2018年06月

https://youtu.be/_RqQaVfyMhI
以前紹介した石川セリさんも歌っていた『Moonlight Surfer』のカバーです。かとうれいこさんはグラビアクイーンでしたが、歌手として成功したとは言えません。この曲も石川さんと比べたくはありませんが、かとうさんの曲の中ではヒットしました。
かとうさんのバスト詐称疑惑は、馬鹿らしいですが興味深い問題です。86センチのわけが無かろうと、この私ですら思います(笑)別の芸名で活動していた時期のVHSに「97センチ」という表示があるのですが、彼女は昔のことには触れられたくないようです。まあ、事情は分かりますが。30年近く前にあのVHSを見て大きな影響を受けてしまった私としては、割りきれないものが残るわけですが・・
私の見るところ、かとうさんはバラエティ番組などで場の空気を読むのは苦手なように見えましたが、根本的に頭が良い人です。私よりずっと頭が良いです。そんな人が見え透いた嘘をつき続けるのは不思議なことです。おそらく彼女が口に出さない、または意識にも上らない理由があるのではないでしょうか。
幸か不幸か、私はかとうさんにお会いしたことはありませんが、彼女の先輩の堀江しのぶさんには3回ほどお会いしました。最初は1984年4月29日、池袋サンシャイン広場のミニライブの時でした。堀江さんは私と同郷で、私の妹は堀江さんと同じ高校の同級生でした。もっとも面識は無かったようで、堀江さんに聞いたらやはり「ごめんなさい、知りません」と言っておられました。私も兄妹仲が悪く、最近は音信不通の状態ですし・・それはともかく、堀江さんが1988年に23歳という若さでスキルス性胃癌のために亡くなられたのはショックでした。健康そのもののようで、一番そんなイメージから遠い方でしたから。
堀江さんの最期の言葉は「私、仕事がしたい」だったそうですが、これは最後に話を交わした相手が野田社長だったからかもしれません。父親か母親が相手なら、別の言葉になった可能性もあります。それでもこの逸話からは、堀江さんが仕事熱心な高度成長期の申し子だったことも感じ取れます。かとうさんは仕事への熱意はそれほどでもなかったという話もあります。彼女の場合はそれが魅力だったかもしれません。
念のため付け加えると、私は「巨乳」は嫌いではないですが、マニアというわけではありません。細川ふみえさんをはじめ、かとうさん以後のイエローキャブ(今は「サンズ」でしたっけ)の皆さんには何の興味も湧きません。
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https://youtu.be/5R28KlYNwcI
なぜ季節外れのこんな歌を? という気もしますが、何故かこの曲が浮かびました。『冬の星座』は文部省唱歌として有名ですが、原曲は19世紀にアメリカのウィリアム・ヘイスが書いた『モリー・ダーリン』です。原詞は普通のラブソングで、星や月は出てきますが、特に冬とは限定されません。堀内敬三の日本語詞で広く歌われるようになりました。
前回の投稿後、私がなぜ三島事件を覚えていないのか考えてみました。おそらく、深い理由はないと思われます。その頃の私はテレビを見るのが好きで、現実と虚構の区別が不完全だったと考えられるからです。ニュースで報じられていることより、次回のウルトラマンだかウルトラセブンではどんな怪獣が出てくるのか? に深い興味を持っていたのでしょう。
私が覚えている最初の大きな社会的事件は、1972年5月30日にイスラエルで起きたテルアビブ・ロッド空港乱射事件です。日本赤軍の三人の若者が百人近くの人間を死傷させ、二人が死んで岡本公三だけが逮捕されました。彼は裁判でマルクシズムの歴史観に基づいて自分たちの正当性を主張した後、最後に奇妙な発言をしました。
「私は子供の頃、人は死ぬと星になると聞かされた。信じているわけではないが、わかるような気もする。私たち三人の赤軍派兵士は、死んでオリオンの三つ星になることを願った。又、私たちが殺した人々の誰かれも、同じ天で星になっていると思うと心が静まる。革命戦争はこれからも続き、ますます星は増えるであろう」(『文藝春秋』1972年9月号「岡本公三軍事裁判日記」石田友雄より)
石田氏はヘブライ語が堪能な聖書考古学研究家で、岡本の裁判で通訳を務めました。岡本のこの発言を単なる狂気として切り捨てるのは簡単ですが、そうでない行き方もありそうです。
ちなみに私はオリオンも好きですが、冬の星座では「馭者(ぎょしゃ)座」と一等星カペラのオレンジ色の光が好きです。谷村新司の『昴(すばる)』という曲は、歌と星のイメージが合わないので好きではありません。まさかとは思いますが、谷村氏は昴=プレアデス星団を見ていないのではないでしょうか?
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https://youtu.be/dq1z1rkjw-E
1970年11月25日、三島事件が起きた時、私は小学校二年生でしたが、残念ながら当時の記憶はありません。それから10年後の12月9日、アメリカのニューヨークでジョン・レノン暗殺事件が起きました。レノンは政治家ではないので「暗殺」は少し違和感がありますが、やはり「暗殺」という言葉が一番ふさわしいように思います。
私は地元の進学校の高校三年生という、とても微妙な時期にありました。前の月に周囲の圧力に屈する形で、志望を理系から文系に変えるという選択をしてしまいました。翌年の3月に東大文Ⅲを落ちて、一浪することになりますが、今では文系・理系の問題は重要ではなかったと思っています。もっと前に大きな分岐点がありました。
それはともかく、ジョン・レノン暗殺のニュースを知って、私は自分が非常に喜んだことを覚えています。レノンを殺した犯人を賞賛する表彰状(?)を書いたほどです。おそらくその頃の私は国家主義や民族主義に惹かれ、人間らしい感情がなくなっていたのではないかと思われます。一浪した後で文Ⅲに合格して上京し、秋の駒場祭が終った頃から鬱状態になっていったのですが、その種(たね)はとっくに蒔かれていたのでしょう。
今思い出すと、当時の報道はひどいものでした。犯人は熱狂的なレノンのファンで、頭のおかしい男で、レノンに頼んだサインが気に入らなかったから殺したと報じられました。
アメリカという国は、本当にどうなっているのでしょうか。古くはマリリン・モンローの不審死、頭を飛び散らせたケネディ大統領、キング牧師、ロバート・ケネディと、枚挙に暇がありません。レノンが殺される直前には、大統領選挙で現職のカーターが敗れ、レーガンが当選していました。次期大統領にとってレノンが目障りだったことは間違いありません。レーガンが当選したとき、高校の教室では「この世の終わりだ・・」と言った同級生もいました。少し大袈裟かもしれませんが、間違ってはいないと思いました。家に帰って母親に話すと、母は笑いながら「東大に入ればいいよ」と言ったのです。私の母はその程度の人間でした。
レノンを殺した犯人マーク・チャップマンは、現在も服役中だそうです。この事件が過去のものでないことを、あらためて感じます。
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歴史的な米朝首脳会談の後、安倍政権は醜態を晒しています。今日は北山修さんの72歳の誕生日です。亡くなられた加藤和彦さん、はしだのりひこさんと三人で歌った『ザ・フォーク・クルセダーズ』の『イムジン河』が、完全に過去の懐メロになる日が来るかもしれません。
偶然ですが「イムジン」の名は、ジョン・レノンの名曲『イマジン』を思い出させます。もっとも北朝鮮の発音では「リムジン」とかで、全く違うイメージになります。三人は朝鮮学校に通っていた友人からこの曲を教わり、なんと美しい曲かと感動し、やはり友人の松山猛が日本語詞を書いたそうです。一番以外は原曲とは違うようですが、二番の歌詞は心に突き刺さるものがあります。

誰が祖国を二つに分けてしまったの
誰が祖国を分けてしまったの

1945年8月15日。日本の降伏のタイミングは、朝鮮民族にとって最悪のものでした。降伏がもう少し早くても遅くても、朝鮮半島が南北に分断されることは無かったと思われるからです。
朝鮮民族の統一を歓迎しない日本人は、少なからずいるものと思われます。隣に大きな国が出来るより、南北で睨み合っていてくれるほうが安心だという考え方でしょうね。それは、アジア人同士が仲良くなることを嫌い、永久に日本と中国を喧嘩させておきたいアメリカの意向ともリンクします。しかしトランプ大統領は歴代のアメリカの大統領と異なり、アジアからの撤退を望んでいるように思われます。
1972年、ニクソン訪中で劇的に変化した東アジア情勢に当時の佐藤栄作政権は対応出来ず、田中角栄が登場し、日中国交正常化を実現しました。栄作の大甥である安倍晋三も同じで、まさに大胆な転換が必要になっていると感じます。
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https://youtu.be/PoLRjWM9nQ4
今日は久しぶりに音楽の話です。1981年の石川セリのアルバム『星くずの街で』を取り上げます。10曲入っていますが、冒頭の『真珠星(Pearl Star)』は私のお気に入りの曲の一つです。
最初にこの曲を聴いたのは、池袋のプラネタリウムだったと思います。そのとき一緒に流れていたのが、当ブログで取り上げさせていただいた水越けいこさんの『星の子守唄』でした。懐かしい・・ほかには『池上線』で有名な西島三重子さんの『天体望遠鏡』も同時に聴いた記憶があります。
石川セリさんは日米のハーフで、井上陽水の奥さんです。以前テレビで見たとき「ライバルは誰ですか」と訊かれて「松任谷」と答えていらっしゃいました。でもたぶん、松任谷由実さんのほうではセリさんをライバルとは思っていないのではないでしょうか(セリさん、ごめんなさい)。ちなみに、このアルバムの2曲目は松任谷さんの作品『手のひらの東京タワー』です。ほかにも『朝焼けが消える前に』『霧の桟橋』という曲が松任谷さんから石川さんに提供されています。
『真珠星』は、パンタこと中村治雄さんの作品です。パンタがまた面白い人物で伝説のグループ「頭脳警察」のメンバーでした。『パール・スター』という曲名は「パンタ」から思い付いたのかもしれませんが、前年の1980年にはジョン・レノンがヨーコ夫人の目の前で「サインが気に入らなかった」ファンに銃殺されています。この曲を聴くと、同音の遥子夫人と三島由紀夫の『潮騒』や『美しい星』も思い出され、私の中ではすっかり三島由紀夫のテーマソングになっています。
パンタはこの曲とほぼ同時期、『スノー・キャンドル』『ムーンライト・サーファー』という二つの名曲もセリさんに提供しています。『スノー・キャンドル』はこのアルバムの4曲目に入っています。『ムーンライト・サーファー』は、かとうれいこさんが1991年にアデランスのCMソングとしてカバーされていて、そちらで知っている人が多いかもしれません。
7曲目の『バイ・バイ・オートバイ』と9曲目の『ローズ・バッド』は、あがた森魚さんの曲で秀逸です。
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