2017年07月

早春の箱根に一人でドライブに出掛けた夏雄は、峠から下る車を運転しながら、こんなことを考えます。
「僕にはスラムプなんか決して来ない。もし描けなかったら、それは自然が悪いのだ」
熱海で車を降りて桜をスケッチしていた夏雄の前に、美術大学の学生と思われる四、五人の男女がやって来ます。彼らは「不自然な無言のまま」通り過ぎますが、一人の女がこう言うのを夏雄はききました。
「あれ、確かに、山形夏雄だわ。売り出したと思って、いい気なもんね」
夏雄は傷つくより先に愕きます。「何一つ悪いことをしないのに、自分の些細な名声が、世間のどこかであの若者たちを傷つけていたという発見」をしたのです。
ここには夏雄と同じように、若くして有名な小説家になった三島由紀夫の体験が反映されているのかもしれません。
東京へ帰ると未知の人から、夏雄の絵が好きだという手紙が届いていました。中橋房江という名前。二、三日してまた同じ人から同じような手紙が来ます。
この伏線は第二部で大きな展開を見せることになります。
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山形夏雄の『落日』は秋の展覧会で評判となり、N新聞社賞なる賞を受け、夏雄は世間的に有名になります。たくさんの人に会ったり話をしたりしますが、彼はすぐに飽きてしまいます。
夏雄は小学校に入る前に、欧州旅行から帰った伯父の土産話をよく覚えていました。それはスペインのマドリッド(現在はマドリードと表記されます)からトレドへ日帰りのドライブをした帰路の景色でした。
「伯父はまわりの曠野が暮れ、空にはすでに星が光り、西空の地平のあたりだけに層々たる雲の下に暮れ残る水あさぎのあるのを見た。しかし視界の一角に強烈な色があった。それは曠野のはての低い岩山の外れの空で、一部分だけがぽっと赤く染められていた」
伯父は火事かと思いましたが、近づくと火事ではなく、山裾にある何かの工場の炉の明りと分かりました。これを見て伯父は、前日にマドリッドのプラド美術館で見たボッシュの『地獄』そのままだと感じたのです。「それは正しくボッシュが描いた地獄の遠景の、地平線上に燃えている町の再現」でした。
ここを読むと、伯父は美術に深い興味を持っていたことが分かります。夏雄の両親は不思議がっていましたが、夏雄が画家になったのは伯父の影響だったように思われます。
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八本正幸著『ゴジラの時代』によると、東宝プロデューサーの田中友幸氏は次のように回想しています。
「今は亡き三島由紀夫氏からお誉めいただいたのを現在でもよく覚えている。朝日グラフか毎日グラフだったと思う。『原爆の恐怖がうまく出ている。臨場感もあるし原爆の象徴としての怪物も成功である。素晴らしい着想だし、面白い映画だ』といった絶賛に近いものであった」
八本氏の調査によると、三島由紀夫全集でゴジラに言及した箇所はありますが、特に賞賛する文言は見当たらず、今後の研究が待たれるとのことです。
1954年に公開された『ゴジラ』第一作は、娯楽性が強まるその後のシリーズとは異なり、ビキニ環礁で水爆実験の死者を出した第五福竜丸の事件を素材としたメッセージ性の強い映画です。1971年の『ゴジラ対ヘドラ』もこの傾向を持ち、こちらは公害をテーマとしたものです。
八本氏は同書の第5章「公害と割腹と沈没と滅亡と」の中で、ヘドラ公開の前年に切腹した三島由紀夫を「ゴジラになりたかった男」と呼び、
「こうして三島由紀夫は、ゴジラと並ぶ日本文化の重要なアイコンとなったと言えるだろう」
と結論しています。
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山形夏雄の兄弟については、次のように書かれています。
「夏雄の二人の兄は、一人は会社員で、一人は技師である。一人の姉は銀行の頭取の息子のところへ嫁いでいる。これほど市民的な一族である山形家から、突然、何のいわれもなく、一人の芸術家が現われた」
「これは事実、親戚一同の尽きせぬ話題になったが、結局は才能という便利な一言で片附けられた」
三島は「便利な」と書いていますが、「才能」とは不思議な言葉です。三島は「才能」についてさらに説明しています。
「才能とは宿命の一種であり、宿命というものは多かれ少なかれ、市民生活の敵なのである」
「彼は物を見、事実彼には何かが見えるのだった」
夏雄は画家ですが、本多繁邦や安永透のような認識者、見る者の側面が強いように思われます。「描く才能」の前提として「見る才能」があるのではないでしょうか。
人相見に凝っていたある婦人が十二、三歳のころの夏雄を見て、次のように言ったのもそれを裏付けています。
「何て美しい秀でた目をお持ちでしょう。この勁(つよ)い目が、硝子のこわれやすさから、坊ちゃんを救っているんです」
夏雄は四角い落日を見て制作に取り掛かりますが、「四角い夕日は、暗い画面の中央に燃えているふしぎな隻眼のよう」でした。
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第三章の初めで、山形夏雄は秋の展覧会に出品する絵の画材を決めるため、多摩の深大寺に出掛けます。夏雄は山門の前に軽く頭を下げてから奥山への道を歩き、やがて不思議な景色を見ます。
「横雲のはざまにはまだ水いろの空がのぞかれ、密雲の上辺にすら窓のような水いろの隙間が残っていた。それは短冊を横にした形の窓であった」
「このとき夏雄は独特の、深い感覚のとりこになった。突然風景の中核へ、自分が陥没したのが感じられたのである」
「日は幾条の横雲のあいだをみるみるすべり落ちた(「すべり」はしんにょうに「一」)。そして黒い密雲のただなかにあいたふしぎな窓、あの短冊を横にしたような形の窓を充たしはじめた」
「夏雄は世にもふしぎな四角い落日を見たのである」
これを描こうと夏雄は決めました。
ここで三島は小説の言葉を用いて、画家がビジョンを見る瞬間を描き出しています。「四角い落日」など現実には有り得ないものですが、夏雄はそれを見ます。こうしたものを見ることは現実的には狂気の危険を孕むものでしょう。ゴッホも自殺する前は、こうしたビジョンを見ていたのかもしれません。
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