2019年09月

三島由紀夫の『豊饒の海』第4巻の『天人五衰』で、清水港の通信員をしていた安永透は本多繁邦の養子になります。東大に入ってから繁邦に暴力をふるいますが、松枝清顕の夢日記を読んで自殺を図り、失明して生き続けます。
自分の人生を思うと、安永透の人生を逆に辿っているようにも見えます。警備員の仕事は通信員に似て「見る」ことが大事ですが、通信員と違って「見られる」要素もあります。三島由紀夫はこの両方の要素を持っていました。
自分の人生がこれからどう続くのかは未知数ですが、『豊饒の海』は難解な唯識論と共に、まだ影響を与えているようです。三島が自決した1970年は大阪万博の熱狂で安保改定が霞み、日本が深い闇に入った年だったように思われます。
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三島由紀夫が辞書好きだったことはよく知られています。ふつう辞書は「引く」ものですが、三島にとって辞書は「読む」ものでした。
辞書は言葉の世界で完結しているので、もちろん落とし穴もあります。三島は蛙の鳴き声が分からなかったという話もあります。現実の世界と合わせて理解する必要があるのでしょう。
言葉の世界と同じように、数学の世界も閉じた世界です。お金の世界もそうでしょう。お金は一見すると現実そのもののように受け取られやすく、非常に注意が必要です。
歴史もそうかもしれません。歴史書だけで閉じた世界を作ることは慎むべきでしょう。深く自戒したいものです。
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以前のブログで初期の天皇の漢風諡号を検討し、第2代綏靖天皇の「綏」が後漢第6代安帝の初期の摂政を務めたトウ綏(トウはトウ小平のトウ)の「綏」、第3代安寧天皇の「安」が安帝の「安」、第4代懿徳天皇の「懿」が後漢第7代少帝の諱であることを指摘しました。第5代孝昭から第8代孝元天皇まで「孝」の字が4代続くのは、前漢・後漢の皇帝の諡号に倣ったと思われます。これを遡ると、初代神武天皇は後漢第4代和帝に対応し、日向3代の最初で天孫降臨の主役ニニギは後漢初代の光武帝に対応します。興味深いのは朝鮮の伝承で、金官加羅の初代とされる首露王が光武帝の時代に亀旨峰に現れたと伝えられることです。
さらに神話時代に遡ると、スサノオは新の王莽に対応し、それ以前の別天つ神5柱・神世7代・天照大神の13代は前漢の皇帝14代にほぼ対応します。『日本書紀』でタカミムスヒノミコトを「高皇産霊尊」と記すのは前漢の高祖、正しくは太祖高皇帝・劉邦を意識しているようです。
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毎週日曜日だけは休みにしていますが、今日は会社の研修で出なければなりません。9月も厳しい暑さが続いています。
最近のテレビは韓国の悪口ばかり言っているようですが、日本人にとって韓国・朝鮮問題は宿命のようなものです。ちょうど欧米のユダヤ人問題に似ています。
『日本書紀』では新羅(しらぎ)に滅ぼされた百済(くだら)を応神天皇以来の日本の友好国、というより属国として描いており、漢字や儒教を伝えた国としています。『古事記』も含めて更に遡ると、新羅と任那(みまな)、加羅(から)は重要な存在で、新羅王子アメノヒボコの伝承が但馬の出石、加羅王子ツヌガアラシトの伝承が越前の敦賀を中心に広く分布しており、興味深いものです。
三島由紀夫は特に朝鮮問題に興味を持った形跡はありませんが『鏡子の家』で武井というボディビルダーが出てきて日本画家の山形夏雄と議論する場面があります。気分悪く別れた夏雄に俳優の舟木収が武井について、ひた隠しにしているが朝鮮人だと囁き、夏雄は気分を直します。日本人の心の闇がよく出ています。
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9月1日は防災の日で、1923年の関東大震災の記念日でもあります。何十年も前から「東海大地震が来る」と言われ続けています。学会もいい加減に「地震予知は不可能です」と正直に言ったらどうかと思いますが、今更そんなことも言えないのでしょう。
私が昔、天文学に魅せられた理由の一つは、日食や月食が秒単位まで正確に予知できるということがありました。天体の現象が細かく予知できるのは、太陽や月や地球のように安定した天体は、質量を持つ点(質点)として取り扱い、計算することができるからです。しかし彗星や流星のように不安定な天体は予測が困難です。まして無数の粒子が関わる天気予報などは絶望的です。地球の内部も分からない部分が圧倒的に多く、地震や津波は今後も人智を超える現象であり続けるだろうと思います。
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