2018年04月

澁澤龍彦のエッセイ「付喪神」には、『金閣寺』からの引用に先立って次のような文章があります。

アニメーションという言葉がある。動画と訳される。語源的には、物に生命を吹きこむというほどの意味だが、現在では、静から動を生ずる映画トリックをさす技術用語として一般化している。ボッシュやブリューゲルの器物のお化けは、画家の物に対する執着が、ついに物をアニメイトするにいたった結果ではないかと私は考えたい。

澁澤は同じエッセイ集『思考の紋章学』の中のエッセイ「幻鳥譚」の中で、上の文章にそのまま通じるような考察をしています。

子供や動物が主人公となり得る物語の世界、それはまた、ただちに御伽草子の世界に通じるものでもあろうし、鳥獣戯画の世界に通じるものでもあろう。何なら動物文学の伝統といってもよい。そして、日本文学におけるこうした伝統に思いを馳せるとき、それと対照的にどうしても私の目の前に浮かんでこざるを得ないのは、あの古今集が確立し、新古今集が絶頂にまで高めたところの、子供や動物とはまったく縁のない、蒼ざめた観念世界の秩序の伝統なのである。

ここで澁澤は生き生きしたアニメーションと対照的な観念世界の伝統に言及し、「三島由紀夫がうまいことをいっているので、その文章(『日本文学小史』)を遠慮なく」引用します。

「百三十四首の春歌の中で、もつとも頻出度の高い『花』といふ一語をとつてみるだけでも、古今集の特色がわかる。すなはち花は、あの花でもこの花でもなく、妙な言ひ方だが極度にインパーソナルな花であり、花のイメージは約束事として厳密に固定されてゐる。花についての分析も禁じられ、特殊化、地域的限定(地方色)、種別その他も禁止されてゐる。ここには犯すべからざる『花』といふ一定の表象があり、『花』は正に『花』以外の何ものでもなく、従つて『花』と呼ぶ以上にその概念内容を執拗に問ふことは禁じられてをり、第一さういふ問は無礼なのである。」

これは三島が『小説家の休暇』で世阿弥の「花」に言及した文章と似て非なるものです。澁澤はさらに舌鋒鋭く続けます。

かくて新古今の美学はネクロフィリア(屍体愛好)に似てくるのだ。それでも屍体愛好は一つの美学であり、そういってよければ、高度に自律的な観念世界の美学、言語的秩序の美学である。やがてこの屍体が分解して腐臭を放ちはじめるとき、もはや完全に内容を喪失して空っぽになった観念の幽霊鳥が、応仁の戦火によって赤々と燃える中世の夕焼け空を飛びまわり出すのである。

私がさらに補足するならば、その夕焼け空はもはや中世ではなく、溝口が放火した金閣寺が赤々と燃え、三島と森田の切腹の血が赤く染めているのです。
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『金閣寺』の主人公、溝口は丹後由良で「金閣を焼かなければならぬ」と決意しますが、旅館の窓辺で考え続けます。

たとえば、ただ家事の便に指物師が作った小抽斗(こひきだし)も、時を経るにつれ時間がその物の形態を凌駕して、数十年数百年のちには、逆に時間が凝固してその形態をとったかのようになるのである。一定の小さな空間が、はじめは物体によって占められていたのが、凝結した時間によって占められるようになる。それは或る種の霊への化身だ。

そして溝口は中世のお伽草子の一つ「付喪神記(つくもがみき)」の冒頭を思い出します。

「陰陽雑記云、器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑(たぶらか)す、これを付喪神と号すといへり。是(これ)によりて世俗、毎年立春にさきたちて、人家のふる具足を、払いたして、路次にすつる事侍り、これを煤払といふ。これ則(すなはち)、百年に一年たらぬ、付喪神の災難にあはしとなり」

澁澤龍彦の『思考の紋章学』でも「付喪神」が取り上げられ、『金閣寺』に言及されています。

焼いてしまえば、「世界の意味は確実に変るだらう」ー金閣寺はこの場合、器物の化けものとアナロジカルなフェティッシュ、恐怖と魅惑をこもごも放射する一つの物体なのだ。建築物のような大きなものでも、観念の世界では、いくらでも小さなフェティッシュになり得るのである。

澁澤は上記の文章に続けて「私は、こういうフェティッシュに憑かれるような気質をもった画家でなければ、とても妖怪画などというものは描けないのではないかと思わざるを得ない」と書き、伊藤若冲やボッシュを挙げますが、円山応挙も幽霊画で有名です。応挙は出口王仁三郎の先祖でもあり、『金閣寺』にも名前が出てきます。
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稲垣足穂の中期の代表作が自伝的創作『弥勒』です。このタイトルについて、足穂は1962年5月14日の朝日新聞に書いています。(『タルホ入門ーカレードスコープ』潮出版社、1987年による)

・・『弥勒』の題でまず新潮に発表したが「みろく」と正確に読める程の者はほとんどいなかった。僕の周辺の大学生ですら「ヤゲン」と発音し、彼の仲間もそれに従い、当の「ヤゲン」の何物であるかについては一向に調べようともしないのであった。
だから、戦後になって、これを小山書店刊の中編新作叢書の一つとして出すことになった時「みろく」とルビを付けることにした。

その『弥勒』第二部『墓畔の館』で、江美留は悪霊に苦しめられます。「枕辺には赤い焔の形相をした小人が、その輪廓をはっきり読み取らせまいとして、先程から頻りに跳ね踊っているのだ」というありさまでしたが、江美留は決意します。

悪霊はたとい一時は追いのけてもそのまま消え去るわけでないから、むしろ悪霊を我身に背負うて、これの浄化に当るべきである。「国の垢を受くるは社稷の主にして、国の不祥を受けるのは天下の王である」このたび上京した時、彼は、老子の中ではこれが一等好きであった。

コリン・ウィルソンは『アウトサイダー』の第8章『幻視者としてのアウトサイダー』でブレイクとスウェーデンボリ(スウェーデンボルグ)を取り上げます。

・・ブレイクは、あるときクラブ・ロビンソンに、昨夜わたしはジュリアス・シーザーの亡霊を見たと言い、また、平素わたしは人間よりも霊と語りあうことが多いと述べている。こうなると、狂人のたわごとか、それとも、きわめて特異な次元の正気というよりほかはない。神秘家でありながら、頭脳明晰な科学者で一流の技師でもあったもうひとりの神秘家も、自分は天国と地獄を一まわりしてきたが、それはけっしてダンテのような詩的空想の旅でなく、日曜日の午後のバス旅行のように実際に一周してきたのだと述べ、やはり天使たちと話をかわす癖があると語っている。(中村保男訳)

出口王仁三郎にはスウェーデンボルグの影響が見られるという見方もあるようです。晩年の三島由紀夫は磯部浅一の霊に憑かれたと美輪明宏氏は言い、川端康成はホテルのマッサージ師の前で三島由紀夫の亡霊に話しかけていたという話もあります。
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『地下生活者の手記』は、近代文学で「アウトサイダー」の問題を扱った最初の大作である。・・ロシヤ語の原名は『床下に棲むものの手記』となっており、主人公は人間ではなく甲虫(かぶとむし)であることを暗示する。(中村保男訳)

コリン・ウィルソンは『アウトサイダー』で、ドストエフスキーの『地下室の手記』(1864年)についてこう評しています。この小説は二部構成で、第二部の「ぼた雪」にちなむ物語も不愉快ながら面白いですが、第一部「地下室」で展開される談義も、不愉快ながら面白いものです。コリンは次の甲虫的人間の発言を「重要なクライマックス」として引用します。

混沌も、暗黒も、呪いも、何もかも数学の公式にあてはめることができるというならば、人間は故意に発狂して、判断力をすべて放棄し、勝手気ままに振舞うであろう。わたしがそう信じるのは、人間のなすべき仕事は、自分が人間であって歯車ではないことを証明する以外にないように思われるからだ。

新潮文庫『地下室の手記』(江川卓訳)では、次のような発言もあります。

ぼくは百度でもくり返して言いたい。・・人間がわざと意識して、自分のために有害な、おろかなこと、いや、愚にもつかぬことを望む場合だって、たしかにあるのである。それも、ほかでもない、自分のために愚にもつかぬことまで望めるという権利、自分のためには賢明なことしか望んではならないという義務にしばられずにすむ権利、それを確保したい、ただそれだけのためにほかならないのだ。

江川氏が解説している通り、作者のドストエフスキーは甲虫的人間を「人間全体として考えて正しい状態」とは見なしていません。革命運動に参加して逮捕され、銃殺の直前で特赦された経験が、このような作品を生み出したとも考えられます。
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『少年愛の美学』は稲垣足穂の晩年の作品で、1968年に「日本文学大賞」を受賞しました。三島由紀夫が強く推薦したのですが、足穂が三島を罵倒し続けたことは以前に書いた通りです。この中でドストエフスキーの『悪霊』に言及される箇所があります。

もともとポルノグラフィー的対象は「覗き」の変様であって、それ自体、男性メカニズム三角形の底辺を形成している。それらは空想的機械学者の考案であって、こういう人為的荒唐無稽はもともと「覗かれる側」のあずかり知る処ではない。この意味で、たとえば『悪霊』全篇中において最も重要なのは、スタヴローギンの行動やキリーロフ氏の思想なんかでない。知事レンブーケが、生得の紙細工に打ち込んで彼の度々の危機を切りぬけたという一事に尽きている。

『悪霊』第二部第四章で、レンプケは若い頃、後ろ楯の将軍の娘アマリヤに失恋したのですが・・

レンプケはさして悲嘆にくれもせず、紙細工の劇場を作りはじめた。幕があがると、役者が出てきて、両手でいろいろと身ぶりをする。桟敷には観客がすわり、機械仕掛けのオーケストラがバイオリンを演奏し、楽長が指揮棒を振り、平土間では伊達男や将校たちが拍手する。それがすべて紙製で、レンプケ自身の考案、製作なのである。彼はこの劇場の製作に六ヵ月かかった。(江川卓訳、以下同じ)

新婚のアマリヤを含めて令嬢や夫人や男性たちがこけら落しの舞踏会に集まり、レンプケはすっかり気をよくします。その後、彼は上役に内緒である雑誌に小説を送りますが、掲載されませんでした。

そのかわりには、紙細工の鉄道を作りはじめ、このほうはまたしてもすばらしい出来ばえだった。トランクや袋をさげ、子供や犬をつれた乗客が駅舎から出てきて、列車に乗りこんでいく。車掌や駅員が歩きまわり、ベルが鳴り、信号が点滅して、いよいよ列車が出発する。この精巧な細工物の完成に彼はまる一年かかりきりだった。

ようやくユリヤと結婚して県知事になったレンプケでしたが・・

夫人は自分のいだいている名誉欲を夫に注ぎこんでやりたくてならなかったが、彼のほうは思いがけず紙細工の教会の製作にかかったものである。牧師が出てきて説教をやり、祈祷者たちは両手をうやうやしく前に組んで聞いている。一人の貴婦人はハンカチで涙をぬぐい、一人の老人は洟をかんでいる。そして最後にはオルガンが奏せられるのだが、これも費用をいとわず、わざわざスイスに注文して取寄せたものであった。ユリヤ夫人は、この紙細工のことを知るが早いか、周章狼狽せんばかりになって、さっそく細工物いっさいを取りあげ、自分の箱の中に鍵をかけてしまいこんでしまった。

現代風に言えば「オタク」ということでしょうか。
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