三島由紀夫は稲垣足穂を高く評価していました。自決直前に行われた澁澤龍彦との対談では、「僕がこれから行動して、日本中が僕を笑ったとしても、稲垣さんだけは分かってくれると思う」と語っています。二人は会ったことはなく、足穂は三島の死後も、低い評価しか与えませんでしたが。
三島は本当は足穂のように生きたかったが、平岡梓の息子に生まれたために、それが出来なかったのではないかと私は思います。
自分に引き付けて考えすぎかもしれませんが、私の父は平岡梓に似たところがあります。三島と足穂はどちらも私の好きな作家でしたが、足穂的な生き方には憧れながらも決して自分には出来ないだろうという直観がありました。
誰でも自分の限界は超えられないような気がします。
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