2020年12月

「三祖」という表現は私の造語ですが、日本の国祖とされる三柱の神、または三人の人物のことです。神武・崇神の両天皇がともにハツクニシラススメラミコトと言われることはよく知られていますが、ニニギノミコトも始祖的性格を持っています。
邪馬台国畿内説では卑弥呼を補佐した弟を崇神天皇と見る考え方が有力です。しかし『後漢書』に現れる西暦107年の倭国王帥升については九州説が有力のようです。私はこの帥升は九州から畿内に東遷した神武天皇に対応する人物と見ています。あるいは息子の綏靖天皇かもしれません。
57年の倭奴国王はニニギに対応する人物で、息子のホオリの可能性もあります。こうすると日本の三祖と中国史書がよく対応します。ニニギ以前のイザナギ、またはクニノトコタチとなると歴史以前の段階であり、神話的思考が必要になると考えられます。
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天孫降臨神話の主人公ニニギノミコトと日本に帰化した新羅の王子アメノヒボコは、全く別の人物(神)と考えられています。しかし、この二人は同一人物の可能性があります。
ニニギノミコトは略称であり、『古事記』での名前はアマツヒコヒコホノニニギノミコトです。繰り返されている「ヒコ」を一回に縮めるとアマツヒコホノニニギノミコトとなり、「アマツヒコホ」は「アメノヒボコ」に似ています。
ニニギノミコトの子であるホオリノミコト(山幸彦)と、その孫である神武天皇は『日本書紀』ではヒコホホデミという同名の人物になっています。この「ヒコホ」も「ヒボコ」に似ており、もはや地上の人物であるため「アマツ」が落ちたと考えられます。
以前の投稿で神武天皇の母と祖母が楽浪郡の王氏である可能性を指摘しましたが、朝鮮半島の任那(加羅)にあったとされる金官国の始祖・首露王にも降臨伝説があり、後漢の光武帝の時代とされています。首露王は百五十八年間在位したと伝えられていますが、ホオリが高千穂宮に五百八十年間いたと『古事記』が伝えるのと関係があるかもしれません。
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どの国でも神話と歴史の境目は明確ではありませんが、日本神話の場合は神武天皇以後が歴史、その前が神話ということになっています。神話は創世、高天原、出雲、日向の4段階に分かれます。
日向神話の位置は微妙で、舞台が地上に移り、時間が流れ始めることから、歴史の始まりと見ることも出来ます。
神武天皇の伝説も微妙な位置にあり、神話に分類する考え方もあります。これは第2代の綏靖天皇から9代の開化天皇までが記紀ともに具体的な物語を欠く「欠史八代」であること、第10代の崇神天皇が神武天皇と同じ「ハツクニシラススメラミコト」の別名を持つことが関係しています。
欠史八代の漢風諡号で目立つのは第5代の孝昭天皇から第8代の孝元天皇まで「孝○天皇」が続くことです。これは前漢と後漢の皇帝の諡号に影響を受けたものか、またも微妙な続き方、途切れ方です。
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今の季節は冬を代表する星座であるオリオン座がよく見られます。中心の三つ星は三島由紀夫の『豊饒の海』の主人公たちや出口王仁三郎にあったという黒子を思い出させますが、今日は別の話です。
面白い現象として、この三つ星は天の赤道に位置しているため、いつも真東から上って真西に沈んでゆきます。真東から上るときは縦一文字に並び、真西に沈むときは横一文字に並ぶという特徴もあります。
「真東から上るときに縦一文字に並ぶ」という特徴は、日本神話でイザナギノミコトが黄泉の国から帰った後に日向でミソギをした時に生まれた住吉三神、上筒之男命・中筒之男命・底筒之男命を思わせ、この三神に結びつける学説もあります。あくまでも学説であり、そのような伝承はありませんが、可能性はあると思われます。
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