2019年06月

1948年(昭和23年)から49年にかけて、東大生の山崎晃嗣らが起こした「光クラブ事件」は世間を騒がせました。金融業で一度は大成功したものの、巨額の債務を履行できなくなった山崎は1949年11月24日、青酸カリを飲んで自殺しました。
三島由紀夫はこの事件をモデルにした小説『青の時代』を書いています。また二人は同時期に東大法学部におり、保坂正康は二人が友人だったのではないかと推測しています。三島事件は1970年(昭和45年)11月25日に起きていて、山崎の命日とは一日違いです。
一日違いといえば、『豊饒の海』での飯沼勲と本多透も思い出されます。『奔馬』の飯沼勲は1933年(昭和8年)12月29日に蔵原武介を暗殺して割腹自殺し、『天人五衰』の本多透は1974年(昭和49年)12月28日にメタノールを飲んで自殺を図り、生き延びるも失明します。
三島が何故11月25日に死んだのかは様々な説がありますが、このような解釈も可能かもしれません。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m

三島由紀夫は危ういところで徴兵を免除され、20歳で敗戦を迎えましたが、その後ろめたさがずっと残り、三島事件につながったという見方があります。
田中角栄は陸軍の一兵卒として満州に送られ、ノモンハン事件に遭遇しますが、その後「肺炎」を患って除隊・帰国しました。角栄が本当に肺炎にかかっていたかどうか?仮病だったとも言われます。
角栄の場合、戦争を嫌う気持ち、「戦争なんかで殺されてたまるか」という庶民感覚があったように思われます。三島は逆に「戦争で死ぬべきだった」という後ろめたさを覚えました。三島は華々しい戦死に憧れたかもしれませんが、あの大東亜戦争の死者の多くは餓死、戦病死であり、空襲と原爆による無残な死でした。
安倍晋三はどちらでもありません。彼は自分が戦場に出ることは夢にも考えず、戦争を起こして多くの国民を殺すことを望んでいるようです。「一人を殺す者は犯罪者だが、百万人を殺す者は英雄だ」というヒットラーの言葉を信じているのでしょう。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m

無事故が理想ですが、接触事故を起こしてしまいました。幸いにも私のナンバープレートが外れただけで、相手は微小な傷で「お金はいいよ」と言ってくれました。プレートの交換に少々お金が要りますが、車屋が立て替えてくれるので20日以後に払います。
プリウスの悲惨な交通事故が相次いでいますが、マスメディアは知らんぷりです。やはりトヨタ様が怖いのでしょうね。プリウスでなくて良かったなと思います。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m

前回は自動車を「金食い虫」と書きましたが、私の今の仕事で車が役にたっていることも確かです。毎日違う現場に行くことが多く、地図とナビのお世話になっています。
ここ数年の半引きこもりであちこちの図書館に行ったり、プログラマー時代にあちこちの里山に行った道が通勤道路になりました。私は平成の終わりで一度死んだと思っていますが、やはり人生はつながっています。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m

5月から働き始めた私ですが、最初の給料が入る6月20日まで生き延びられるかぎりぎりの状態です。4月に親から援助を受けましたが、5月は自動車税と点検で大半が消えました。本当に車は金食い虫です。もし可能なら親から数千円の援助を受けたいですが、実家に行くのにガソリン代がかかるので、親が出せないと言えば行かないつもりです。受けた援助を返済したいと思っても、秋には任意保険の支払いもあるので難しいです。車が大量に道路を走る日本の現状は異常ではないかと内心では思っています。

↑このページのトップヘ