2018年05月

松本健一は2007年の著作『三島由紀夫亡命伝説』の中で澁澤龍彦の追悼文を引用し、三島の自決を「聖セバスチャン・コンプレックス」の構図で解こうとした澁澤に賛意を示しながら、「ただ、一つだけ、気になることがある」として説明を加えています。

なるほど聖セバスチャンは拷問のさなかにも、見えざる絶対者にむかって恍惚の目差しをむけていたろう。しかし、三島はその「絶対者」に天皇という名が与えられたとき、その天皇に「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」(『英霊の聲』)という恨み言を述べているのである。これは、聖セバスチャン・コンプレックスの構図では解けない、三島由紀夫だけがもった軌跡といえよう。(中略)では、何のために死んだのか、というならば、みずからが造りあげた「美しい天皇」を、永遠にかれだけのものとしておくために、そのありうべき天皇の原像をともなって、天皇制国家のもとから亡命(かけおち)したのではないか、というのが、わたしの当面の仮説にほかならない。

江戸時代の国学に現れ、明治維新で成立した天皇絶対思想は、日本人にとっても大きな謎です。キリスト教の伝統が無い日本で欧米型の国民国家をつくるためには、天皇に絶対者になって頂くほかは無かったのかもしれません。仏教の中でも浄土真宗と日蓮宗は一神教的な傾向がありますが、全国民を統合することは困難だったのでしょう。
天皇絶対思想はキリスト教徒から見れば偶像崇拝のように見えるでしょうが、日本国憲法が言うように「偶像ではなく象徴である」と抗弁することも可能です。スウェーデンボルグは人類の太古の宗教は一神教であって、歴史時代にエジプトやメソポタミアに現れる多神教は一神教が堕落した形態に過ぎないと述べています。
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前回も取り上げた虫明亜呂無のエッセイ集『仮面の女と愛の輪廻』の中に『愛の輪廻について』というエッセイがあります。これは昭和55年(1980年)に『競馬ニホン』に載せられたものです。
ここで亜呂無は『源氏物語』のテーマについて述べています。

僕は最近、『源氏物語』というのは、父と娘、母と息子の近親相姦的恋愛感情を、物語の中心テーマにしている作品だと思うようになった。と、いうより、女性にとっては、少女時代に見た父の像が、彼女たちの好悪にかかわらず、後の彼女たちの恋愛感情を決定していくのである。例の「もののあわれ」とか、「わび」とか、その他は、男性の国文学者が勝手に、男流の物の見かたで判断したものであって、作者が把握していた作品のテーマとは、およそ、無縁のものではないだろうか。(中略)父と娘、母と息子の恋愛はつきるところなく、形をかえてくりかえされ、輪廻の様相を呈していく。

もう一つ興味深いのは、「女が激しく性感情に燃えるというのは、つぎのような場合である」として、ジョイス・キャロル・オーツの短篇小説『男と女とのつながりは?』の一節を挙げていることです。

「彼女は十八年前に男と別れた。彼のなごりは、なにもない。が、ある夜、夢の中で男と出会った。夢の中の男は、昔のままの年齢であるのに、彼女は現在の三十幾歳になっている。当時、ふたりは自分たちから十八年なんて歳月が過ぎてゆくなどとは思いもしなかった。いや、十年だって。五年だって。彼女は彼より一歳、年下だった。それなのに、今、三十幾歳になっても、少年のままの彼より、昔とおなじように、一歳若いのだろうか」

亜呂無は「女にとって、性の描写とは、こういうことを指すのである」と書き、「僕は念のために、ジョイス・キャロル・オーツの右の文章を数人の女性の友人たちに読ませたり、話したりしたところ、例外なく、彼女たちは「これはすごい。胸が熱くなってくるわ」と、声を発した」と言います。
オーツの作品集は『愛の車輪』というタイトルがついており、洋の東西を問わず、彼女たちは「愛の輪廻」をくりかえし語ってきたようです。
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虫明亜呂無はエッセイ集『仮面の女と愛の輪廻』に収められたエッセイ『なぜジムに行くか 三島由紀夫の肖像』(『小説新潮』1968年1月号)の中で、「氏のたのしむのはなにか」と自問し、次のように答えています。

時間にすべてが規律正しくしばられていることなのである。休むことなく、果さねばならない仕事がつづいていることである。その時間と仕事によって、氏は自分で自分をがんじがらめにして縛りあげる。それから、その中をくぐりぬけて出てくる、精神の「体操」をたのしむのである。

確かに三島の一面を的確に捕らえています。亜呂無は三島の論文『古今集と新古今集』の中の一文を引用して、三島文学の変遷を説明します。

「私はこの二十年間、文学からいろんなものを一つ一つそぎ落して、今は言葉だけしか信じられない境界へ来たやうな心地がしてゐる。言葉だけしか信じられなくなつた私が、世間の目からは逆に、いよいよ政治的に過激化したやうに見られてゐるのは面白い皮肉である。」・・
氏の一連の最近作『英霊の声』『憂国』『朱雀家の滅亡』の主題は、幻想と言葉こそが事実を越えて、日本人の情念の源であることを証明するものである。
これらの作品の魅力こそが、三島由紀夫氏の魅力なのだ、と、ぼくは考えたい。

亜呂無は次のエッセイ『深夜のボーリング場から 厳格主義者・伊丹十三』(『小説新潮』1968年5月号)の冒頭でも三島由紀夫の言葉を紹介しており、ここにも三島の思想がよく現れています。

世界バンタム級タイトル・マッチ。ファイティング原田は、ローズに敗けた。原田は気力だけで十五ラウンドを闘った。
あくる日、三島由紀夫氏が、ぼくに、
「肉体は敗れた。あとは何十年もの余生を精神だけで生きてゆく。原田はまだ二十四歳の若さだというのに、これは、ゴウモンですよ」と、言った。

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万葉集の歌人たちの中で、私が特に興味を覚えるのが高橋虫麻呂です。各地の伝説に取材した歌を多く残し、『水江の浦島の子を詠める一首』などが有名です。犬養孝氏は『万葉の歌人・高橋虫麻呂』でこの歌を解説し、次のように書いています。

歌い方は万葉時代のほかの人にないことです。ほかの人はみんな、あることにぶつかって、事実、恋しいから恋しいとうたい、いい景色だからいい景色だなとうたう。虫麻呂は全然違う。物語作家です。後でいえば小説家になるような人。万葉時代には小説はないからできませんが、虫麻呂はそういう浦島の心になってその世界を展開してみせるのでしょう。こんな技術的に進んだ作家が神亀・天平の時代にもう出ているということは、本当に、当時はそんなものはないけれど、芸術院会員といってもいいような歌です。

もうひとつ、虫麻呂の詠んだ面白い歌を紹介しましょう。『上総の周准(すゑ。「准」は正しくはサンズイ。今の千葉県木更津市あたり)の珠名娘子を詠める一首』です。犬養孝氏は「もっとすごい歌・・崩れていく美、頽廃の美の極致」と言っています。

しなが鳥 安房に継ぎたる 梓弓 周准の珠名は 胸別の ひろき吾妹 腰細の すがる娘子の その姿の 端正しきに 花の如 咲みて立てれば 玉ほこの 道行く人は 己が行く 道は行かずて 召ばなくに 門に至りぬ さし並ぶ 隣の君は あらかじめ 己妻離れて 乞はなくに 鍵さへ奉る 人皆の かく迷へれば 容艶ひ よりてそ妹は たはれてありける

この後に反歌もついていますが、あまり詳しく解説しなくても「道徳的に言えば、もうけしからん世界」であることは了解されるでしょう。「すがる」は蜂の一種で、ジガバチのことです。少し長くなりますが、犬養孝氏の解説から引用します。

まず、この歌は、山上憶良からいうと、死刑にあたるでしょう。何と不道徳でしょう。こんな不道徳な世界があるだろうか。山上憶良みたいにしっかりした人から見れば、本当にどうにもならない世界です。・・
それは憶良からいえば叱られるでしょう。極めて健康な人から見れば。しかし、虫麻呂の心は健康ではなくて、むしばまれた心になっているからこういう世界が分かるので、崩れていくものの中に美を見いだした。・・
ただ簡単に、善だの悪だの道徳だのといえない、もっと人生の根本に触れているところが虫麻呂にある。で、孤独なんです。それが人なつっこさで、人生のいろいろなにぎやかな世界、愉快なお喋り屋の世界をうたうけれど、心の中は孤独だということです。

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虫明亜呂無(むしあけ・あろむ)とは不思議な名前です。彼は三島由紀夫から自決の直前、その文学論集を編集して本にするように依頼された人物です。野球・競馬を始めスポーツに関心が深く、文芸批評、翻訳、映画、音楽など幅広い分野で名文を残しました。そのエッセイ集『女の足指と電話機・回想の女優たち』に収められたエッセイ『野の少年期』で、虫明は三島由紀夫に触れています。

少年少女とはいえないが、しかし、作品のモチーフをほとんど少年少女期において歌壇にデビューした春日井健氏の作品も、特異な存在を誇っている。十代のおわりだった氏の処女歌集に故三島由紀夫が序文を書き、藤原定家の『明月記』の有名な一節「紅旗征戎非吾事」を引用しているのも興味ぶかい。春日井健氏の処女歌集は一九六〇年、すなわち、昭和三十五年に発行されている。ことわるまでもなく、この年は例の六〇年安保の年である。

虫明は続けて「紅旗征戎非吾事」の意味を解説し、三島から文学論集の編集を依頼されたとき、『明月記』を中心とした「古今集と新古今集」についてのエッセイを第二部の軸においたこと、三島がそれに深く満足したことを書きました。さらに三島の自決にも言及します。

社会も、政治も、戦争も、私にはなんの関係もない。私に必要なのは詩であり、恋愛であり、美である、ということをきわめて複雑な、現代人的な型で表現するために、彼はあえてあのような死にかたを選んだのである。彼は自分がいちばん嫌うものを、世間にむけてはわざと美化してみせ、さも理想化しているように見せる一種独特な表現癖があった。

「なんの関係もない」とまで言ってしまうと極論かもしれませんが、私は「二次的、派生的な問題である」と考えています。三島の死の背景には三島由紀夫=平岡公威個人の問題、戦後日本の問題、現代世界の問題が複雑に絡み合っているように思われます。
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