2019年08月

漸く涼しくなってきました。暑さを客観的に見るようになると、74年前の敗戦の8月がとても暑い日だったことを考えさせられます。
それは『豊饒の海』『天人五衰』の最後の場面、「夏の日ざかりの日」にもつながります。三島由紀夫はこの原稿を昭和45年の夏に書き終えており、市ヶ谷行きと自決は晩秋、または初冬の11月25日でした。
三島が魅せられていた二・二六事件は、昭和11年の雪の朝に起こりました。晩冬または早春で『春の雪』とも言えそうです。11月25日の日付についてはいろいろな見方がありますが、この対照的な季節の中間の時期でもありました。
来年の東京オリンピックは返上が望ましいですが、季節だけでもずらすべきと思います。
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13日まで働いていましたが、今日で4連休になります。お盆休みで仕事が少ないからかもしれないが、真相は分かりません。
図書館で西尾幹二の『GHQ焚書図書開封』というシリーズを読みましたが、戦前~戦中に日本で出版された本を読むと、林房雄の「東亜百年戦争」というのは当時の日本人の普通の認識だったことがよく分かります。「侵略」という言葉は英米と結びつけて使われるのが普通で、世界最大の侵略国家はイギリスと見られていました。イギリスのインド支配の過酷さも伝えられていました。
ブログの今後は未定ですが、なるべく続くように考えたいと思います。つくつくぼうしが鳴き始めれば元気になるかもしれません。
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数学者の小野勝次氏が言っていましたが、「左右」を数学的に定義することは出来ないそうです。「詮索しなければ誰でも分かっていると思うことが、詮索すると誰にも分からなくなる」のです。
「左右」は「前後」と同様、人間の身体と結びついた概念で、数学や論理学とは無関係です。人体は前後では大きく違いますが、左右では心臓や利き手など、微小な相違しかありません。それで人間は「前後」はあまり意識しないが、「左右」は強く意識するのです。
鏡に映すと左右が逆になると勘違いしたり、左右が逆になるのに何故上下は変わらないのかと不思議がる人がいますが、正しくは鏡に映すと前後が逆になるのであって、左右も上下も変わりません。
「上下」は少し違います。「上半身」「下半身」という表現はありますが、逆立ちしても上下は入れ替わらないと考えられているので、むしろ地球と人体の間に働く重力と結びついた物理的な概念のようです。「下」は地球の中心方向を指し、「上」はその逆方向になります。
「東西南北」は天文学の概念であり、これも数学や論理学とは無関係です。
交通誘導の仕事をしていると、嫌でも左右を強く意識します。これまでの人生で身体を軽視してきた報いを今の私は受けているのかもしれません。
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今日は8日ぶりの休日です。自分では働き始める以外の選択肢は無かったと思っていますが、この選択が正しかったかどうかは分かりません。ブログからも遠ざかり、内省もあまり出来ません。暑さはどうにかしのいでいますが、これもどこまで持つか分かりません。
好きなことばかりしていた時代の成果物?は残っているので、私が消えたら懐かしんでくれる人もいるかもしれません。私は昔から暑さが苦手で、いつかは熱中症(昔は日射病と言っていました)で死ぬのかなと思っていました。ミレトスのタレスは星を観察していて井戸に転落して死んだそうですが、競技の観戦中に日射病で死んだという文献もあると野尻抱影が書いています。
生きていたら、また会いましょう。
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