2019年03月

最近、養老孟司氏の本を何冊か読み、氏の考え方は面白いと思いました。
氏は都会を「脳化社会」と呼びます。なるほど、田舎が首から下の身体であるならば、都会は脳に当たると言えそうです。
養老氏は中世に深い関心を寄せています。鎌倉・室町時代は南北朝・戦国の戦乱の時代で「死」が剥き出しになっていました。弥生時代も戦乱の時代です。明治維新以後、日本は欧米と一緒になってアジア太平洋を侵略しましたが、この構図は戦後も変わっていません。それでも国内は平和で、都会化が進みました。
都会では「自然」は排除されます。すべてが人工物で、整然と秩序づけられ、制度化されます。すべては言葉で説明され、お金に換算されるように見えます。
「自然」が排除されるように、都会では「子供」も排除されます。子供は自然だからです。養老氏がお好きな虫たちも排除されます。
昔を思い出してみると、私も子供の頃は虫が好きでした。カブトムシよりクワガタムシが好きでした。噛まれると大変ですが。晴れた日に虫眼鏡で蟻を焼き殺したり、残酷なこともしました。
現代は都会化、情報化が極限まで進み、ますます進んでいくように見えます。それでも「脳」は根本的に無知で、すべてを知っているように見えて実は何も知らないのです。
人はわけもわからずに生まれます。「生まれる」という動詞は本来、「生む」の受身です。日本語では受身の意識はほぼなくなっていますが、英語でははっきりと受動態です。
そして人はわけもわからずに死にます。空海が面白い詩を残しています。

生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終りに冥し

混沌が本来の姿であり、秩序は仮の姿なのでしょう。「生」も秩序であり、システムであると考えられます。
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寺山修司は『「継子譚」の地平』で、自分の過去を語り「私はまんまと母の術中に陥っていた」と告白します。

こうした民話(むがしこ)は、母によって語られるというのが普通だった。母は米ぶきがまま母にいじめられる話をしたあとで決まって、「母ちゃんがまま母でなくて、よかったろ」と言うのだった。実際、まま子いじめの民話は、実の母の有り難味を教えるために存在しているかのようであった。私は「まま母」を恐れ、実の母がいつまでも私のそばにいてくれるようにと願った。
ときどき夜半に、びっしょりと汗をかいて目を覚まし、隣に寝ている母をしみじみと眺めながら、
「この人が、ほんとうにぼくの実の母なのだろうか。もしかしたら、どこかに実の母がいて、この人は実の母に化けたまま母なのではなかろうか?」
と思うこともあった。
だが、今から思えば子供の私は、まんまと母の術中に陥っていたのである。現実には、まま子いじめをする「まま母」など、めったにいない。まま母にも(実の母よりも)心やさしい人もいる、のである。

寺山は日本の「継子譚」を『シンデレラ』と比較して、日本の民話の閉鎖性を指摘します。

日本の民話にあっては、「家」の惨劇は、あくまでも家の中で決着をつけられる。(中略)「家」の構成員は固定的であり、その関係は宿命的でさえある。そのなかで、母は子を愛し、同時に食いつくす。
バリバリと音をたてて、子を食う母
という場合の母は、「まま母」ではなく、実の母なのだ。

私にとっても他人事ではありません。母との関係は今でも解決していないからです。

「寝た子」は、従順な子、母の言いなりになる子であり、「起きて泣く子」は、自らの立場を主張する子だ。すべて、子は成長すると「起きて泣く子」になり、母の存在を客体化し、乳離れしてゆくのである。
しかし、母性愛は「わが子をいつまでも引きとめておきたい」というエゴイズムによって、残酷な「継子譚」を考え出す。

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泉鏡花の『草迷宮』を読みました。明治41年(1908年)の作品ということで、文章の調子が面白いです。七五調を基本として散文とも韻文ともつかない、懐かしさが感じられます。まだ維新前の江戸の面影が濃く、伝統的な日本の庶民はこういう世界に住んでいたのかと思われます。
寺山修司は『手毬唄猟奇』というエッセイで『草迷宮』を取り上げ、この小説で重要な役割を果たす「手毬唄」について考察しているので、次にそれを引用してみます。

・・ここまで『草迷宮』を読んできて、私には思いあたるものがあった。このお化けや西瓜や満月は、まぎれもなく手毬の変容したものだが、ただの変容ではない。手毬には、もっともっと怖ろしいあることの比喩が隠されているに違いない。そして、無邪気な子供たちの手毬遊びは、その由来を知ってしまったあとでは、もう二度とできるものではないのだ、と。

寺山は続いて横溝正史の『悪魔の手毬唄』も取り上げ、「鬼首村」という架空の地名が付けられた理由は「手毬は生首のシンボル」だからだ、と言います。

エジプト時代に画かれた壁画に、古代エジプト人が、ボールを足で扱っている絵があって、そのボールの形がきわめてあいまいなものであったと言われている。曖昧なのは当然であって、蹴られていたのは人間の首(頭蓋骨)だったのだ。死んだ兵隊を片づけるのに、足で蹴りころがしていったら、頭蓋骨だけが外れてころころと転がった。
兵隊たちは面白がって、その頭蓋骨を蹴りくらべし、それが蹴毬のはじまりとなった。(中略)勝利者の、こうした荒々しい蹴りくらべが、ヨーロッパでは集団化して規則を複雑にし、わが国では、家の翳の内で、単独交代する単純な遊びになっていった経緯には、綜合化と純粋化と言ってしまえない何かがあるような気がする。

寺山はこの「経緯」を端的に表現しています。

ティーン人の首を自分の故郷の外へ蹴り出すサッカー愛国主義とちがって、肉親の首を自分の家の廂の下で、できるだけ長いあいだ愛撫しつづけようとする、愛怨の葛藤をこめた家族主義が手毬唄の特色なのである。

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泉鏡花の『草迷宮』を私は読んでいないのですが、澁澤龍彦が『ランプの廻転』というエッセイで紹介しています。このブログでも取り上げましたが、澁澤は三島由紀夫が『小説とは何か』で柳田国男の『遠野物語』で炭取が回転する場面を取り上げたことに注目し、「『遠野物語』にふくまれる百余篇の物語のなかから、くるくると廻る炭取などといった、子供っぽい奇妙なオブジェをえらび出し、これを象徴的な価値にまで高めなければ気がすまなかったところに、私は、いかにも三島由紀夫らしい、小説家としての好ましい資質を認めないわけにはいかないのである」と書きました。澁澤は『遠野物語』より前に書かれた泉鏡花の『草迷宮』でも、妖怪の存在を認知するための指標として洋灯(ランプ)の回転が利用されていることを明らかにしています。次の文章も注目されます。

『草迷宮』における化けもの屋敷の叙述には(中略)稲垣足穂が短篇『山ン本五郎左衛門只今退散仕る』を書くための粉本とした、平田篤胤の聞書『稲生物怪録』に出てくる化けもの屋敷の描写のディテールにぴったり符合する部分がいくつかあり、明らかに鏡花はこれを参考にして書いたと思われる(後略)

澁澤は『草迷宮』のあらすじを説明し、「この小説では、三つの時間が三重構造になって」いるとしてギリシャの迷宮神話との比較を試みます。

第一の時間も、第二の時間も、すべて迷宮の中心たる第三の時間に向って収斂するのである。いずれの時間にも美女が介在したが、これらすべては同じ女の転身のすがたにほかならなかったのである。第三の時間の支配する秋谷屋敷は、何なら魔圏だといってもよかろう。迷宮のアナロジーでいえば、ここにミノタウロスが棲んでいるのだ。そして、たしかにミノタウロスは棲んでいたし、アリアドネーは糸玉ならぬ手毬をもって、若いテーセウスたる明をここへ導いたのであった。
(中略)
ただ、この明というテーセウスは奇妙なテーセウスで、甘んじて試練を受けたはよいが、ミノタウロスを殺そうともせず、アリアドネーと手をたずさえてナクソス島へ遁走しようともしない。あろうことか、幕切れには眠りこんでしまうので、そもそも迷宮から脱出する意志がまるでないのである。旅人が脱出することを欲しない迷宮。これがおそらく、鏡花のつくりあげた迷宮の、その他多くのそれと決定的に異った一点であろう。

確かに奇妙な迷宮ですね。しかし澁澤は「鏡花が一般のやり方とは逆のやり方で、無意識に彼自身の超越を実現していたような気がしてならない」と言います。

退行の夢とは、いわば出口なき迷宮であろう。手毬唄を求めて日本全国を放浪しても、秋谷屋敷の魑魅魍魎の総攻撃を受けても、明の側に、一人前の大人になろうという意欲が根っから欠けている以上、それは結局のところ、永遠の堂々めぐりに終るしかないらしいのだ。ヨーロッパの聖杯伝説の系統をひくロマン主義小説の主人公ならば、たとえば『青い花』に象徴されるような、何らかの形而上学的な観念を求める旅の果てに、ついに新しい人間(ブリヨンのいうような)として生まれ変るというようなこともあり得ようが、鏡花の小説の主人公の場合、そういうことは決して起らない。だから、よくいわれるように、鏡花には超越への志向が欠けているというのも、あるいは一面の真実であるかもしれない。ただ、私には、鏡花が一般のやり方とは逆のやり方で、無意識に彼自身の超越を実現していたような気がしてならないのである。

これだけ読むと「奇矯な言辞を弄する」ようですが、澁澤はヒント?らしきものも提示しています。

この永遠の不毛な彷徨を、いつ終るともなき豊かな体験に一変させる方途はないものであろうか。おそらく、たった一つだけあるのだ。しかし、これも望んで手に入れられるというような種類のものではない。それは何かというと、少なくとも生涯に一度、(たぶん大人になる前)迷宮の中心の部屋に到達したことがあるという、何物によっても揺るがされることのない確信である。十歳で生母を失ってから、鏡花はこの確信だけで生きてきたといっても過言ではないであろう。

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澁澤龍彦は『アンドロギュヌスについて』で、生物学と心理学についても解説しています。

まず解剖学の領域からはじめると、男の性的器官と女の性的器官とのあいだには、差異があると同時に、また類似点のあることが発見される。これは少しも驚くべきことではない。フロイトによれば、「解剖学上の半陰陽は、ある程度までは、正常な者にも、まさに存在するのである。正常な発育を遂げている男性でも女性でも、それぞれ異性の器官の痕跡をもつことを見逃すことができないのである。機能を営まずに、痕跡的な器官として残っているにせよ、あるいは他の機能を営むようになって変形せしめられているにせよ、この古くから熟知されている解剖学的事実からは、はじめには両性の素質を受けているのであるが、発育の過程のうちに、男女いずれかの性を示すようになり、他の性のものは萎縮して痕跡になってしまっているという見解が生じてくる。」(『性に関する三つの論文』)
問題は、この「萎縮して痕跡になっている」性、棄て去られた性であろう。これを理解するためには、個体発生の過程を最初の胚の段階にまで遡ってみなければならぬ。
ところで、胚の段階において、性的器官の形成は男女いずれの場合においても、きわめて緩慢であり、性別が生ずるのは、成長の最後の時期においてであることが分る。男性の場合は、一種の生殖器の芽ともいうべきものが発達し、女性の場合は、これが萎縮せしめられたまま残る。そして女性の管道の口は、裂けたままの状態にとどまるのに対し、男性のそれは接着するのである。

こうして男性は陰茎(ペニス)と縦に縫い目がある陰嚢を持ち、女性は陰核(クリトリス)と左右に裂けた大陰唇を持つことになります。澁澤は次のように結論します。

最も男性的な男の内部に潜在している少数の女性的因子を、ユングが「アニマ」と名付けたのは正しかった。男性が必らずしも百パーセント完全に男性であるわけではなく、また女性も百パーセント女性であるわけではない。一人の人間のなかに、男性的性格特性と女性的性格特性はつねに見出される。この意味からして、アンドロギュヌスの神話は、生物学の領域においても、空想的なテーマどころではなく、深い真実を示すものだったと言えよう。

私は半陰陽ではなく「正常」な男性ですが、私が人生でトラブルを起こす相手は「男」を強調する暴力的な男性が多かったと思います。父がそうでしたし、学生寮の先輩も、自動車学校の教官もそうでした。この地方は「軍隊、警察、運動部」の雰囲気が強く、そういう男性が多いようです。しかし父は年を取るとすぐ泣くようになりました。稲垣足穂が『少年愛の美学』で書いたように「ちょうど棘だらけのシャボテンの中身がベトベトのジェリーであるように、師父的な、いかめしい存在であればある程、その内容は柔軟無類だと見なしてよい」のではないのでしょうか。三島由紀夫は少年時代の反動で、過度に男性的な方向に走ってしまったのかもしれません。
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