2019年06月

三島由紀夫は稲垣足穂を高く評価していました。自決直前に行われた澁澤龍彦との対談では、「僕がこれから行動して、日本中が僕を笑ったとしても、稲垣さんだけは分かってくれると思う」と語っています。二人は会ったことはなく、足穂は三島の死後も、低い評価しか与えませんでしたが。
三島は本当は足穂のように生きたかったが、平岡梓の息子に生まれたために、それが出来なかったのではないかと私は思います。
自分に引き付けて考えすぎかもしれませんが、私の父は平岡梓に似たところがあります。三島と足穂はどちらも私の好きな作家でしたが、足穂的な生き方には憧れながらも決して自分には出来ないだろうという直観がありました。
誰でも自分の限界は超えられないような気がします。
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数学の発見・発明は、人類の偉大な発見・発明の一つです。「三人の人間」と「三匹の犬」がどちらも「3」という数で表される点で同じだと気づくまで、人類は気が遠くなるほど長い年月がかかりました。
物理学や経済学も数学を言語として使います。「お金」は数学の応用であり、似ても似つかない品物やサービスを数値に還元します。世界や宇宙を理解するのに役立つ面があることは確かです。
それと同時に、数学には世界や宇宙を誤解させる面があることも確かです。「三人の人間」と「三匹の犬」は本来全く異なる現象で、「3」という共通点があるに過ぎません。世界や宇宙に同じものごとは一つも無いという面を忘れるべきではないでしょう。
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「令和」という奇妙な元号が始まって50日余りが過ぎました。老後に2千万円必要とか、3千万円必要という金融庁の報告が闇に葬られています。
私は貯金があった頃でも、そんな多額のお金はありませんでしたが、お金は不思議なもので、一定の金額を超えると「お金がお金を生む」という状態になり、ますます貧富の差が拡大するようです。こうした格差を是正するために政治があると思うのですが、現在の日本の政権は真逆です。
いくらお金があっても不安で、ますますお金を増やそうとするのは、とても不幸な人たちではないかと思います。一番いいお金儲けは戦争です。彼らは戦争で亡くなる庶民のことは眼中になく、お金だけが問題なのです。
お金は流通の手段に過ぎず、実在するものではありません。人間が滅びればお金も意味が無いのですが、それを忘れてしまった人たちがいるようです。
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6月20日を無事に迎えました。どうやら生きているようです。
平成の間は好きなことをしていましたが、令和になってからは社会奉仕が主になっています。元号はたまたま重なっただけで、深い意味はありません。
生存の危機はいったん去っただけで、今後もたびたび訪れるのではないかと思います。というより人生は一寸先は闇で、何が起こるか分かりません。家でじっとしていても突然死するかもしれないし、外で働いていれば車に轢かれて死ぬかもしれません。
今出来ることをやって行きたいと思います。
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貯金が少なくなってきた頃、「福島で除染の仕事をしようか」と考えたことがありました。結局は行きませんでしたが、今の仕事(主に交通誘導)は同じようなことではないかと考えています。
愛知はトヨタのお膝元であり、自動車王国でもあります。昔に比べれば減ったとは言え、交通事故で亡くなる人は多く「交通戦争」の様相を呈しています。「名古屋走り」の言葉通り、乱暴な運転者が多いのも特徴です。
自分で運転しているだけでは気付きませんでしたが、無数の自動車が轟音を響かせて行き交う有り様は恐怖そのものです。このような状態を異常と思わない現代人の感覚はおかしい気がします。
原子力発電も自動車も、現代文明の闇ではないかと思います。
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