2018年11月

これはエッセイ集『エロスの解剖』に収められた一編で、なかなか興味深いです。冒頭から面白いです。

サド侯爵の作品やエロティック文学の研究をしているうちに、パリ国立図書館の「危険書庫」というものに興味をもつようになった。パリの国立図書館は、さかのぼれば十六世紀フランソワ一世の黄金時代に端を発しているが、十九世紀の初頭から、その一郭に、とくに風俗壊乱の惧れのあるエロティックな書物を集めた、公開禁止の部屋が設けられて、それが「危険書庫」と呼ばれてきたわけである。

こうした書庫はパリだけでなく世界中にありますが、澁澤先生は大変にお詳しいようです。さらに拝聴しましょう。

エロティック文学を集めた書庫に「地獄」室とか「秘密」室とかいう大げさな名前をつけたがるのは、そういうものに対して通常人が感じる、当惑と恐怖の証拠かもしれない。(中略)厳重に公開を禁止している「地獄」室もあれば、一般人にも比較的容易に見せてもらえる書庫もある。ヴァティカンの図書館では、書物好きの研究者のために便宜をはかってくれるし、パリの国立図書館でも、学者や研究者の閲覧希望はかなり自由に許してもらえる。ワシントンの国会図書館は、この点に関してまったく自由で、十六歳以上の年齢の者なら誰でも閲覧を許される。ただし・・

「ただし」の後が気になりますが、それほどのことはありません。

ただし、閲覧者が本を見ているあいだ、背後にピストルをもった髭の番人が控えているというから、あまりいい気持ちはしないだろう。これは、挿絵のあるページを切り取って持って行くような不心得者がいるためである。

私も最近、佐藤昭子さんの本を色々な図書館で見ましたが、ある図書館では彼女の水着写真のページが切り取られていました。とんだ不心得者がいるものです。誓って申しますが、切り取ったのは私ではありません。
図書館の職員にも色々な人がいますが、私がいた頃、東京大学の本郷の図書館員は最悪でした。あまり愛想が悪いので、わざと怒らせて一触即発になったこともあります。当時は私も不安定で(今でも不安定ですが)少し悪かったかなとも思います。
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澁澤龍彦のエッセイに「ピエール・アンジェリック『エドワルダ夫人』について」という作品があります。この『エドワルダ夫人』という小説は1955年に刊行されましたが、哲学者のジョルジュ・バタイユが序文を書いており、実はバタイユが変名を使って書いた小説と見られています。この中で澁澤は「笑い」について考察しています。

人間は生殖器ないし性行為を笑いの対象とする傾向があるが、この笑いは、じつは恐怖の表象に他ならない、ともバタイユは言っている。笑いは一種の妥協の態度なのだ。しかしエロティシズムの本質は、元来笑いとは少しも関係のない、悲劇的なものであるはずだ。…

稲垣足穂も『少年愛の美学』でバタイユを引用して同じ考察を行なっています。

「笑い」とは何か?バタイユは「それは道徳的治外法権だ」と云っているが、私は笑いをもって共存体における一種の警告だと見る。しかしそれだけではない。笑いは、確かに凝固を解きほごす作用を持っているが、他面は一種の慣れ合いである。つまり怖いからでないのか?恐怖すべき或物を眼前にして、これが格別に崇高とか厳粛とかの印象を与えなかった場合に、われわれは笑という誤魔かしの手によって、当のものと妥協しようとするのである。

三島由紀夫は大声で笑う人だったようですが、『美しい星』で、火星人の大杉重一郎が白鳥座61番星人に語る「人類の五つの美点」の最後に挙げられるのが

そして彼らはよく笑った。

という美点であり、これを宇宙人の言葉に翻訳すると

そして時には、彼らは虚無をしばらく自分の息で吹き飛ばす術を知っていた。

となると重一郎は説明し、更に解説します。

人間は、朝の太陽が山の端を離れ、山腹の色がたちまち変るのを見て、はじめて笑ったにちがいない。宇宙的虚無が、こんなに微妙な色彩の濃淡で人の目をたのしませるのは、全く不合理なことであり、可笑しな、笑うべきことだからだ。(中略)そして笑っているときだけ、彼らは虚無をないもののように感じ、いわば虚無から癒やされたのだ。
そのうちに人間どもは、自分たちの手で笑いの種子を作るようになった。しかしいつも笑いの背後には、虚無の影が必要で、それがなければ、人間の笑いの劇は完成しない。その劇には、必ず見えない重要な登場人物が背後をよぎり、しかもそれが笑いによって吹き飛ばされる役を荷っていた。

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私の机上には星座早見盤が置いてあります。天文宇宙検定に合格した時に副賞でもらったものです。アナログに手で動かす原始的なものですが、日時と季節に従って見える星座が分かり、なかなか便利なものです。
稲垣足穂は『横寺日記』の8月21日に、プラネタリウムについて考察するエッセイを書いています。

「プラネタリウムはいつ観ても同じことだ」と云う人がある。天球を模したものである限り、南極の天だって、太古のアッシリヤの夜天だって、ただ星が散らばっているだけの話である。天文書には似たり寄ったりの図解と写真が嵬められ、科学画報は秋毎の天体特集号にいつも同じ記事と挿絵を載せているが、これも本来しかあるべきだ。題目が映画流に着換えられるものならば天球でも何でもなかろう。天文学が魅惑をそそりながら人気がないのはその関係である。然し、人々が追っかけ廻している項目にしたところで同じでないか。たとえば新聞雑誌にしても、そこで何物かが常に変りつつあると思いこまれているまでの話でないか。

私も子供の頃、プラネタリウムに行った時、ここまで言語化は出来ませんでしたが似たようなことを感じました。当時のプラネタリウムはドームの中央に大きく横たわり、まるで蟻の怪物のように見えました。今のプラネタリウムは小さくなって、もちろん投影される星空がよく見えて進歩しているのですが、どこか物足りない気もします。
足穂はエッセイの続きで、さらに重要なことを述べています。

プラネタリウムは現代に於ける最も精巧な玩具の一つだが、幻灯仕掛による錯覚以外に別に天体への繋りは持っていない。人工の丸天井に懸った新月や満月は似て非なるものとさえも云えない。金星及び木星に到っては云うも更なり。若しそれ、「ひじり達にも不可思議を覚えせしむ」銀河に及んでは、その暗示だに不可能である。

人間はただ視覚のみをもって、星空と繋がることが出来ます。触覚、嗅覚は言うまでもなく、聴覚さえも役に立ちません。それを無理に繋げようとするとロケットの助けを借りる他はなく(ロケットに爆弾を載せればミサイルになるわけですが)砂漠に基地を建設し、発射時には恐ろしい騒音と震動を周囲にもたらします。やはり、やり過ぎなのかもしれません。
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https://youtu.be/Ixrje2rXLMA
久しぶりの洋楽です。私は洋楽はほとんど聴きませんが、中学の頃にオリビア・ニュートン・ジョンがこの曲を歌っているのに興味を持ちました。この歌の作者がカントリー歌手のドリー・パートンで、それから彼女の歌も聴くようになりました。
ドリーが作った有名な曲としては "I Will Always Love You" もあります。これはホイットニー・ヒューストンの歌でよく知られています。
黒田有彩さんはホイットニーの大ファンで、ある時のメルマガでホイットニーが歌うアメリカ国歌が素晴らしいと書いていました。これは私には全く理解出来ない感覚です。日本人が「宗主国」の国歌に感動する理由が何処にあるのでしょうね?そうかと言って、「君が代」もそれほど好きでもないのですが・・
黒田さんは中学の時に、兵庫県に応募した作文が優秀賞になって、副賞がアメリカ旅行だったそうです。その時にNASAに行って宇宙飛行士になりたいと思ったとか。そう言えば太田裕美さんも、息子に宇宙飛行士になってほしくてNASAに連れて行ったという話をされています。
三島由紀夫の『美しい星』や『豊饒の海』(月の海から名付けられた)もそうですが、私の子供の頃は宇宙の特撮やアニメが溢れていて、多くの子供が影響されたのではないでしょうか。私の場合、天文学者になりたいと思っても宇宙飛行士になりたいとは思いませんでした。運動神経が悪かったこともありますが、何処となく胡散臭さを感じていたような気がします。
宇宙ステーションで働く人たちも職場が少し地上から遠いだけで、地上の建設現場やトラック輸送で働いている人と違うことをしているわけではありません。宇宙で働くから何となく偉いような気がするという思考では、まだまだ修行が足りないのでしょう。
宇宙ステーションと言っても僅か400キロメートル程度の高さで、「宇宙」と呼ぶのは違和感があります。アポロ宇宙船が本当に月まで行ったのなら、間違いなく「宇宙」でしょうが、ヴァン・アレン帯を越えて行こうとするのは地球生物の分を越えた驕りのように思えます。
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田中角栄の秘書で愛人だった佐藤昭子さんと、1959年に日本人初のミス・ユニバースになった児島明子さんは、「アキコ」という名前の他に、スリーサイズがほぼ同じという共通点があります。もっとも、身長は児島さんのほうが10センチほど高いのですが。
児島さんについて調べてみましたが、世界大会の後で「豊胸手術を受けている」という「スキャンダル」が出て、ご本人が否定するという事件があったようです。ミス・ユニバース大会に整形禁止の規定があるわけでもないので「スキャンダル」はおかしいのですが・・。当時の写真を見ると分かりますが、児島さんのバストの大きさは水泳選手として鍛えた胸郭の広さによるもので、佐藤さんのように豊満なタイプではありません。しかしウエストが細いので、ドレスを着た写真などでは乳房が大きいように錯覚させられるものもあります。アジア人に優勝を奪われたヤッカミではなかったかと私は思っています。
実は児島さんは前年の1958年のミス・ユニバース予選にも出ていて、日本大会で優勝候補と言われていたのに、出場者のパレード(当時はそんなものがあったのですね!)の交通事故で重傷を負い、棄権を余儀なくされたということです。本当に「事故」だったのでしょうか?疑問はありますが、たぶん真相は分からないでしょう。
児島さんは1966年に宝田明と結婚し、長女で歌手の児島未散さんら3人の子供(2男1女)を育てましたが、1984年に離婚しています。どうも宝田明の浮気が原因のようです。数年後には宝田明の「隠し子」騒動も起きています。人物事典で「宝田明と児島明子の間には2女がいる」と誤って記したものがありますが、たぶんこの騒動の影響かと思います。
しかし、時の流れは早いものですね。パレードでの交通事故など、起きた当時は大きな騒ぎだったに違いありませんが、60年も経つと誰も覚えていません。児島さんが世界一になったことで、そういうことは忘れられてしまったのでしょう。児島さんは1953年の日本大会にも出ていて、その時は伊東絹子さんに敗れています。
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