2017年05月

『春の雪』でシャム(タイ)の王子パッタナディド殿下(ジャオ・ピー)が従妹で恋人の月光姫(初代)から贈られたエメラルドの指環は、『豊饒の海』で大きな役割を果たしています。
学習院でジャオ・ピーが指環を紛失するのは、初代月光姫の死の伏線になっているし、『暁の寺』第二部で本多繁邦が指環を見つけ出すのは、二代目の月光姫(ジン・ジャン)が来日する伏線のようです。
御殿場の火事でジン・ジャンが指環を持ち出さなかったのも、二年後の死の伏線と見られます。このとき逃げたのは双生児の姉と思われ、妹のジン・ジャンが指環を無事に持っていたことも考えられますが、こうした全体の流れを見ると、やはり火事で焼けてしまったと見るのが良さそうです。
ところで、二代目のジン・ジャンは本多から指環を贈られて、どう思ったのでしょうか。初代月光姫がエメラルドの指環をジャオ・ピーに贈ったのは、ジャオ・ピーが五月生まれで、その誕生石がエメラルドだったからでした。
ところが二代目のジン・ジャンは1933年12月29日に死んだ飯沼勲の転生ですから、1934年の1月か2月の生まれで、誕生石はガーネットかアメジストです。いくら父のものだったと言われても、ジン・ジャンは戸惑ったのではないでしょうか。しかも指環を贈られたとき、ジン・ジャンは本当にわかって聴いていないようなのです。
本多はやはりタイに行って、指環をジャオ・ピーに直に返すべきであったと、私は思います。
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『飯沼勲も感情の戦場で死んだのか』で私は、勲が佐和から鬼頭槇子の(飯沼茂之への)密告を知らされて驚いたと書きましたが、『奔馬』を読み返して、勲は獄中ですべてを想像していたことを知りました。
三十五で勲は、自分に届けられた槇子の手紙を読んで、槇子が自分の入獄を楽しんでいるのではないかと思い、「俄かに猛って、手紙を破り捨てたいと思うことさえあった」のでした。それなら(事実上の)密告者が槇子であることは論理的に導かれそうですが、勲はそこまで考えまいとします。それでも「叢を掻き分けて行ってついに白骨に出逢うように」「誘蛾燈へいざなわれる蛾が、見まいとしても燈火のほうへ目が向くように」恐ろしいもの、不吉な観念に心が傾きます。釈放後に聞いた佐和の言葉は勲の目を「白骨」「燈火」へ向けさせたのでした。
獄中で勲は心をよそへ向け、志を固めようと、井上哲次郎の『日本陽明学派の哲学』を読み、大塩平八郎中斎の思想に触れます。平八郎の「太虚」の思想は仏教の涅槃(ねはん)に似ており「心すでに太虚に帰すれば、身死すといへども滅びざるものあり。身の死するを恐れず、ただ心の死するを恐るるなり」というものでした。これは勲の暗殺と自刃の伏線であるとともに『暁の寺』『天人五衰』への伏線にもなっていると思われます。
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『暁の寺』二十八で本多繁邦は、今西康から贈られた『本朝文粋』を読みます。その中の『富士山の記』で、都良香は貞観17年11月5日(西暦875年12月6日)の富士山の様子を記しています。
「天甚だ美く晴る。仰ぎて山の峯を観るに、白衣の美女二人有り、山の巓(いただき)の上に双び舞ふ」
晴れた日に富士山頂の雪煙が二人の美女の形に見えたというのですが、『暁の寺』ではこの「美女二人」は誰に当たるのでしょうか。
この場面に出てくる女性は四人います。梨枝(本多の妻)、久松慶子、鬼頭槇子、椿原夫人です。このうち、梨枝は除外してよいでしょう。残る三人のうち、一番ふさわしそうなのは槇子です。二十七で本多は槇子の白っぽい寝間着、白銀の髪、白い顔を見て「月夜の富士を望むような心地」になっているからです。そうなるともう一人は椿原夫人ということになります。ただ、この二人は踊りそうには見えませんが。
範囲を『暁の寺』全体に広げて考えると、慶子とジン・ジャンの同性愛も該当するかもしれません。私はむしろ、ジン・ジャンと双生児の姉を当てたいと思います。ジン・ジャンは踊りは上手いですが「白衣」はそぐわないような気もします。
『豊饒の海』全体まで広げると、『天人五衰』の最後で本多は月修寺に行き「白衣の美女二人」に会うことになります。
「白衣の御附弟に手を引かれて、門跡の老尼が現われた。白衣に濃紫の被布を着て、青やかな頭をしたこの人が、八十三歳になる筈の聡子であった」
本多は聡子を見て「あのときの若い美しさが木蔭の顔なら、今の老いの美しさは日向の顔だ」と思いますが、若い御附弟も「木蔭の顔」をしていたでしょう。
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『天人五衰』で不思議に思われることは、鬼頭槇子が全く登場しないことです。『暁の寺』最後近くで、槇子は(椿原夫人ではない)弟子を連れてヨーロッパに出かけますが、どうなってしまったのでしょうか。
そのままヨーロッパに移住したのかとも考えられますが、それなら本多繁邦と久松慶子の旅行で再会の場面がありそうな気がします。死んだとは書かれていませんが、誰かに転生している可能性も考えられます。
気になるのは、『暁の寺』二十七の次の文章です。
「性こそちがえ、槇子が自分と全く同じ人種に属するのを本多は覚った」
これは『天人五衰』で安永透について「内面は能うかぎり本多に似ていた」などと書かれているのを思わせます。十四では透の前世が女性であったことが示唆されていて、これとも矛盾しません。
特に注目したいのは「本多透の手記」で黒いベレー帽の老人が現れ、女の鬘のようなものを落とす場面です。私はこの場面はジン・ジャンが転生した月修寺の御附弟の剃髪を暗示すると見ますが、御附弟は飯沼勲の転生でもあるので、槇子の転生である透がその剃髪を幻視する根拠が出てきます。
私は以前、御附弟と透が双生児だった可能性に言及しましたが、それは撤回したいと思います。『暁の寺』第一部の幼いジン・ジャンの次の発言から分かるように、『豊饒の海』では双生児の精神的なつながりは認めていないと思われるからです。
「お姉様は心も体もタイ人だし、私みたいに本当は日本人だというのとはちがうの」
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『暁の寺』では飯沼勲の死を行為の戦死としていますが、『奔馬』の最後をよく読むと、勲も実は「感情の戦死」だったのではないかと思われてきます。
本多繁邦の弁護によって「刑の免除」(無罪ではない)の判決を得て釈放された勲は、1年前に昭和神風連の計画が露見して逮捕された経緯を知ることになります。
勲は自分を警察に密告したのが父の飯沼茂之だと知っても、別に驚きもしませんが、自分たちの計画を父に知らせたのは誰なのかと疑問を持ちます。勲から訊かれた茂之は言葉を濁し、はっきり答えません。勲は年長の同志である佐和に問い質し、それが恋人の鬼頭槇子だと知って愕然とします。
『春の雪』の綾倉聡子は松枝清顕より二つ年上で姉弟のように育ちましたが、槇子は勲より十歳以上も離れており、姉弟というより母子のようだったと考えられます。佐和は槇子を「怖ろしい女」「危険な女」と言い、槇子は勲が牢屋にいるのを喜んでいたのだと告げます。牢屋にいれば浮気ができないからです。実際、槇子は勲の釈放を祝う宴に来ませんでした。
その2日後、勲は一人で熱海に向かい、財界の大物である蔵原武介を暗殺して自刃します。勲は蔵原に「伊勢神宮で犯した不敬の神罰を受けろ」と言いました。これは蔵原が玉串をお尻に敷いてしまった事件を指しますが、勲は「殺すほどのことではない」と思っていたのです。やはり心境の変化があったようです。
チームぼそっとさんが書いておられるように、三島由紀夫の自刃は母への復讐だったという見方があります。これは卓見で、彼の憂国の心情が嘘とは思われませんが、個人的にはおそらく当たっています。それが『奔馬』の勲と槇子の関係に反映しているように思います。
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同日追加
『暁の寺』第二部。本多は富士浅間神社で槇子を見ながら考えました。
「この変転する目で恋された勲は、ともすると、この目に殺されたのかもしれなかった」

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