2019年07月

台風で珍しく涼しい休日、これを書いています。
三島由紀夫が自決したのは初冬の時期でしたが、『天人五衰』の最後は夏の日ざかりの日であり、敗戦(終戦)の日もそうでした。広島と長崎では想像を絶する原爆の高温で人々が亡くなりました。
人間が生きられる温度は実に限られた範囲に過ぎません。目に見える波長の光は赤から紫まで、耳に聞こえる音波も無限分の一に過ぎないことからも、その儚さが分かります。
「自決」「自死」の思想に引かれる自分もいますが、『仮面の告白』と異なり、自分は生まれた日を覚えておらず、気がついたら生きていたのです。その境界ははっきりしません。おそらく死んでゆく時も、境界がはっきりすることは無いだろうという予感はあります。
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ついに一番暑い時期がやって来ました。どうにか続けていますが本当に辛いです。35度以上は中止にしてくれると良いのですが。
熱中症のチェック表を書く場合もありますが、朝に「問題なし」に横並びでチェックするなど、何の意味もありません。
涼しくなるまでブログも休止です。

参議院選挙では大手マスメディアが徹底的に無視したにもかかわらず、れいわ新撰組の2人が当選しました。重度障害者の議員が誕生したのは画期的なことで、国民に良心が残っていたことが分かりました。
明確に反グローバリズムを掲げる党首の山本太郎氏は落選しましたが、比例で史上最多の票を集め、衆議院選挙に期待が持てる結果になりました。
小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す」と言って旧田中派をぶっ壊してから、この国は完全な売国・奴隷国家になりましたが、流れを変えてゆけるかもしれません。少し希望が出てきました。
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平成上皇がまだ皇太子の頃、「1400年ぶりに外国人教師についた」という表現を見かけたことがあります。平成上皇が教わった外国人教師とはバイニング夫人であり、1400年前には聖徳太子(厩戸皇子)が高句麗の僧・恵慈に教えを受けています。
外国人教師と皇太子には更に古い例があり、応神天皇が百済から渡来した阿直岐と王仁を菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の教師としたと言われます。聖徳太子も菟道稚郎子も皇位につかなかった人物です。
聖徳太子が「日出る処の天子」の国書で隋の煬帝を怒らせたことは有名ですが、菟道稚郎子は高句麗王の上表文が無礼であるとして、表を破ったと日本書紀に書かれています。当時の倭国は高句麗と激しく争ったことが朝鮮や中国の史料から明らかですが、日本書紀ではすべて(後の時代に強大化した)新羅との争いに置き換えられ、上表文の事件が残るのみです。
日本と朝鮮・韓国との不幸な確執は今も続いています。
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15日は「海の日」だったようです。この祝日が出来た当時は7月20日でした。その由来が「明治天皇が横浜港に着いた日」とかで、呆れた記憶があります。それでも、最近出来た「山の日」よりはましかもしれません。8月11日には何の由来も無いとか・・
それはともかく、梅雨明け後は暑くなるかと思うと憂鬱です。日本では一番暑い時期が夏至より一か月余り遅く、一番寒い時期は冬至より一か月余り遅くなりますが、これは日本が海に囲まれた島国であるためです。お湯を沸騰させるのには時間がかかりますが、水は比熱が大きく、暖まりにくく冷えにくい特徴があります。大陸の国では暑い時期は夏至から余り遅れず、寒い時期も冬至から余り遅れません。
梅雨がいつまでも明けないといいのですが。
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