2017年06月

『豊饒の海』各巻の主人公の寿命が20歳であることについては、例えば伊勢の式年遷宮と結び付ける見方もありますが、『仮面の告白』に手掛かりがあります。
三島由紀夫は子供の頃は身体が弱く、友人たちにからかわれていました。
「二十歳までに君はきっと死ぬよ」
三島は「ひでえことを言いやがる」と思いながらも「奇妙に甘い感傷的な惑溺を、この予言からうけとった」ようです。
「賭をしようか」と畳み掛ける友人に「私」は「僕は、それなら、生きるほうに賭ける他はないじゃないか」と答えます。実に論理的です。
三島の「二十歳」は、また日本の敗戦(終戦)とも重なっています。この二つの理由から、安永透を除く三人の寿命は20歳と設定されたのではないかと思われます。
松枝清顕はよく分かりませんが、飯沼勲は満20歳より少し前、ジン・ジャンは満20歳の少し後に死んでいます。それで本多透は自殺を遂げていたら満20歳で死んだわけですが、未遂に終わったために満21歳になっても生きています。それでも三島は「透が本物かどうかは不明にしている」とテレビで語っていたそうで、気になるところです。
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三島由紀夫の1955年の作品『沈める滝』がなかなか興味深いです。
主人公の城所昇は電力会社会長(すでに他界)の孫のダム設計技師です。彼は幼いころは鉄や石ばかりを相手に過ごし、『天人五衰』の安永透を思わせるような冷たさがあります。しかし小説の筋や主要人物の配置はむしろ『春の雪』に似ています。
ヒロインの菊池顕子は何事にも感動しない(不感症?)の人妻で、昇はそれ故に顕子に引かれ、ダム建設準備の越冬を志願して顕子と人工の愛を作り上げようとします。現場にはなぜか顕子を思い出させる小さな滝があります。
思わぬ事件で心ならずも越冬に加わる瀬山は昇より七つ年上ですが、昔は城所家で書生をしており、松枝清顕と飯沼茂之のような間柄です。
越冬が終わった後、下界に下りると顕子は昇の期待に反して凡庸な女になってしまっていました。顕子は昇の建設現場までついてきますが、瀬山から昇の真意を知らされてしまい、滝の前で自殺します。瀬山は昇にすがりついて泣きます。
顕子の夫・菊池祐次郎は洞院宮の立場ですが、蓼科を思わせる心の持ち主です。彼は顕子が死んでも泣かず、自分の会社の秘書に電話して世間に真相がばれないように指示をします。
五年後に昇は馴染みの酒場の女たちを完成したダムに案内し、「俺の立ってるこの下のところに小さな滝があったんだ」と言います。もちろん顕子のことは口にしません。
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『仮面の告白』には、三島由紀夫がグイド・レーニの「聖セバスチャン」という絵画を偏愛したことが記されています。
聖セバスチャンはキリスト教の殉教者であり、レーニの絵では二本の矢が刺さっています。一本は左の腋の下に、もう一本は右の脇腹です。実はレーニの「聖セバスチャン」は複数あって、腹にもう一本、合計三本の矢が刺さったものもあるようです。
『豊饒の海』の「左の脇腹の黒子」について、私は以前、仏陀が母の右の脇腹から生まれたという伝説との関係を考えましたが、聖セバスチャンの矢から着想されたのかもしれません。三島が後に「切腹」に魅せられていったのも、ここに原点があったとも考えられます。
『天人五衰』で本多透が好きな画家として名前をあげるマンテーニャも「聖セバスチャン」を描いています。マンテーニャの絵では下半身に多くの矢が刺さっていて、さらに残酷な印象を与えます。
透はマンテーニャが好きだと言っているだけで「聖セバスチャン」に特に言及はしていませんが、その絵が好きだったとすれば三島と同様の感覚を持っていたことになります。ただ透の場合はどこまでも「見る側」にとどまり、自分の身体を傷つける願望は無かったのではないでしょうか。透はボディビルに凝ったりはせず、後の自殺未遂でも毒を飲むという方法を使っています。
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『仮面の告白』第二章の「聖セバスチャン(散文詩)」の中に「マッザーロース」という名前が現れます。
「彼は窓辺に立って(中略)かなたの神殿をめぐる森の中空に、マッザーロースの星団が沈むのを見た」
田中美代子の注解によると「Mazzaroth 旧約時代の星座の名」ということですが、分からないので調べてみました。
これは『旧約聖書・ヨブ記』38章32節にありますが、用例が少なく、意味ははっきり解明されていないようです。一般的な訳は「時がくれば銀河を繰り出し、大熊と小熊とともに導き出すことができるか」で「銀河」と訳されていますが、黄道帯、その十二星座をさすとも言われます。
32節はその前の31節からの続きで、31節は「すばるの鎖を引き締め、オリオンの綱を緩めることがお前にできるか」
すばる(昴)はプレアデス星団、オリオンの綱は三つ星のことです。
三島は「マッザーロースの星団」と書いているので、昴のような星団をイメージしているのでしょうか。
一方、昴と三つ星は『豊饒の海』で転生のしるしのような脇腹の黒子の比喩として出てきます。『仮面の告白』と『豊饒の海』のつながりが、ヨブ記を通じて見られるのは面白いと思います。
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『豊饒の海』各巻の章数を見ると、面白いことに気が付きます。
『春の雪』五十五
『奔馬』四十
『暁の寺』四十五
『天人五衰』三十
すべて五の倍数になっています。明らかに意図されたもののように思われます。
三島由紀夫は1925年生まれで、1945年に20歳で終戦(敗戦)を迎えました。昭和の年数がそのまま三島の年齢に等しくなります。これはもちろん三島の意図ではありませんが、不思議な偶然です。1970年(昭和45年)に45歳で自決した理由の一つには、こうした年数の意識があったものと考えられます。
昭和という元号にも、不思議な偶然があります。大正天皇の崩御は1926年12月25日未明で午前0時に遡って改元され、昭和元年は七日間でした。昭和天皇の崩御は1989年1月7日で、翌日午前0時に改元されたので、昭和64年も七日間でした。
昭和天皇は病死ですから意図的ということは有り得ませんが、何か不思議です。64という数は十進法では半端ですが、2の6乗に等しいので二進法ではキリの良い数です。
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