この章では、三島は自分の過去の失敗を二つ挙げています。初めは学習院時代、「先輩の偉大なる大貴族」たちと会食したとき、緊張のあまり手がすべって、カツレツをお皿の外に飛び出させてしまったこと。二度目は銀座の和光の前で、クサリを飛び越そうとして足を引っかけて転倒してしまったこと。三島はどちらの失敗もすばやく復元し、人の笑う声を聞きませんでしたが、三島は後悔します。
「ふとした失敗で、人の退屈を救うということほど、人生に対する大きな寄与はないのであって、しかもそれによって、われわれは沢山の人間の、純真な、無邪気な、美しい笑顔を見ることができるのであります」
「ギリシアの喜劇、アリストファネスの「雲」では、ソクラテスがめちゃくちゃに戯画化されているが、ソクラテス自身も多分観衆の間にまじって、自分の漫画が舞台の上に動いているのを、ゲラゲラ笑いながら見ていたらしい」
「この世の中では、他人から見て、可笑しくないほど深刻なことは、あんまりないと考えてよろしい。人の自殺だって、大笑いのタネになる。荷風先生の三千万円かかえての野垂れ死だって、十分、他人にはユーモラスである」
こうして表題の「人の失敗を笑うべし」となるわけですが、私は三島の自殺を笑う気になれません。私はまだ人間が出来ていないようです。
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