2018年08月

小田周二さんの『日航123便 乗客乗員怪死の謎 524人の命乞い』65頁では、123便の撃墜許可を要請する自衛隊幹部に対し、中曽根首相は次のように語ったとされます。
「国民に知られないようにできるなら、許可しよう」
目撃者、生存者が出たらどうするかと問われると
「何とかしろ」
小田さんは「あとがき」で次のように語ります。

災害のたびに出動し、多くの被災者の救援にあたってくれる自衛隊。その自衛隊が自国の民間機を撃墜? まさか!
(中略)
多くの方が反射的に「まさか」と思うのは、悪夢のような戦争を戦後70年にわたって忌避し、ある意味で日本が長いこと平和だったからなのかもしれない。先進国であれ発展途上国であれ、戦争が身近な国や地域では、軍隊がそのようなことをしかねない組織であることは当たり前だからだ。

今日は「終戦記念日」です。この「終戦」という言葉は欺瞞的で、実態は「敗戦」です。戦争の末期、沖縄でアメリカ軍は火炎放射器で多くの日本人を焼き殺しましたが、旧日本軍も市民に降伏を禁じて自決に追い込み、十万人もの市民が犠牲になりました。
旧日本海軍の少佐であった中曽根にとって、自衛隊の不祥事を隠蔽するために民間人の数百人を殺すことなど、何でもないことかもしれません。
青山透子さんも『日航123便墜落の新事実 目撃証言からの真相に迫る』186~187頁で、次のように述べています。

平時の訓練でいくら守るべきものは自国民だ、と思ったとしても、臨場感や緊張感を持つためや、訓練の効率性を上げるために民間航空機を仮想敵に見立ててしまう、ということの可能性がゼロとは言えまい。・・
さらに、何か失敗した場合、自分たちの都合の悪い情報は隠したいという心理も働き、その情報が開示されることの影響が多大であることへの恐怖心も強いだろう。

日航機「事故」には伏線がありました。1971年7月30日、岩手県雫石(しずくいし)町上空で自衛隊機と全日空機が衝突し、162人の犠牲者を出した「雫石事故」です。全日空機は乗客・乗員とも全員死亡し、自衛隊員はパラシュートで脱出しました。この責任をとって増原防衛庁長官は辞任しましたが、わずか三週間前まで防衛庁長官を務めていたのが中曽根でした。彼はこの事故から何を学んだのでしょうか。「今度は絶対に隠し通す」と誓ったのでしょうか。
中曽根は1970年11月25日の三島事件の時も防衛庁長官でした。3日に外人記者クラブの会合で「楯の会」をどう思うか聞かれ「宝塚少女歌劇を思い出す」と答えています。(小室直樹『三島由紀夫と「天皇」』天山文庫、196頁)日航機「事故」ではタカラジェンヌの北原遥子さんも犠牲になっており、ご冥福をお祈りします。
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1985年(昭和60年)8月12日18時56分、524人を乗せたジャンボ機が墜落し、520人もの犠牲者を出した日本航空123便の墜落事故。この「事故」にも以前から疑問や論争が絶えません。
この「事故」は田中角栄が脳梗塞で倒れた半年後、佐藤昭子さんが秘書を解雇された2か月後に発生しました。もし「目白の闇将軍」と「越山会の女王」が健在だったら、520人は死なずに済んだかもしれません。  
去年、元日本航空客室乗務員の青山透子さんが書かれた『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』を読みました。これは多くの日本人が読むべき本だと思います。
墜落した8月12日の20時頃、「ただいま現地救助に向かった自衛隊員数名が何者かに銃撃され、死者負傷者が多数出た模様です」という緊急報道があり、数分後に「先ほどのニュースは誤報でした」と取り消されたそうです。(71~72頁)
ある元テレビプロデューサーは「誰も後部圧力隔壁が事故原因だなんて、いまさら信じている人はいない。ただし、決定的証拠がなければテレビ局全員の首が飛ぶ。日米戦争になるという人もいる。戦争になってもいいのですか?」と言った。(75頁)
墜落の直前、日航機を自衛隊のファントム2機が追尾していたことを多くの人々が目撃していたといいます。日航機の腹の部分にはミサイルと思われる赤い物体が付いていました。上野村の人達が「墜落場所はここです」と知らせたのに、テレビは一晩中、別の場所に墜落したかのような報道を続けていました。救助活動は翌日から始まったと発表されていますが、多くの飛行機やヘリコプターが12日の墜落直後から活動していたのを上野村の人達が見ていました。彼らは「救助」ではなく、「証拠隠滅」を必死に行っていたと考えられます。
私も覚えていますが、この事故で亡くなった人達の遺体は、通常の事故では考えられないほど激しく損傷していました。青山さんは詳細な科学的根拠を挙げて、これがアメリカ軍または自衛隊による証拠隠滅作業のためだったと思われることを論証しています。
520人もの命を奪ったのはアメリカ軍だったのか、それとも日本の自衛隊か。これについては青山さんは判断を保留しています。しかし日本は実質的にアメリカの属国であり、自衛隊はアメリカ軍の現地人部隊ですから、どちらでも大差はないと私は思います。ただ、先に紹介した緊急報道が本物だったならば、自衛隊とアメリカ軍の間で連絡がうまく行かず、自衛隊員がアメリカ軍に殺された可能性もあります。それとも自衛隊の同士討ちか?
青山さんは山下徳夫・元運輸大臣が言った「日本は何でもアメリカの言いなりだからね」という言葉を聞いて、次のように記しています。

これはよく言われるような国の軍隊が強いか弱いかの問題よりも、むしろ国家間の交渉過程における毅然とした態度そのものが重要なのではないだろうか。・・様々な状況で生じる自分側のミスも相手の脅しも隠蔽するのではなく、必ず情報を開示するという姿勢こそが相手の襟を正させるのではないだろうか。
もしかすると、「言いなり」ということを利用して、自分の損得に絡める人が内外に存在し続けるからこそ、いつまでも言いなり状態が続くのではないだろうか、という疑念も湧く。(100頁)

青山透子さんは最後に近い部分で次のように記します。

自分の置かれた立場の都合で、嘘を語ることは当たり前だ、と勘違いしていないだろうか。嘘は、嘘をつかれた相手を一生傷つけ続けるものだ。そして嘘をついた側にも一生、胸にしこりが残るものである。それを解決する方法は、嘘をついた人による心からの謝罪以外にない。(190頁)

去年は青山さんの本の他に、「事故」で子供たちを殺された小田周二さんの『日航123便乗客乗員怪死の謎 524人の命乞い』も出ました。この本で小田さんは、520人を殺したのは日本の自衛隊であり、それを命じたのは当時の総理大臣・中曽根康弘だとしています。自衛隊の訓練中に無人の標的機が123便に衝突してしまい、それを隠蔽するために123便を撃墜し、さらに特殊部隊を送って生存者を焼き殺したというのです。それでも遠く離れた場所に落ちた4人はミスで生き残ってしまった。
同書230頁によると、中曽根は「123便の真相は墓場まで持っていく」と言っているという。本当に怒りを覚えます。彼は100歳ですが、まだボケていないのなら、すぐに記者会見して真相を話してもらいたいです。
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何十年ぶりかで手塚治虫の『火の鳥・太陽編』を読み返してみましたが、三島由紀夫の『豊饒の海』で輪廻転生のシンボルとなる「三つの黒子」が冒頭の部分に描かれており、驚きました。
『火の鳥・太陽編』は古代と近未来が交錯する物語です。古代は西暦663年の白村江(はくすきのえ)の敗戦から672年の壬申の乱であり、近未来は1999年から2009年です。2018年の現在では過去になってしまいましたが・・
古代の朝鮮半島では高句麗・百済(くだら)・新羅(しらぎ)の三国が争っていました。百済の友好国であった倭(日本)は百済を助けて出兵し、新羅とその後ろ楯であった唐の大軍と戦いますが大敗し、百済は滅び、倭は半島から撤退しました。
物語は白村江の海戦に続いて激戦となった州柔城(つぬさし)から始まります。ここでも倭と百済の連合軍は敗れ、唐軍に捕まった捕虜の中に高貴な身分らしい青年がいました。唐の将軍はその青年の正体を知るため、右腕を見せるように命じました。すると右の上腕部に三角形の黒子のようなものが現れました。将軍はそれを見て「おまえは百済国王・余豊璋の一族ハリマだな」と正体を見破りました。
この場面の意味はよく分かりません。三角形の頂点だけでなく辺も描かれており、黒子ではないかもしれません。黒子らしきものはここ以外の場面では一切現れません。
三島由紀夫は手塚治虫の漫画を読んだと思われますが、手塚が三島の小説を読んだとは考えにくいです。それでも三島の切腹は大事件であり、『豊饒の海』は遺作ですから、手塚もあらすじは知っていたかもしれません。
それとも、出口王仁三郎の『霊界物語』からヒントを得たのでしょうか。ただ王仁三郎の黒子はオリオンの三つ星のように一直線だったらしいので、三角形ではありません。三島の『豊饒の海』では一直線なのか三角形なのか分かりにくいという話は、当ブログでも解説しました。
『太陽編』は手塚のライフワーク『火の鳥』の最後の作品でした。手塚は『太陽編』の後、さらに『大地編』を構想していました。残されたノートによると、『大地編』は西暦1938年(昭和13年)日中戦争の「勝利」に沸く上海(しゃんはい)に始まる物語でした。この作品を読むことが出来ないのは残念です。
沖縄県知事・翁長雄志さんのご冥福を心からお祈りします。
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1970年の夏、三島由紀夫は陸上自衛隊の山本舜勝一佐に宛てて速達便を送りました。その中には当時の佐藤栄作内閣に向けての「建白書」が含まれていました。小室直樹『三島由紀夫と「天皇」』によると、この建白書の冒頭は次のように、核兵器の問題から始まっています。

私は戦後の国際戦略の中心にあるものはいうまでもなく核だと思います。そして核のおかげで、世界大戦が避けられているのも事実ですが、同時に核が総力戦体制をとることをどの国家にも許さなくなりました。なぜなら、総力戦体制をとった戦争はただちに核戦争を誘発するからであります。そして世界戦争の危険がさけられると同時に限定戦争と云う新しい戦争が始められました。

三島は建白書の後半で再び核兵器に触れ、核の真の恐ろしさは人間のモラルを破壊したことだという考えを述べます。

・・佐藤さんがアメリカにいらした時に、沖縄の核兵器の基地を撤去するかしないかの問題を新聞記者会見でつっこまれました。この問題についてはわれわれは両国間の暗黙の腹芸としていえないとおっしゃった。・・これが普通の武器でしたら使う武器ですから、ここに日本刀が三丁あるぞ、ここに機関銃が三丁あるぞといった方が有利なはずです。それなのにいえないところに核の面白さがある。これで私は武器と魂、武器とモラルというものの結び付きが非常にこわれてきた。・・あるかないか分からんものに対して、どうして人間はモラルをかけることができるか。

そして三島は、昔の日本人が武器とモラルを結び付けていた日本刀の原理を復活すべきだと論じます。この論の当否はさておき、次のような三島の主張も貴重なものを含んでいるように思われます。

もし自衛隊が武士道精神を忘れて、いたずらにコンピューターに頼り、いたずらに新しい武器の開発や、新しい兵器体系という玩具に飛びつくことによってしか日本の防衛が考えられないようになったら、その体質において自衛隊は超近代軍隊というものが持つ非常な欠点が表われる。それは軍の官僚化ということ、次は軍の宣伝機関化・・軍の技術者化。

昭和天皇は戦争の敗因について「軍人が精神のみ重んじて科学を軽視したこと」と言われたそうです。これは浅薄な見方と言わざるを得ません。多くの日本人も、あの戦争はアメリカの科学技術と物量に負けたと思っているようです。そして中国人や韓国・朝鮮人(在日を含む)を人とも思わず、蔑視し続けています。
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去年、河出書房新社から発行された『文藝別冊 澁澤龍彦ふたたび』で、巖谷國士(いわや くにお)氏が次のように語っています。

そういえば、澁澤さんは資産家の血筋を引いているせいか、経済的に余裕があったと誤解されたりしますけれど、むしろ若いころには苦労した人です。澁澤榮一が遠い縁戚ですが、お父さんは銀行マンで、1955年に野外で倒れて急死して、そのころ結核で安静を命じられていた澁澤さんは困窮します。岩波書店の校正部に入ってぎりぎりの生活をしていた。・・澁澤さんにはむしろ趣味なんかない。趣味のない人が本気で遊ぶから、「夢の」宇宙誌ができるわけです。

友人であった三島由紀夫も、澁澤を誤解していたようです。(もちろん全く違う意味で)『豊饒の海』第三巻『暁の寺』第二部に登場する今西康というドイツ文学者は、澁澤龍彦がモデルだと三島自身が語っていますが、澁澤に言わせると次のようなことだそうです。

今西という不健康な、性的妄想に取り憑かれた、愚にもつかぬ駄弁を弄するインテリが出てくるために、「暁の寺」は『豊饒の海』四部作のなかでもいちばん暗鬱な、重苦しいものになっている。こんな人物のモデルと目されたらやりきれないが、それでも三島をして、そう言わしめたことに対する責任の一端は私にあると考えなければならないだろう。三島は私をよほど不健康な人物と誤解していたようだが、私も三島の前で、いくらか演技をしていたということがないとはいえなかった。

なるほど。では今西の真のモデルは誰なのかというと・・

昔から知識人を戯画化するのが好きだった三島は、今西において「観念上の血に酔ひしれた」インテリの醜い末路を描き出した。ユルスナールも指摘しているように、むしろ今西は「ありえたかもしれない三島自身のすがた」と考えたほうが当っているだろう。

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