2019年05月

私の住む地域にはトヨタ自動車という大企業があります。私は昔、この会社がどうも嫌いでスバル車に乗っていましたが、いつの間にかスバルがトヨタの傘下に入ってしまいました。
トヨタに関しては佐高信の『トヨタの正体』という名著もありますが、日本やこの地域で独裁的な権力を持つトヨタを表立って批判することは難しい状況です。
トヨタは昔から軍隊のような体質があります。トヨタに入社することは、アメリカで言えばゼネラル・モーターズのような会社に入るというより、軍隊に入るのと同じだと評したアメリカ人もいます。
トヨタは「カイゼン(改善)」を標榜し、社員は忠実ですが、大きな目標自体を疑うことは決してしません。このような組織は、やがて大日本帝国と同じ運命を辿っても不思議ではないでしょう。
私の疑問はトヨタという会社だけでなく、自動車産業全体にもあります。全員が自動車を所有し、運転免許を持っていなければならないような社会は、本当に正常なのでしょうか。そうかと言って馬車や人力車の時代が良かったとも思えないのですが。
疑問はありますが、私は今日も自動車を運転するでしょう。
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働き始めて一週間です。「辞めたい」と申し出る場面もありましたが、慰留されて続けることにしました。
私を雇おうとする人間などいるはずがないと思っていましたが、どうもこの会社は「引き出し屋」のような意識がありそうです。引き出し屋の元祖はあの戸塚ヨットスクールでしょう。あのような暴力的な傾向は無いけれども、引きこもりから脱するチャンスを与えてやっていると考えているようです。
私としては、半引きこもりの時代もそれなりに良かったと思うし、労働生活との間に価値の上下があるとは思わないのですが、世の中にはそう思わない人が多いのでしょうか。
長時間立っているのは体力的にきついところもありますが、私は趣味で里山をよく歩いていたので、見かけほど弱くもないです。もう少しやってゆこうと思います。
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昨日から7年ぶりに働き始めました。まだ研修の2日目が終わったばかりですが、予想に反して長続きしそうな気がします。
三島由紀夫の『鏡子の家』では最後の章で夏雄が鏡子を訪ね、夫の帰宅で「鏡子の家」が終わることを告げられますが、このときの鏡子の言葉が私の心境に近いかもしれません。

人生という邪教、それは飛切りの邪教だわ。私はそれを信じることにしたの。生きようとしないで生きること、現在という首なしの馬にまたがって走ること、そんなことは怖ろしいことのように思えたけれど、邪教を信じてみればわけもないのよ。単調さが怖かったり、退屈が怖かったりしたのも病気だったのね。くりかえし、単調、退屈、そういうものはどんな冒険よりも、永い時間酔わせてくれるお酒だわ。もう目をさまさなければいいんです。できるだけ永く酔えることが第一。そうすればお酒の銘柄なんぞに文句を言うことがあって?

最後に夫が帰ってきますが、夫は描かれず、「七疋のシェパアドとグレートデン」が入ってくるところで小説は終わります。この言葉が少し気になりました。シェパードとグレートデンが合わせて七疋なら、それぞれ何疋いるのでしょうか。それともシェパードが七疋で、グレートデンは一疋、合わせて八疋でしょうか。第一章にも全く同じ表現が出てきます。
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三好徹は『戦後人物誌』の中で「アラビア太郎」こと山下太郎も取り上げています。三好がインタビューした読売新聞(1960年5月10日)の記事から始まっています。

アラビア石油会社の社長室はかなり奇怪である。なぜなら、部屋の主である山下太郎氏は内村鑑三のくんとうを受けたクリスチャンだというのに、片すみには祭壇があって伊夜日子神社だとか伏見稲荷だとかのおフダがかざってあるのだ。(中略)
それが八百万の神々をはじめアラーの神にまで成功を念じたアラビアの石油なのだろう。苦しい時の神だのみか、などといってひやかすべきではない。ガソリンの一滴は血の一滴、などという標語が流行したのも、わずか二十年ほど前のことではないか。
「あれは"やました"じゃなくて"た"の字が一つ多いのだ」
なんどという雑音もあったらしいが・・

三好に言わせると「じっさい、彼の話の中には、ホラと思われても無理からぬものもあった。楠木正成二十六代目というのも、そのひとつである」そうです。
山下は戦前には満鉄(南満州鉄道)の社宅で巨利を得て「満州太郎」と呼ばれました。満州国の崩壊ですべてを失いましたが、戦後はインドネシアの石油を狙い、これが成功していたら「スマトラ太郎」になっていたでしょう。政情不安で諦め「アラビア太郎」になりました。
三好は『戦後人物誌』の最後で「アラブの英雄」となったテロリスト・岡本公三を取り上げており、面白い構成になっています。

個人的なことをいうと、私は明日から働くことになっています。このブログはどうなるでしょうか。

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三好徹の『戦後人物誌』は「混沌の戦後史を象徴する特異の九人」を取り上げた人物伝ですが、その冒頭に置かれたのが「人間をウジ虫と罵り踊り狂った神様」北村サヨです。サヨは同郷(山口県熊毛郡田布施町)の岸信介の運命を見通していたという伝説が、次のように書かれています。

昭和二十年九月十一日、連合軍総司令部は東条英機ら三十九名に対する戦犯逮捕の命令を発した。
そのひとり岸信介は、田布施の自宅でそれをうけ、家族と水盃をくみかわして巣鴨に向おうとしていた。一ヵ月前まで、岸は田布施きっての名士だったが、戦犯の声がかかっては、もはや近寄るものはいなかった。サヨは何を思ったか、岸の家へ赴いて、
「三年たったら、無事に帰らしてやるけえ、心配することはない」
といった。

また食糧緊急措置令違反で逮捕された時は、公判で次のように語ったと言います。

二千三百年の世のはじめ、二千三百年ののちまで、国史に残さにゃならない神の裁判。正しき裁決下せ。検事も判事も、地位や名誉をみなすてて、裸役者になってくれ・・
終戦前、特高主任を前にしていい放ったように、昭和二十一年は新しい世の紀元元年なのであった。そして、サヨの肚は、それが二千と三百年は続くというのである。

サヨの「肚」には何が入ったのでしょうか。ともかく、三好徹が最後に書いたように「戦後の宗教人の中で、北村サヨがもっとも特異な足跡を残した」ことは、昭和に限れば間違いないことでしょう。
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