2019年07月

昨日は久しぶりに東名高速を走りました。窮乏生活で長いこと走っていませんでしたが、現場が遠く、やむを得ませんでした。
現代日本人の生活は祖先からほど遠いものになりました。怪物のようなトラックが道路を走り、日本人は輸入食品ばかり食べています。私も今の食生活には後ろめたさを感じます。
福島原発事故より遥か昔から、私たちは国土を荒廃させ、それを「発展」「進歩」と称してきました。グローバリズムは巨大な誤りかもしれません。少なくとも反グローバリズムを掲げる人達がもっと多くいても良いと思います。日本のテレビやマスメディアはグローバリズム礼賛一色ですが、これは明らかにおかしいと思います。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m

「父殺し」に注目したフロイトに対して、ユングは「母殺し」を強調したことが知られています。ヘラクレスやスサノオの怪物退治の神話は、「グレート・マザー」の暗黒からの解放を表すとユングは考えました。
ユングについては、ナチスに協力的だったという批判がありますが、現代の日本で強大な権力を持つ広告代理店もナチスの手法を学び、視聴者を支配している面があります。麻生太郎氏がうっかり「ナチスに学んだらどうか」と口を滑らせたのは大きな意味があります。悪をただ批判するだけでなく、なぜ彼らが強大な権力を持ってしまうのかを考えることが必要でしょう。それは個人の精神と深い関係がありそうに思われます。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m

11日公開の予定でしたが間違えてしまいました。仕事疲れ?次回公開日は未定です。

昨日は七夕でした。新暦では織女と牽牛は会えないことが多いようです。それはともかく、天の川と三途の川は何処かイメージが重なります。
三島由紀夫の『葉隠入門』の解説で田中美代子は「有限と無限の接点」が死であると述べており、面白い表現だと思いました。老荘で言われるように、死は「壮大な帰郷」であるのかもしれません。
死と同じく、誕生も有限と無限の接点と考えられますが、誕生とはどの時点を指すのでしょうか。母胎にいる期間は完全に保護された期間であり、母胎回帰の願望はどの人にも強くあると思われます。「引きこもり」も母胎回帰の実現という見方もあるでしょう。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m

私が子供の頃憧れた人物の一人にフェルディナンド・マゼランがいます。言うまでもなく史上初の世界周航者であり、二百数十人の隊員のうち十数人しか残らなかった「死の艦隊」を率い、彼自身もフィリピンで戦死するという劇的な生涯でした。
史上初の世界周航にも関わらず、マゼランは世界史でそれほど重要人物とは見なされていません。彼らが航海したマゼラン海峡からフィリピンに至る太平洋横断航路は実用性に乏しく、後にはメキシコ航路が使われるようになります。
マゼラン海峡もそうですが、やはり彼の名を冠した「大マゼラン雲」「小マゼラン雲」は銀河系の切れ端のような銀河で、その名を不朽のものにしています。
5隻の船のうち最後まで残ったビクトリア号の舵手ピガフェッタは、毎日欠かさず書いていた航海日誌が一日ずれていたことに驚きましたが、これは世界周航の証明でもありました。
昔の本では「マゼランは土人と戦った」などと平気で書かれていましたが、こうした記述は現代では見直されています。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m

工事現場などでは「安全第一」と書いた看板をよく見かけます。しかし「安全第一」が強調される背景は、本当は「安全第一」ではないからだと思います。「安全第一、効率第二」という標語もありますが、本当は「効率第一、安全第二」なのでしょう。
工事自体が無ければ、誰にも危険はありませんが、それでは失業して生命を脅かされる人がいます。今の自分がそうです。「工事第一、安全第二」が真実かもしれません。
工事は本当に必要なのか?無駄な公共事業が多いのではないか?という疑問は確かにあります。しかし「無駄」「必要」という基準で考えると、よく分からなくなります。人類の存在自体、地球にとっては無駄かもしれませんし、地球の存在自体も無駄かもしれません。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m

↑このページのトップヘ