2019年01月

平成がもうすぐ終わりますが、30年前に昭和が終わった時も、私は人生の岐路にありました。いま再び似たような状況を迎えていることに不思議な感慨があります。
1990年3月に漸く大学を卒業した後、4月に実家に戻ってしまいましたが、ぎりぎりまでどうするか決めかねていました。大学のカウンセリングは既に行かなくなっていましたが、久しぶりに行ってみたところ、初めての先生から就職先を紹介されました。確か大企業の子会社のコンピュータ会社だったと記憶しています。しかし不調に終わりました。
はっきり覚えていませんが、事務系と技術系のどちらを希望するのかと聞かれて「技術系」と答えたらしく、以後の面接でその前提で進んでいくのに違和感を覚え、「どちらでもいい」と言おうとしたら、明らかに言葉を遮られました。まあ、当然でしょうね。
帰郷した後も何をしようという気もなく、母親から言われるままに就職情報誌を買って会計事務所に行き、6月から採用されて9か月ほど続きました。会計など何の興味もないのに、よく続いたものです。翌年の1月に遂に限界が来て、朝に家を出た後、事務所を無断欠勤して新幹線に乗って東京に行きました。東京では大学時代の数少ない知人に会い、その知人の勧めに従って夜行列車で帰郷しました。私が出勤しなかったことで事務所から実家に電話がかかり、父親が謝りに行ったと聞かされました。
数日経って事務所に行きましたが、特に叱責はされず、3月15日の確定申告期限までは忙しいので働いてほしいと言われました。言われるままに働き、3月15日で辞めました。
以後の数年間はまた母親に言われるままに、簿記や税法の専門学校に通ったり、自動車学校に行ったりしました。自動車運転免許は結局取りましたが、取るまでが大変でした。最初に行ったところでは教官の態度が頭に来て、また黙って東京に行こうとしました。父親に連れ戻されましたが、その学校は辞めざるを得ず、別の学校に行きました。そこでも教官と喧嘩になりましたが、別の教官に代えてもらってようやく卒業しました。自動車学校の教官と言うのは、どうしてあんなにおかしいのでしょうか。
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三島由紀夫は頭が良いと言われていましたが、数学や論理学に興味を持った形跡はなく、嫌いだったようです。彼は論理的な学問としては法律学をむしろ好んでいました。
これは私の父も同じです。父も数学嫌いで法律好きでした。父の一族の間には「法学部信仰」が広まっており、私も大学の法学部に行かせようとしていました。
前回に投稿した著書の中で、長沼伸一郎氏は次のように書いています。

どうも思うのだが、現代数学の勉強というのは、法律の勉強にかなり近いところがあるらしい。よく誤解されていることに、数学というのは論理を扱う学問だから論理的思考能力だけが必要とされ、一方法律というのは暗記ものだから記憶力ばかりが要求されるという通念があるが、いろいろな学問に接してみて思うのは、およそ現代数学以上に記憶力が要求される分野はないと言っていいのではないかということであり、実際、歴史学でもこんなに記憶力は要求されないのではないかとすら思える。これに対して、法律というのは必ずしも暗記一辺倒のものとも言えないもののようである。

この後に続く長沼氏の文章は辛辣で愉快です。

そしてこの両者に共通する特徴が一つあり、それはその内容が極度にわかりづらい、頭の痛くなるような言葉で記述されているという点である。法律の言葉というのは、ほんの簡単なことを言うのにも、難解この上ない表現を用いる。しかしこれは別に法律家の権威主義のためではない。法律というのは、あいまいな言葉で書いておくと、そのすきを狙った「合法的犯罪」が跋扈することになってしまう。そのためわかり易さは二の次にしても、そういうすきを見せないよう極度に厳密な表現をとらざるを得ないのである。

上に引用した長沼氏の文章は「連続」の表現方法を説明する箇所で出てきます。「連続」は「無限」と並んで多くの数学者を悩ませた魔物でした。この議論は三島が『豊饒の海』、特に『暁の寺』で取り組んだ唯識論に通じるものがあります。三島が数学に興味を持っていたらどうだったろう、と考えるところはあります。
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この本は講談社ブルーバックスでも私の愛読書です。数学や物理の多くの問題が興味深く扱われていますが、最後の「やや長めの後記」に重要な指摘が書かれています。
長沼氏は「天体力学の壮大なる盲点」「三体問題の不思議」と題して鋭く切り込みます。

天体力学において、扱う天体の数が2個、つまり地球と太陽、あるいは地球と月だけの「二体問題」を考えるならば、問題は完全に解けて天体の運行はきれいな関数で表現され、未来永劫いかなる時間の位置も完璧に知ることができる。
ところがそれに対し、地球・太陽・月の三つの天体の影響が絡み合う「三体問題」になるや、途端に問題は解けなくなってしまい、ニュートンから300年を経た努力の末にも、その天体の運行状態を示す解や関数はついに見つからなかったというのである。
たった三つでもう駄目とは一体どういうことだろうか。

私も子供の頃に天文学に魅せられましたが、日蝕や月蝕などの天体現象が秒単位まで予言出来るという神秘性が大きかったと思います。天体力学は三体問題も解けないのに、何故そんなことが出来るのでしょう? 長沼氏は種明かしをします。

考えてみると太陽系は多くの天体で構成されていて、本来それらの運動はすべての天体の引力が複雑に絡み合った、三体問題以上に複雑な多体問題として考えねばならない。つまり本来ならお手上げの問題のはずだが、太陽系の場合、一つの特殊事情があった。すなわちそこでは太陽の引力だけが突出して大きいため、他の惑星が発生する重力の影響はほとんどゼロと見なしても良かったのである。(中略)
そのため当時の知識人たちは誰も彼もがその壮大な調和に圧倒され、この手法こそ天体と言わず世界そのものを解き明かす究極の鍵であるとの確信ないし錯覚を抱いてしまったことはまず間違いない。
実際こんなものを目の前に突き付けられたとき、まさか天界の問題よりもむしろ卑近な地べたの人間社会などを解析するほうがよほど難しいなどとは当時の人々にはちょっと想像できないことではあったろう。
そのようにして彼らは太陽系の見せかけの調和に幻惑されて、この世界全体が一種の「調和的宇宙=ハーモニック・コスモス」であると錯覚するに至り、その後はもう天体と言わず社会全体にそれを無制限に拡大解釈して、片っぱしからその分割主義の適用を始めてしまったのである。

私も以前の投稿で「平衡3進法」に注目しましたが、「二」と「三」の間には大きな距離があるようです。長沼氏は提言します。

今後の数学の主力は、どうしても三体問題のあたりの時代に立ち返って、「部分の総和が全体に一致しない」という根本原理に沿う形の、もう一つの世界観を検討し直すことに軸足を移していかねばならず、数学にフロンティアがあるとすれば、もうそこしかないのである。

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前回の投稿で大本さんが下さったコメントに「天職」という言葉がありました。「天職」とは不思議な印象を与える言葉です。文字通りに受け取ると天、あるいは天命によって定められた職業ということです。そうすると、日本国憲法が定める「職業選択の自由」は虚構であることになります。人間の自由意志と運命の問題については、三島由紀夫の『豊饒の海』でも本多繁邦が松枝清顕との会話で論じていました。
孔子は五十にして天命を知ったということですが、私は五十をとうに過ぎても天命が分からないようです。

それにしても、或る種の人間は、生の絶頂で時を止めるという天賦に恵まれている。俺はこの目でそういう人間を見てきたのだから、信ずるほかはない。何という能力、何という詩、何という至福だろう。登りつめた山巓(さんてん)の白雪の輝きが目に触れたとたんに、そこで時を止めてしまうことができるとは!(『天人五衰』十六)

三島由紀夫は「時を止める」ことに憑かれ、最後は自身もそうしたわけですが、私にはそうした考えはありませんでした。それはショウペンハウエルが述べている通りです。

もしも生命の断末が何かしら純粋に否定的なもの、現存在の突如とした中止のようなものであるとしたら、まだぐずぐずして自分の生命に終止符を打っていないような人間は誰もいなくなることであろう。ところが生命の断末には何かしら積極的なものが含まれている、即ち肉体の破壊である。この肉体の破壊に脅かされて、ひとびとはしりごみするのである。何故なら、肉体は生きんとする意志の現象にほかならないのだから。(『自殺について』斎藤信治訳)

キリスト教は自殺を禁じますが、深沢七郎の『楢山節考』では姥捨て山の話が出てきます。弘法大師空海や多くの仏像を刻んだ円空らの高僧も、最後は「入定(にゅうじょう)」という形で自ら命を断っています。やはり「死」と向き合わなければ、よく生きることも出来ないように思われます。
ショウペンハウエルの同じ著書の次の文章も心に染みます。

人生はどこまでも我々にほどこされる厳格な躾と看なされるべきものである。・・我々は我々自身の死を、希ましい喜ばしい出来事として待ち設けなければならない、大抵の場合そうであるように、恐怖と戦慄を以てではなしに。
幸福な人生などというものは不可能である。人間の到達しうる最高のものは、英雄的な生涯である。そのような英雄的生涯を送る人というのは、何らかの仕方また何らかの事柄において、万人に何らかの意味で役立つようなことのために、異常な困難と戦い、そして最後に勝利をおさめはするが、しかし酬いられるところは少ない乃至全然酬いられることのないような人である。

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私は学生時代に浪人、留年、休学を繰り返し、1990年に漸く大学を卒業しました。それからほぼ30年、ちょうど平成の元号に等しい期間です。
その間、仕事をしたのは半分の15年ほどです。最初の数年は母親が命ずるままに会計事務所に務めましたが、どこも長続きはしませんでした。手芸会社でシステム部署に配属され、そこも1年ほどで辞めましたが、派遣会社でコンピュータシステムの仕事をするようになりました。派遣先は長くても2年以下でしたが、ともかく2009年のリーマンショックまで続きました。
その後は多少の蓄えが出来たこともあり、もともと文系に行かされた(という意識)ことを根に持っていたので、数学や天文学の検定は受けましたが、ほぼ仕事はしなくなりました。2012年ごろに4か月ほどシステムの仕事をしただけです。2015年ごろに派遣会社も登録を辞めました。そのとき電話で大声で怒鳴って腹を壊し、翌日に救急車を呼ぶ始末でした。幸い大事には至りませんでした。
引きこもっているうちに、自分が理系に情熱を持っていたわけではないことが分かり、このブログを始めたり、ウィキペディアの編集をするようになりました。そもそも「良い大学」に行きたかったのは私の父と母であって、私は洗脳されていただけです。
私は幼い頃、近所で工事をしている人を見て「僕もああやって一日穴堀りをしていたい」と母に言ったことがありました。母は「あんたは頑丈じゃないから出来ないよ」と言ったものです。
ビートたけしが言っていたように、今の学校教育はおかしいかもしれません。夢を持てとか、自分にしか出来ないことを探せとか囃し立てますが、ほとんどの人はただ食うために生きているのではないでしょうか。
コリン・ウィルソンの本によく出てくる「支配的5パーセント」という考え方があります。5パーセントと残り95パーセントの人間は本質的に違うという考えです。5パーセントの人間は必ずしも社会的に成功しているわけではなく、要するに「普通には生きられない人々」のようです。この考えが正しいのか、自分がそれに属するのか、私には判断がつきません。
今はそんなことを考えながら動いています。
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