昨日のチームぼそっとさんのコメントにもありましたが、三島由紀夫は友人の坊城俊民氏に「五十になったら、定家を書こうと思います」と言っていました。三島はさらに続けて「定家はみずから神になったのですよ。それを書こうと思います」と言いました。
これについて小室直樹氏は『三島由紀夫と「天皇」』で、能の「定家」と関連させて次のように解説しています。
「仮面劇の能だが、仮面をつけるのがシテ(主役)である。シテは、神もしくは亡霊である。(中略)現代では、生の世界と死の世界は、隔絶したものにとらえられている。だが、かつて(中世)は、死者は生の世界にも立ち入っていた」
神と言ってもキリスト教のGodではなく、あくまで日本的なカミのようです。
三島は「みずから神になった」定家を書くことなく、みずから神になることを選んでしまいました。
小室氏は「何が目的で三島は死の世界を選んだのだろうか」と問い、「より深い行動の意味は、さらに別にある。残念ながら、歯切れ悪くならざるを得ない理由があって具体的に示せない」と思わせ振りに書いていますが、今となっては分かりません。
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