2017年10月

「どんな強者と見える人にも、人間である以上弱点があって、そこをつっつけば、もろくぶっ倒れるものですが、私がここで「弱い者」というのは、むしろ弱さをすっかり表に出して、弱さを売り物にしている人間のことです。この代表的なのが太宰治という小説家でありまして・・」
例によって冒頭から太宰批判です。三島が自分の中にある弱さを押し隠し、強さを表面に出す人だったことは今さら言うまでもないですが、この章では一人漫才のような三島の文章が面白いので紹介しましょう。
「「ヘン、又失恋しやがった。好い気味だ」
「そんなにいじめるなよ」
「何だ。その釦穴にくっつけてる鼻クソみたいなものは」
「彼女が去年くれたスミレの花だよ」
「バカバカしい。そんなもの捨てちまえ。胸くそのわるい」
と君はそのスミレの花をむしりとって、地べたに投げ捨てて、ツバを引っかけてやる。
「アッ、何をするんだ」
「口惜しかったら、俺をなぐって来い」
「なぐるなんてそんな。君が友情で、そんなことをしたのが、僕にはわかっているんだもの・・ありがとう。(ト泣く)」」
そこで「君」は彼をなぐりますが「アッ、いたた。(泣きながら)でも、ありがとう・・僕にはわかるんだよ、君の友情の鉄拳が」
こんな具合ですので、最後に三島は「皆さん、この勝負はどちらの勝でしょうか」と問うていますが、自分の勝ちを信じていないようにも見えます。
お読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m

今日は前に取り上げた田中角栄の続きを書こうと思います。角栄の人生で面白いのは1985年に脳梗塞で倒れた後、それまで並ぶ者無き強者だったのが一転、弱者になってしまったことです。三島由紀夫はこういう晩年を恐れて死んだのだろうと思われます。
娘の田中真紀子は角栄を目白の自宅に引き取り、「越山会の女王」佐藤昭子を解雇します。昭子は女王と呼ばれていても使用人に過ぎなかったわけです。もちろん昭子は黙ってはおらず、新たな団体を作って対抗しますが、角栄とは死ぬまで会えませんでした。
立花隆「政治と情念 権力・カネ・女」は多くの史料を纏めた労作です。これを読むと角栄は昭子の自宅に電話をかけて、何か話そうとするが声にならず「ウッ!」としか言えないことが二回あったそうです。二回で終ったのは「真紀子にバレて、こっぴどく叱られた」のだろうと立花隆は推測します。また昭子は「オヤジさんはあなたのことをよく覚えていますよ」と人づてに聞いて「田中が好きで何度も何度も繰り返し見た映画『心の旅路』のラストシーンが蘇って、涙がこぼれそうになった」と著書に記しています。この映画、私は見ていませんが、記憶喪失の過去を持つ国会議員が、自分の秘書をやっている女性が、実は若く貧しかった時代の自分の愛人だった記憶を呼び戻すというストーリーのアメリカ映画とのことです。
角栄の愛人は五人や十人ではなかったと言われますし、昭子も浮気をしていた(正式の夫婦でないのに「浮気」も変ですが)と娘の著書にあり、世の中一筋縄ではいかないようです。
お読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m
都合により、しばらく更新をお休みさせていただきます。

「たいていの気取ったエチケット講座には、洋食の作法として、「スープは決して音を立てて吸ってはいけません」などと、おごそかに戒めています」
そう言えば私の父母も、洋食の作法をほとんど私に教えられなかったと言って心配していた時期がありました。結局、私はそんな世界と無縁だったので、全くの杞憂に終わったのですが。
「エチケット講座の担当者たちを見ればわかりますが、彼らは私にとって格段尊敬すべき人たちとも思えません。洋食作法を知っていたって、別段品性や思想が向上するわけはないのですが、こんなものに影響を受けた女性は、スープを音を立てて吸う男を、頭から野蛮人と決めてしまいます。それなら、あんなフォークやナイフという凶器で食事をする人は、みんな野蛮人ではないでしょうか?」
まあ、日本人も料理では包丁という凶器を使いますが・・
さらに三島は「本講座の優秀な聴講生」なるN子が、恋人のS青年がレストランで破廉恥な音を立ててスープをすするのを誇りに思っていたという話をします。いろいろ愉快な話がありますが、「交番という交番の前へ行って帽子を脱いで丁寧に最敬礼をして、何も言わずに引き返してきたので、すっかりお巡りに気味悪がられて共産党の新戦術かと誤解されました」
S青年は結局、精神病院に入れられてしまい、N子は「狼を柵の中へ追い込んでしまった羊の大群の威力」に気がつきます。せいぜいスープを音を立てて吸うぐらいでやめておけば良かった。ここでも精神医療の社会的位置の変化が窺われますが、三島は芸術家には反骨精神が必要だと言いたいのだと思われます。
お読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m

これは今さらかもしれませんが、西洋では人はめったに「すまなかった」とか「私が悪かった」とは言わないようです。「ようです」というのは、私は国外に出た経験がないので人づてに聞くだけなのですが、三島もこんな経験を書いています。
「1957年に私が高い金をつかってニューヨークに長逗留したのも、私の芝居を上演することになっていたプロデューサーが、資金難のために言いのがれをして、「もうじき芝居があくから」とウソをつき、私がうまうま乗せられていたからです。(中略)しかし彼は頑強に、「アイ・アム・ソウリイ」という私の期待していた言葉を言わないのです。そして彼のついて来たさまざまなウソも、客観情勢の悪化のせいにして、ケロリとしています」
三島は「権利義務の観念の発達した世の中では、物事はすべて日本よりキュークツで、人と人の関係はすべて日本よりきびしい」のだろうと考え、「よく言えば、西洋人がめったに「すみません」と言わないのは、責任観念が旺盛なのだとも云える」と擁護します。そして最後では日本人のように「手取早くあやまってしまうほうがズルイので、「罪は人になすりつけるべし」という精神のほうが、むしろ真正直な考え方ともいえる」としています。
西洋のことはよく分かりませんが、日本で偉くなっている人たちは「良いことは自分の手柄にし、悪いことは他人のせいにする」人たちではないでしょうか。「良いことは人様のおかげ、悪いことは自分のせい」と考えていると、なかなか生きづらい気がします。しかしこれは私の見当違いで、私に問題があるのかもしれません。
お読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m

今日も三島の直言に耳を傾けてみましょう。相手は当時の花形「映画界」です。「芸能界」と言ってもよいでしょう。
「映画界への憧れは都会よりも地方のほうが甚だしい。こういう人気をあおるのは、映画そのものもそうですが、「明星」「平凡」の如き雑誌の威力も大きい。そこでは美男美女が雲の如く集まり、いわゆるハリウッド・スマイルという痴呆的微笑をうかべ・・理想の女性や男性について、ごく単純でありながら雲をつかむかの如き言辞を弄し、年少読者を夢の国に遊ぶ心地にさせます」
「それは「夢の工場」ではなくて、「夢の裁判所」なのです。青年男女の浮わついた夢を罰するのに、こんな効果的なところはない。・・情ないことに、多くの青年男女は、この法廷で、自分の夢を罰せられると、すっかりヤケッパチになってしまい、人生に夢なんかない、と思い込んでしまうのです。ところが人生には夢が大ありなのであって、ただ映画界にだけそれがないのです」
私は若い頃「Too far away」という楽曲が好きでしたが、これを歌っていた水越恵子はアイドルというよりアーティストでした。その後、ダウン症のお子さんを出産されましたが、無事に育てて暮らしておられるようです。この曲は作詞作曲した伊藤薫の他、谷村新司や「やしきたかじん」との競作で、それぞれの味が出ています。ところが2007年に歌詞を変えてカバーした安倍なつみは典型的なアイドルであって、まさに性風俗を思わせる売り方をしています。人格的に見れば耐えられないことなので、私も混乱してしまうのです。
お読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m

↑このページのトップヘ