1989年は、1月7日に昭和天皇が崩御し、元号が平成に代わった年でした。11月9日にベルリンの壁が撤去され、ドイツ統一とソ連崩壊への流れが決定的になりました。しかし中国では、4月の胡耀邦前総書記の死をきっかけに民主化運動が盛り上がり、労働者と学生たちがデモを繰り広げました。これに対してトウ小平を中心とする中国共産党指導部は6月4日、北京の天安門前広場に大軍を投入して大弾圧に踏み切りました。
この事件は、私の中で未だに決着がついていません。当時、私は依然として精神的に不安定ではありましたが、ようやく復学して卒業の見通しがつき、表面的には回復してきていました。あの事件の衝撃は、言葉にすることが出来ません。
誤解されているかもしれませんが、東大駒場の中国語クラスは、中国共産党のシンパではありません。合宿で「インターナショナル」を歌ったのは事実ですが、「♪わたしのすきな ぺきんのてんあんもん われらをみちびく いだいなもうしゅせき」という歌詞の歌(タイトルは忘れました)の「もうしゅせき(毛主席)」をいろいろな人物に替えて面白おかしく歌ったりもしました。それでも中国革命は基本的に正しい方向だと感じていました。
かつての日本の安保闘争が、右翼に言わせればソ連と中共の煽動であったように、あの事件はアメリカの煽動だったのかもしれません。事件の後、アメリカや日本では、中国共産党がソ連のようにすぐにでも崩壊するかのようなキャンペーンが行われましたが、30年経っても中国共産党は存続しています。
中国は古代から戦争と革命が繰り返された国です。古代の革命とは王朝の姓が代わる「易姓革命」ですが、孫文と毛沢東の革命は近代的なように見えても「易姓革命」の変種に過ぎないという見方もあります。
日本は平和が続いた国です。戦国時代は日本史の中では苛烈な時代でしたが、中国風に言えば戦国時代ではなく、春秋時代のようなものです。大名たちは天皇と将軍の権威は認めていたからです。織田信長さえ天皇を滅ぼすことはしませんでした。たとえ考えていたとしても。
私はカーチス・ルメイの無差別爆撃は許せないと思っていますが、中国人から見れば、日本人は何とウブな国民かと思うでしょう。たった一度、初めて外国に占領されただけで、その国に永遠についてゆき、その世界征服を助け、その国の盾になって滅びようとするとは。
安倍晋三が親中外交に舵を切ったのには開いた口が塞がりませんが、悪い方向ではないでしょう。今後も警戒して見てゆきたいと思います。
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