紀夫はわざと奇妙な比喩を使って、ここに登場する月光姫が本物ではなく、姉と入れ替わったことを暗示したのでしょうか。それとも深い意味はないのでしょうか。
『天人五衰』六では安永透の黒子が「昴の星のように」と表現されています。
二十七では慶子が本多透に向かって「あなたの左の脇に三つ並んだ黒子」と言っています。ここで決定的な表現が出てきました。星の名を使った比喩でなく、はっきり「並んだ」と書いてある。これを「昴の星のように」とも書いた三島は、透がニセモノであると暗示したのでしょうか。そんな気がします。
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5月3日に追加
『暁の寺』三十六を読み落としていました。本多繁邦が志村克己に月光姫の黒子を見たかと問う場面で、本多は「三つ、それこそ人工的な位いみごとに並んだ黒子」と言っています。
これは完全にオリオン座の三つ星です。昴ではありません。

『暁の寺』の最後で亡くなったジン・ジャン(月光姫)が日本人に転生したことは間違いないと思われます。では、誰に転生したのでしょうか。安永透は、やはりニセモノなのでしょうか。
ジン・ジャンは日本に帰ることを望んでいましたが、男に生まれ変わることを望んでいた様子はありません。そもそも飯沼勲がジン・ジャンという女性に転生したのは、勲が女に生まれ変わることを望んだためでした。ここから考えると、ジン・ジャンは日本人の女性に転生したと考えるのが自然なように思われます。
そこで浮かび上がるのは『天人五衰』の最後で、月修寺門跡(綾倉聡子)と共に現れる「若い御附弟」です。『春の雪』では聡子は月修寺の御附弟でした。『奔馬』で本多繁邦は松枝清顕の転生を知った夜、この転生を月修寺門跡となった聡子に知らせようかと迷いましたが、自分が駆け回らなくても聡子が生まれ変わった清顕と会う機会は来るだろう、と考え直しました。
安永透は何者でしょうか。どうもジン・ジャンの双子の姉と同じ役回りのような気がします。透は両親を早く失った孤児で貧しい伯父に育てられたとあり、双子だったとは書かれていませんが、想像の余地はありそうです。
繁邦の養子となった本多透はある雪の日に、黒いベレー帽の老人が野菜屑や女の鬘を落とすのを目撃します。この日はおそらく月修寺で御附弟が剃髪した日で、透はそれを幻に見たのではないでしょうか。
月修寺を訪れた本多は聡子との不思議な対面を終えて、聡子と御附弟についてゆきますが、最後は聡子も背景に退いて御附弟と本多だけになり、「何もない庭」を見つめます。これは『春の雪』冒頭の清顕と本多の会話、セピア色の写真に対応するようです。
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『春の雪』の松枝清顕、『奔馬』の飯沼勲については、その最期の様子は詳しく描かれています。
ところが『暁の寺』のジン・ジャン(月光姫)の最期の記述は、あまりに短くそっけないものです。三島はこれで十分と考えたのでしょうか。
松枝清顕は月修寺で出家した綾倉聡子との再会を果たせず亡くなる前、本多繁邦に次のように言い残しました。
「又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」
それから18年後、本多は三輪山の三光の滝の下で、清顕と同じように脇腹に三つの黒子を持つ若者・飯沼勲に出会いました。
その勲は蔵原武介暗殺に向かう前、本多の前で不思議な寝言を言いました。
「ずっと南だ。ずっと暑い。南の国の薔薇の光りの中で」
勲はその前、母みねに向かってこんなことも言いました。
「そうだ、女に生れ変ったらいいかもしれません。女なら、幻など追わんで生きられるでしょう」
それから8年後、本多はタイのバンコクでジン・ジャンに出会ったのです。
幼いジン・ジャンが祖母スナンター妃の肖像画の前で本多に語った言葉は、彼女の最期の真相を知る手掛かりになりそうです。
「私は体だけをこのスナンター妃から受けついだの。心は日本から来たのですから、本当なら、体をここへ残してゆき、心だけ日本へ戻ればよいと思う」
それから11年後に来日したジン・ジャンは前世の記憶を失っていました。おそらく双子の姉と二人で本多を翻弄したあげく、御殿場の火事の後まもなく帰国し、バンコクの邸で花に囲まれて怠けて暮らしました。
20歳の春のある日、ジン・ジャンは一人で庭に出ていました。部屋に残っていた侍女は、彼女が澄んだ幼い声で一人で笑っているのを聴いて不審に思いましたが、それが悲鳴に変わり、侍女が駆けつけるとジン・ジャンはコブラに腿を咬まれていました。
ここから想像されるのは、このときジン・ジャンは前世の記憶を取り戻し、コブラに話しかけていたのではないかということです。サン・テグジュペリの『星の王子さま』を思い出させる場面です。
コブラに咬まれて死んだ後、ジン・ジャンの魂は孔雀となって日本へ飛んでいったのかもしれません。
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『豊饒の海』の最初の二巻『春の雪』『奔馬』は比較的分かりやすく、主人公の松枝清顕と飯沼勲も好一対をなしていますが、第三巻『暁の寺』から錯綜してきます。
『奔馬』の最後で蔵原武介を暗殺して自害した飯沼勲がタイの王女ジン・ジャン(月光姫)に転生しますが、ジン・ジャンは主人公とは呼べず、本多繁邦が主人公のような扱いになります。
1941年にタイを訪れた本多と会う7歳のジン・ジャンは前世で世話になった本多を覚えており、飯沼勲が逮捕された年月日を正確に西暦で答えて本多を驚かせます。しかし彼女の左の脇腹には、転生のしるし「三つの黒子」はありませんでした。
戦後、1952年に18歳で来日したジン・ジャンは本多に会いますが、前世の記憶は消えてしまっていました。妻がいながら彼女の魅力にひかれた本多は、ついに御殿場の別荘のプールにジン・ジャンを呼ぶことに成功し、その脇腹に黒子が無いことを確かめました。
ところがその夜、ジン・ジャンが久松慶子と同性愛に耽っているのを覗いていた本多は、左の脇腹に三つの黒子を見出だして驚愕します。そして覗きをしていたのを妻に見つかってしまいましたが、間もなく別荘は火事になり、四人は助かりますが別の二人は焼死しました。
その後ジン・ジャンはタイに帰国して連絡は途絶えます。15年後に本多は米国大使館の晩餐でジン・ジャンによく似た女性に会いましたが、彼女はジン・ジャンの双子の姉で、ジン・ジャンは1954年に亡くなっていたことを知らされました。
さて、ジン・ジャンに黒子は有ったのか、無かったのか。プールで見たときは無かったのに覗きをしたときに有ったというのは、本多が見間違えたのではないかとも考えられます。この「見間違い」を根拠に『豊饒の海』全巻が本多の脳内幻想に過ぎなかったとする見方まであるようです。
しかし、私はこの見方に賛成できません。全てが幻想であったならば、たとえば幼いジン・ジャンが西暦年月日を正確に答えたことなどをどう説明するのでしょうか。
本多の見間違い以外の可能性として、双子の姉の存在が考えられます。姉も密かに来日していて、ときどき入れ替わっていた。そして姉には三つの黒子が有ったのではないでしょうか。
『暁の寺』の中で、今西と椿原夫人(別荘の火事で焼死した二人)が「黒いレースのブラジャー」を渋谷で拾う場面があります。この下着はジン・ジャン姉妹どちらかのものだったように思われます。
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三島由紀夫の遺作『豊饒の海』は『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の四巻から成り、謎の多い小説ですが、気になったことを少しずつ書いていこうと思います。
まず、『天人五衰』に二度登場する「黒いベレー帽の老人」を取り上げます。
一度目は本多透の手記で、雪の日に老人が本多邸の門前で野菜屑と黒い鳥の死骸を落とし、透がよく見ると黒い鳥の死骸は女の鬘のように見えたというもの。
二度目は本多繁邦が神宮外苑で覗きをしていた夜、覗かれていた老人が突然ナイフで女を刺して逃走し、繁邦が危うく犯人に間違われかけたというものです。
ウィキペディアを読むと、この老人が誰であるかは不明であるが、ヒッチコック監督の映画に監督自身が出演したように、作者の三島由紀夫自身であるという見解があるようです。ただ、この説だと年齢が合いません。小説の設定では一度目は1972年、二度目は1974年なので、三島が生き延びたとしても四十代後半です。二度目の老人は「六十代」と明記されています。
それでは、この老人は誰でしょうか。
私は『春の雪』の初めに出てくる「滝に落ちていた黒い犬」ではないかと思います。月修寺の門跡に弔われた後、松枝清顕の母・都志子は「何という果報な犬でございましょう。きっと来世は人間に生れ変ることでございましょうよ」と言いました。
老人は犬のように残飯をあさり、犬が噛みつくように女をナイフで襲います。つまらない人物ではありますが、前世からの因縁で本多繁邦や綾倉聡子の人生に関わったものと思われます。年齢も矛盾しません。
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