2017年07月

舟木収は第六章で、母が経営する喫茶店「アカシヤ」で高利貸の男に殴られて怪我をし、深井峻吉に電話をかけます。峻吉は次の試合を十日後に控えており、手を傷つけたらどうしようと考えますが、『そいつは許してはおけない』という思いが勝り、翌日の練習が終わると「アカシヤ」に向かいました。
峻吉は収の気分をよくしようとして奇妙な話をします。
「おとといの日蝕を見たか?」
収は何度かきき返したあと「それどころじゃなかった」と答えました。
「ほんのちょっぴりだ。一寸欠けた煎餅みたいなんだ」と峻吉が言いましたが、これは日蝕の食分(欠ける割合)を言っているようです。
天文記録と照合してみると、この日食(日蝕)は1955年6月20日に起こったセイロン日食に当たります。セイロン(スリランカ)では皆既日食でしたが、遠く離れた東京では最大食分は17パーセントで、「一寸欠けた煎餅みたい」という表現も当たっています。
それにしても拳闘選手の峻吉が日蝕を見るとは、不自然な設定のようにも思えますが、愉快な感じもあります。結局、この日は前日の男は店に来ず、女社長の秋田清美が来て峻吉は引き揚げました。
山形夏雄がこの日蝕を見たかどうかは不明ですが、彼は7月10日に富士山麓のホテルに行き、不思議な体験をすることになります。
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墓参りの帰り道で、夏雄と峻吉母子は二子玉川の河原に立ち寄ります。そこで峻吉は杉本清一郎の話をします。
「あの人は拳闘を心から好きなんだな」
「でもどうしてあの人は、鏡子の家で話すと、あんな虚無的なことばかり言ってるんだろう」
夏雄は清一郎の弁護に回ります。
「あの人はすばらしい有能なサラリーマンだろう。それであの人は、『有能な』という言葉と、『サラリーマン』という言葉との、滑稽な結びつきに弱っているんだ。君は『有能な拳闘選手』だ。ああ、それなら実に自然だし、少しも滑稽じゃないし、本当にすばらしい。だから拳闘があの人の憧れなんだよ」
「あの人は僕たち四人のうちで、誰よりも俗物の世界に住んでいるんだ。・・俗物の社会は大きくなり、機械的になり・・目もくらむほどの巨大な無人工場になってしまった。それに対抗するには、もう個人主義じゃ間に合わなくなったんだ。だからあの人は、ものすごいニヒリズムを持って来たんだ」
「巨大な無人工場」は三島の時代から更に巨大化し、人間を虐げているように思います。清一郎が現代に生きていたら、やはりニヒリズムで対抗しようとするでしょうか。
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『鏡子の家』第三章で山形夏雄は深井峻吉とその母を車に乗せて、多磨霊園に出掛けます。目的は峻吉の兄の墓参りです。
峻吉の兄の墓標にはこう彫られていました。
「昭和十七年八月二十四日、ソロモン群島で戦死、享年二十二歳」
このような兄を持つことは峻吉を「幸福にし」、兄は「行動の亀鑑(きかん)」だったと言うのです。
「生きていれば三十四歳になる筈の、分別くさい、世俗の垢のしみついた憐れな兄の代りに、永遠に若々しい、永遠に戦いの世界に飛翔している輝やかしい兄を持つことは、彼を幸福にした」
「他人を決して羨まない峻吉が、兄だけは羨んでいた」
こうした文章は私にほとんど理解不能なものですが、私が純然たる「戦後っ子」だからだろうと思います。三島の思想は一見すると、今の政権幹部に近いように見えます。防衛大臣が「国民の生活が第一なんていう政治は間違っている」と言ったそうです。
ただ、今の大臣たちは自分が戦場で死ぬことなど、夢にも考えていないことは明らかです。三島は自分の問題として考えていました。
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同日 多磨霊園に誤字があったので修正しました。

昨日の投稿で、鏡子の家で会った四人がそれぞれ「壁」について思いをめぐらす場面を紹介しましたが、ここで杉本清一郎が奇妙なことを言い出します。「彼自身まだ青年でありながら、青年の煽動家たることが好き」だからです。そういえば第一部の終わりで、試合に勝った深井峻吉に光子を「買う」ようにけしかけるのも清一郎でした。
「少しでも助け合うことは、一人一人の宿命に対する侮辱だから、どんな苦境に陥っても、われわれはお互いに全然助け合わないという同盟を結ぼう。これは多分歴史上誰も作らなかった同盟で、歴史上唯一つの恒久不変の同盟だろう」
四人のつながりを歴史やら同盟やらに例えるのは滑稽な感じもあります。他の三人がこれにどう反応したかも書いてないですが、四人がそれぞれ独自の道をゆくという原則は大体守られたようです。
「大体」と言ったのは、舟木収が母の喫茶店「アカシヤ」で高利貸の男にやられて、峻吉に助けを求めているからです。峻吉はこれに応じてアカシヤで待機しますが、やってきたのは女社長の秋田清美で、峻吉の出番はありませんでした。
これは後で収が清美と心中し、峻吉がボクサー生命を失って右翼に入ってしまう伏線になっているかもしれません。
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第二章の終わりで、四人の主人公が鏡子の家に偶然に集まってしまう場面があります。そこで四人は四人とも「われわれは壁の前に立っている四人なんだと」感じます。
「この世界が瓦礫と断片から成立っていると信じられたあの無限に快活な、無限に自由な少年期は消えてしまった」
峻吉は拳を握り『俺はその壁をぶち割ってやるんだ』と思います。
収は怠惰な気持で『僕はその壁を鏡に変えてしまうだろう』と思います。
夏雄は熱烈に『僕はとにかくその壁に描くんだ』と考えます。
清一郎は『俺はその壁になるんだ。俺がその壁自体に化けてしまうことだ』と考えます。
少年期はこの世界が瓦礫と断片から成立っていると信じられたというのは、四人の個人的なことではなく、1945年の敗戦(終戦)前後の時代背景があると考えられます。崩れたように見えた壁は戦後数年であっさり再建されたということでしょうか。
三島の死後、1989年に昭和が終焉し、ベルリンの壁が崩壊しましたが、あれも今思うとそれほどの事件ではなかったように感じられます。
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