『春の雪』で松枝清顕から綾倉聡子との禁断の恋を打ち明けられた本多繁邦は、なぜか日露戦争の写真を思い浮かべます。その理由を本多は清顕に向かって、次のように説明しています。
「行為の戦争がおわってから、その代りに、今、感情の戦争の時代がはじまったんだ。(中略)行為の戦場と同じように、やはり若い者が、その感情の戦場で戦死してゆくのだと思う」
『暁の寺』第一部にも、清顕と飯沼勲の死が対照的であったことが書かれています。
「そのむかし感情の戦場に死んだ清顕の時代と事かわり、ふたたび青年が本当の行為の戦場に死ぬべき時代が迫っていた。その魁(さきがけ)が勲の死だった」
すでに中年から老年にさしかかっていた弁護士の本多は行為の戦場に出ることは無く、精神世界に没頭してその時代を過ごします。
戦後になって、また感情の戦争がはじまったのでしょうか。これは微妙な気がします。
ジン・ジャンの死は望郷の感情がもたらしたと考えられますし、椿原夫人の死は(行為の)戦争で死んだ息子を思う感情によるのでしょうが、今西康の死は違うようです。今西の死は自ら脳内につくりあげた「柘榴(ざくろ)の国」を滅ぼしたのに続くものに過ぎず、夫人に対しても深い感情は無いように見えます。本多透の自殺未遂も違う感じです。
本多繁邦は、聡子というよりは清顕への友情に最後は殉じるように思われます。作者の三島由紀夫は時代に逆らい、勲と同じような行為の戦死を選びました。死後47年経った現在の状況はどうでしょうか。思いは尽きません。
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