2018年06月

澁澤龍彦のエッセイ集『エロスの解剖』に収められたエッセイ『乳房について』の冒頭部分は、現代を鋭く抉り出しています。

産業資本主義のおそるべき発達を示した現代ほど、性的なシンボル(象徴)が街々に氾濫している時代はあるまい。すでにエロティシズムは完全に商品化され、様式化され、物神化されて、テレビやラジオ、あるいはマスコミなどを通じ、全世界の家庭にばらまかれている現状である。(中略)
アメリカのような資本主義の高度に発達した社会では、男性の性的な無力化はますます進行する。その一つの証拠として、「乳房コンプレックス」というものがある。これを説明しよう。
乳房コンプレックスの説を最初に発表したのは、シカゴの精神分析学者ユストゥス・クラインであった。クラインの説によると、アメリカの男性は無力な子供のようになっており、映画スターに代表される共通の母親像を求め、一種の近親相姦コンプレックスにおちいっている。アメリカの男性のあこがれる、乳房の異常に発達した女性は、社会学的な意味において、いわば乳母のような役目をはたし、青ざめた子供の男性に乳房を提供する、というのである。

三島由紀夫は『豊饒の海』第三巻『暁の寺』で、澁澤龍彦を思わせる文学者・今西康を登場させています。この今西が椿原夫人と共に、渋谷駅前でデモ隊と警官隊の衝突に巻き込まれ、やっとの思いで逃げます。そこで今西は足にからまった「黒いレエスのブラジャー」を拾ってしまい、夫人に怒られます。

それは黒いレエスのブラジャーであった。夫人が使う型とはセツ然とちがった(「セツ」が変換できないので失礼。引用者より)、よほど乳房に自信のある女のものにちがいない、サイズも巨きなストラップレスで、乳当てのまわりに織り込まれた鯨骨が、さらでだにその一対のふくらみを威丈高に、彫刻的に見せた。(中略)
ともあれ、焔と闇と叫喚のなかから、一対の巨きな乳房が切って落されたのだ。それはいわば乳房の繻子(しゅす)の抜け殻にすぎなかったが、それを支えていた乳房の張り、したたかな弾力は、却って黒いレエスの鋳型がありありと語っていた。その誇りのためにこそ女は故意に落し、月の暈(かさ)がかなぐり捨てられて、擾乱の闇のどこかに月があらわれたのだ。

三島は同性愛の傾向があったと言われますが、どうも乳房コンプレックスが強かった人ではないかと思わせるところがあります。逆に乳房に全く関心が無かったように思われるのが稲垣足穂で、彼は 晩年の作品『少年愛の美学』のはしがきで、これは『ヒップを主題とする奇想曲』であると述べています。その後の部分が面白いので、また引用しておきましょう。

サド侯の夥しい著作は、そのすべてが「それ自ら読まるるを好まぬ本」に属していた。即ち危険文書として永久に闇に葬られようがための情熱によって書かれたということを、銘記すべきである。「無限に意味深い作品とは、消滅すること、人間としての痕跡を残さないで雲霧消散してしまうことへの作者の欲望になるのではなかろうか」(マルキ・ド・サド)
「何か他の点(たとえば社会的、倫理的な点)で精神的に異常な人ほど性生活は規則的であり、他の点で並の人は性生活において異常なことが多い」とフロイトが云っている。私の今回の文章は前者のために書くのであるが、より多く後者の参考にならせたいとも願っている。それとも、主として後者のためにペンを執るが、前者に何事か寄与する処があればいい、と云い直した方が適当であろうか。

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前回の投稿で「エントロピー増大の法則」を説明しましたが、この法則が成り立つのは「断熱系」に限られます。文字通り、熱の出入りが無い閉鎖系ということです。コーヒーを沸かす部屋は厳密には断熱系とはいえませんが、窓を閉めきっておけば大ざっぱには断熱系と見なしてもよいでしょう。
では、地球全体はどうでしょうか。あるいは、それより大きな太陽系とか銀河系は? これについては竹内淳氏が『高校数学でわかるボルツマンの原理』(講談社ブルーバックス)で述べています。

地球には太陽光線によって膨大な量のエネルギーが降り注いでいますし、地球自身もエネルギーを宇宙空間に向かって放出しています。というわけで、地球は断熱系ではありません。
地球よりもっとずっとずっと大きな存在であって断熱系である可能性が高いものがあります。それは宇宙全体です。もし宇宙が断熱系であれば、エントロピー増大の法則により、宇宙全体のエントロピーは増大し続けることになります。

宇宙全体が一様な状態になれば、星も生物も存在せず、もちろん人間も存在しません。遠い未来はそのようになるのでしょうか? 熱力学を大成した物理学者ボルツマンは自殺で生涯を終えましたが、それは「宇宙の熱的死」を予測して悲観したためとも言われます。
宇宙は断熱系ではないという考えもあります。1929年にアメリカの天文学者ハッブルが発見したように、宇宙は膨張しているからです。
三島由紀夫は物理に詳しくはなかったでしょうが、宇宙には興味を持っていました。戦後日本や世界の行く末が、エントロピーの増大、全てが一様になって熱的死に向かうように思えたのかもしれません。
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シュレーディンガーは量子力学の建設で重要な役割を果たした物理学者ですが、晩年は第一線からは退き、むしろ哲学的な思索を深めました。その点ではアインシュタインに似たところがあります。
『生命とは何か』(岩波文庫、岡小天・鎮目恭夫訳)では物理的に見た生命の本質が考察されます。

生物体というものがはなはだ不思議にみえるのは、急速に崩壊してもはや自分の力では動けない「平衡」の状態になることを免れているからです。
(中略)過ぎ去った一頃しばらくの間、われわれはエネルギーを食べて生きているのだと教えられて、われわれの穿鑿好きが沈黙させられたことがあります。或る非常に進んだ国で、レストランの献立表に値段の他に一つ一つの皿のカロリー(エネルギー含有量)が書いてあったことがありました。わざわざいうまでもないことですが、文字通りとれば、これもまったく同様におかしなことです。なぜなら成熟した生物体にあっては、エネルギー含有量は物質含有量と同じく一定です。どんなカロリーだって、別のどんなカロリーとも同じ値打があることは確かですから、単なる交換がどんなに役に立つのかは理解できないでしょう。

シュレーディンガーの答えは「生物体は負(マイナス)のエントロピーを食べ、エントロピーを捨てて生きている」というものです。エントロピーはエネルギーを絶対温度で割った物理量で、統計的には「無秩序さの程度」を表します。従って、マイナスのエントロピーは「秩序の程度」を表します。生物体は周囲の環境から「秩序」を引き出し、「無秩序」を外に捨てることで維持されているわけです。
物理学では「エントロピーは常に増大する」という法則があります。これを「熱力学の第二法則」とも言います(第一法則は「エネルギーの保存則」です)。熱いコーヒーは冷めていって周囲の温度と同じになりますが、そのコーヒーがひとりでに周囲よりも熱くなって沸騰することはありません。人間が手を加えれば別ですが。
食べ物や飲み物は色彩も匂いも味もバラエティー豊かですが、排泄物(糞尿)は色も匂いものっぺらぼうで、いかにもエントロピーが高そうです。
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イスラム教の『コーラン』を初めて読む気になったのは、礒部浅一が北一輝の『日本改造法案大綱』を「我が革命党のコーラン」と呼んで信奉していたことも少しあります。去年の12月21日のブログで触れました。
前から「コーランは読むものではなく朗唱するもの」と聞いていましたが、井筒俊彦訳の日本語で読んでも、それは伝わってきます。もっともコーランはアラビア語のもので、外国語に翻訳してはいけないそうです。翻訳ではなく「解説書」なのだそうです。もっとも、翻訳とはすべて解説に過ぎないのかもしれません。
コーランは、魔力のある聖典という感じがします。「魔」と言ってはいけないのでしょうが。ユダヤ教は勿論ですが、マリアの子イエス(マルヤムの子イーサー)を「神の子」と言ったり、三位一体説を取ったりするキリスト教をも激しく攻撃します。イスラム教で救われている人々が世界に数多くいるのも分かるような気がします。
およそ宗教には自力門と他力門がありますが、自力門の代表をインド教とすれば、イスラム教は他力門の代表で、極限に突き詰めた教えと言えるでしょう。人はアッラーから来て、アッラーに帰りゆく。信じる者は楽園に行けるが、信じない者は地獄の火に焼かれるという恐ろしさが繰り返し強調されます。
イスラム教と言うと中東の沙漠が思い浮かびますが、イスラム教の最大の人口を持つ国はインドネシアであり、日本人にも身近な宗教と言えるかもしれません。
イスラム教国の国旗に星と三日月を描いたものが多いのは、やはり沙漠の宗教だからでしょうか。「赤十字」は勿論イスラム教では駄目で、赤十字に相当する団体は赤新月であり、イスラエルでは赤いダビデの星であることもよく知られています。
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旧約聖書の『創世記』にはアダムの次男アベルを殺して追放された長男カインの系図と、三男セツの系図が分けて記載されています。このうちセツの系図は歴代の「子供を生んだ年齢」と「死んだ年齢(享年)」が記されており、日本書紀の歴代天皇より長い不自然な長寿になっていることで有名ですが、カインの系図にも奇妙な記事があります。

カインはその妻を知った。彼女は身ごもって、エノクを生んだ。彼は町の建設者となり、その町をその子の名に従ってエノクと名づけた。(関根正雄訳)

アダムとエバが最初の人類ならば、この「妻」は誰でしょうか。三人だけで「町」を建設したのでしょうか。続く記事も奇妙です。

エノクにはイラデが生まれた。イラデはメフヤエルを生み、メフヤエルはメトシャエルを生み、メトシャエルはレメクを生んだ。レメクは二人の妻を娶った。そのひとりの名はアダといい、他のひとりはチラといった。アダはヤバルを生んだ。彼は天幕と群の間に住む者の先祖となった。彼の弟はユバルといった。彼は琴と笛とを扱うすべての者の先祖となった。チラもまたトバルカインを生んだ。彼はすべての銅と鉄の鍛冶の先祖となった。

ノアの洪水でノア夫妻、セム夫妻、ハム夫妻、ヤペテ夫妻の八人を残して人類は一度滅びたはずですが・・?
日本書紀の「一書に曰く」のような異伝とも見られますが、スウェーデンボルグはアダムを人類の始祖とは考えず、神から霊感を得て「原古代教会」を創設した人々を意味すると考えます。ノアの洪水も「霊的な」洪水であり、物理的に人類が滅びたわけではなく、堕落した人類を再興させる「古代教会」を建てた人々をノアと呼んでいると言うのです。
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