2019年04月

三島由紀夫は遺作『豊饒の海』で仏教の唯識を扱いました。大乗から密教に向かう仏教史で、唯識の前には龍樹(ナーガールジュナ)の『中論』があります。私は『中論』にあまり興味を持つこともなく、これまで見逃してきました。ところが最近、大学時代に買ってあまり読んでいなかった中沢新一の『雪片曲線論』を読み返して、『中論』が詳しく論ぜられているのを見つけました。次のような箇所です。

哲学的ディスクールを使うやり方では、そのラジカルさにおいて、中観仏教の右に出るものはないだろう。
(中略)
竜樹が『中論』で駆使した論理は、この世界が実体を持っていると主張するようないっさいの哲学的ディスクールが、最終的に「S + V」のシンタックス構造と同型の構造に還元でき、それらの論理がけっきょくのところは、たえず運動し変化してやまない世界に「静止」の相を持ち込もうとするニヒリズムから逃れられない、ということを暴くやり方を取った。この世界がカテゴリーの体系でできているという静態的な考えは言うにおよばず、それを実体とその運動の弁証法的なプロセスとしてもっと動態的に捉える思想でさえも、無限変様の場たるありのままの「空」の世界を覗き込むことを恐れているのだ。

日本語はS+O+V、英語はS+V+Oを基本的な語順としますが、一人称の「私」という不変の実体を考える点は同じです。それだけでは世界の実相と合わないので、動詞という「動き」が導入されますが、解決にはなりません。「私」は誕生と死の時だけではなく、一瞬ごとに生まれては死んでいると見なすほうが正しいと思われます。
そう考えると、ウィキペディアのように世界を百科事典に閉じ込めようとするのは愚かな思想と言えそうです。事典の一つ一つの項目を「S」、項目の説明を「V」とするようなものです。三島は幼い頃から辞書に親しんでいましたが、最後は虚しさに気付いたのだろうと思います。
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私の母は左翼崩れの詩人でしたが、母が1980年代に買って私の本棚に入れた本の中に山口昌男の著書がありました。当時は読む気もしませんでしたが、今読んでみると面白く、読んでおけばよかったと思いました。人はこういう後悔をよくするものですが、人生の様相は複雑で多くの断面があり、一つだけを考えても無意味な場合が多いようです。
岩波新書の『文化人類学への招待』では、この学問の基礎を築いたマリノフスキーから著者自身までのフィールドワークに基づいて「交換」「女性」「政治」などの深層を考察しています。これは1981年に多摩市で山口昌男が行なった市民講座の記録で、大江健三郎が聴講していました。最終回で大江が述べた感想も収録されています。
マリノフスキーは同じポーランド人の劇作家ヴィトケヴィッチの友人で、一緒にオーストラリアを旅しましたが、後に別れました。山口によると、ヴィトケヴィッチの演劇観は次のようなものでした。

ヴィトケヴィッチは、心理、論理のくびきから解放されて、作曲家が音を使い、画家が色や外形を使うように、劇作家はその素材を意のままに使う必要があると考え、人間の身体演技の記号的な側面を非常に強調しました。(中略)作品の基調に、心理的な統一感よりも、幻想を媒介として、いわばわからなくなるという過程をどんどん挿入することによって、わかると考えられたものの底にあるものを引きずり出すことのほうが重要なのだ、ということを強調したわけですね。

山口はヴィトケヴィッチを語る中で、自分の学問観についても次のように語っています。

結局、すべて生き生きした学問の分野は、絶えず否定されることによってしか、先に続くことが保証されないのであろうと思われます。知とか学問は、基本的には、自らの体系を否定する要素を、潜在的に取り込んでいるかどうかということによって、永続性を保証されるかどうかがきまるのではないかと思われます。

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前回、アメノウズメノミコトについて書きましたが、ウズメと不可分に伝えられるサルタヒコは、天岩戸の神話には現れません。サルタヒコは国津神なので、現れないのは当然とも言えますが・・
天岩戸と天孫降臨の神話は、間に出雲神話が入っていて、つながりが分かりにくくなっていますが、共通する神々が多く現れます。中臣氏→藤原氏の祖神とされるアメノコヤネノミコト、忌部氏の祖神とされるフトダマノミコトなどですが、天岩戸でウズメと並んで大きな役割を果たすのはアメノタヂカラオノミコトです。タヂカラオは高天原の騒ぎに気付いて岩戸を開けたアマテラスを引き出します。
『日本書紀』では「天手力雄」、『古事記』では「天手力男」と書かれています。「男」という漢字は「田」と「力」に分けられます。田んぼで力を出すのが男、と昔習ったような・・「田」と「手」の違いはありますが、漢字を分解して神名にしたように見えます。これに関連して思い出されるのは、『古事記』でサルタヒコを「猿田毘古」と記していることです。「毘」という漢字は「田」と「比」に分けられます。この二神はどちらも伊勢の神で、関係が深いように思われます。
「手力男」からは「手弱女(たわやめ)」という言葉も連想されます。ウズメはサルタヒコに立ち向かう前、アマテラスから「おまえは手弱女だが面勝つ神だから」と言われています。「手弱女」という言葉が『古事記』で使われるのは二回目で、姉アマテラスと「誓約(うけひ)」をして三柱の娘(宗像の三女神)を得たスサノオが「自分は心が清いから勝って手弱女を得た」と勝ち誇るのが最初です。
この場面も謎があり、アマテラスが得た五柱の息子のうち、長男のアメノオシホミミノミコト(天孫ニニギノミコトの父)の名前は「正勝吾勝」から始まっています。アマテラスも自分が勝ったと思ったのでしょうか。
普通「手弱女」の反対語は、日本書紀でフツヌシとタケミカヅチについて言われる「大夫(ますらお)」ですが、初めは「手力男」だったのかもしれません。三島由紀夫は『奔馬』中の『神風連史話』で「誓約」神事の重要性を説いています。
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これは2000年に大修館書店から出た本です。国文学者は冷たいようですが、日本天文学会理事長の尾崎洋二氏が序文を寄せています。
私も大学で国文学科にいましたが、年度末のレポートで草下英明の『建礼門院右京大夫の見た星空』という論文を取り上げたところ、見事に「不可」をつけられた記憶があります。
それはともかく、勝俣氏のこの本で愉快なのは、アメノウズメノミコトをオリオン座に当てはめていることでしょう。オリオン座の三つ星を住吉大社の三神、底筒之男・中筒之男・上筒之男に当てはめた野尻抱影の説は、国文学界からも一定の支持を得ていますが、星座全体を日本の芸能の女神に見立てるのは考えていませんでした。
弟スサノオの乱暴のためにアマテラス大神が天の岩戸にこもって世界が暗闇になり、これを解決しようと神々が苦心するわけですが、アメノウズメは『古事記』で次のように書かれています。

天宇受売命、天の香山のささ葉を手草に結ひて、天の岩屋戸にウケ(桶)伏せて踏みとどろこし、神がかりして、胸乳をかき出で裳緒(もひも)をほと(女陰)に忍し垂れき。是に高天の原動(とよ)みて、八百万の神共に咲(わら)ひき。

西洋のオリオン座では三つ星をベルトとし、三つ星の下に縦に並ぶ小三つ星をベルトから下げた短剣と見ていますが、「ウズメ座」では裳の帯が三つ星に当たり、女陰まで垂らした部分が小三つ星に当たります。小三つ星の中央にあるオリオン大星雲(M42)が女陰の位置になります。天文学ではM42の内部で今も星々が生まれているとされており、この観点からも興味深いです。
アメノウズメは天孫ニニギノミコトの降臨にも随行し、サルタヒコノカミと対決します。勝俣氏はサルタヒコノカミをオリオン座と向かい合う牡牛座のヒアデス星団と見て、牡牛の片目に光る一等星アルデバランをサルタヒコの赤い目であるとしています。
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「令和」という元号を初めて聞いたとき、聞き間違えたかと思いました。アナウンサーが「命令の令です」と言うのを聞いて、信じられませんでした。「令」という漢字は元号に使われたことがありません。元号にはふさわしくない字だからです。せきやんさんも言っておられましたが、「令和」とは、「俺たち上の者が命令するから、お前たち下の者はおとなしくしていろ」という意味に感じられます。
いかにも安倍好みの元号です。元号に使われたことがない漢字を入れて得意満面なのでしょうね。万葉集から取ったというのは後付けの理屈でしょう。その万葉集の出典も、よく調べてみると中国の古典から取られたものでした。初めて日本の古典から取ったと言って喜んでいるようですが、そもそも漢字を使う以上、中国の影響を排除できるわけもありません。それなら訓読みかひらがな、カタカナの元号にすればいいのに、そこまでの勇気?は無かったようです。昭和天皇が亡くなったとき、次の元号は「朝日(あさひ)」だという噂が流れました。安倍が大嫌いな朝日です(笑)「よみうり」にすればよかったのに。
「令」という漢字は一度だけ、幕末に元号の候補に上がったことがありました。「文久」の後、「元治」と並んで「令徳」が候補になっていましたが、「徳川に命令する」という意味に取れるので幕府側は当然嫌がります。
私はこの話を聞いて、また驚きました。「徳」といえば、徳仁(なるひと)皇太子の「徳」ではありませんか! 平和憲法を守る意志が強い明仁天皇と徳仁皇太子を、安倍は深く憎んでいると思われます。「令和」という元号は皇太子への嫌がらせではないでしょうか。
何から何までおかしい「令和」。まだ一月ありますから、撤回して直してほしいですが、安倍内閣では有り得ないでしょう。東京オリンピックも中止してほしいです。竹田恒和はようやくJOC会長を辞任します。竹田は若いとき、自動車を運転して交通事故を起こし、22歳の女性を死亡させた人物でもあります。
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