「三祖」という表現は私の造語ですが、日本の国祖とされる三柱の神、または三人の人物のことです。神武・崇神の両天皇がともにハツクニシラススメラミコトと言われることはよく知られていますが、ニニギノミコトも始祖的性格を持っています。
邪馬台国畿内説では卑弥呼を補佐した弟を崇神天皇と見る考え方が有力です。しかし『後漢書』に現れる西暦107年の倭国王帥升については九州説が有力のようです。私はこの帥升は九州から畿内に東遷した神武天皇に対応する人物と見ています。あるいは息子の綏靖天皇かもしれません。
57年の倭奴国王はニニギに対応する人物で、息子のホオリの可能性もあります。こうすると日本の三祖と中国史書がよく対応します。ニニギ以前のイザナギ、またはクニノトコタチとなると歴史以前の段階であり、神話的思考が必要になると考えられます。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
邪馬台国畿内説では卑弥呼を補佐した弟を崇神天皇と見る考え方が有力です。しかし『後漢書』に現れる西暦107年の倭国王帥升については九州説が有力のようです。私はこの帥升は九州から畿内に東遷した神武天皇に対応する人物と見ています。あるいは息子の綏靖天皇かもしれません。
57年の倭奴国王はニニギに対応する人物で、息子のホオリの可能性もあります。こうすると日本の三祖と中国史書がよく対応します。ニニギ以前のイザナギ、またはクニノトコタチとなると歴史以前の段階であり、神話的思考が必要になると考えられます。
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