松本健一は2007年の著作『三島由紀夫亡命伝説』の中で澁澤龍彦の追悼文を引用し、三島の自決を「聖セバスチャン・コンプレックス」の構図で解こうとした澁澤に賛意を示しながら、「ただ、一つだけ、気になることがある」として説明を加えています。
なるほど聖セバスチャンは拷問のさなかにも、見えざる絶対者にむかって恍惚の目差しをむけていたろう。しかし、三島はその「絶対者」に天皇という名が与えられたとき、その天皇に「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」(『英霊の聲』)という恨み言を述べているのである。これは、聖セバスチャン・コンプレックスの構図では解けない、三島由紀夫だけがもった軌跡といえよう。(中略)では、何のために死んだのか、というならば、みずからが造りあげた「美しい天皇」を、永遠にかれだけのものとしておくために、そのありうべき天皇の原像をともなって、天皇制国家のもとから亡命(かけおち)したのではないか、というのが、わたしの当面の仮説にほかならない。
江戸時代の国学に現れ、明治維新で成立した天皇絶対思想は、日本人にとっても大きな謎です。キリスト教の伝統が無い日本で欧米型の国民国家をつくるためには、天皇に絶対者になって頂くほかは無かったのかもしれません。仏教の中でも浄土真宗と日蓮宗は一神教的な傾向がありますが、全国民を統合することは困難だったのでしょう。
天皇絶対思想はキリスト教徒から見れば偶像崇拝のように見えるでしょうが、日本国憲法が言うように「偶像ではなく象徴である」と抗弁することも可能です。スウェーデンボルグは人類の太古の宗教は一神教であって、歴史時代にエジプトやメソポタミアに現れる多神教は一神教が堕落した形態に過ぎないと述べています。
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