『日本書紀』の年代は大きく延長されていますが、卑弥呼を神功皇后と同一視したことが重要なポイントになっています。
『日本書紀』では神功皇后は西暦170年に生まれ、269年に数え年100歳で亡くなっています。『後漢書』『梁書』では卑弥呼は180年代に即位したように書かれ、『魏志』では後継者の壱与が13歳で即位したとあるので、そこから年代を決めたようです。
「三韓征伐」は西暦200年に当たり、31歳で応神天皇を産んだとするのも当時としては高齢出産ですが、妥当な範囲と考えられます。246年以後は百済との国交、新羅再征などが書かれています。原資料の『百済記』は干支のみが書かれていたため、『三国史記』より120年古い年代ですが、『日本書紀』では卑弥呼=神功皇后を基準に絶対年代を決めたと考えられます。
神功皇后の没年を269年としたため、壱与も神功皇后の時代に含まれてしまいましたが、100歳まで生きたという伝説に縛られ、やむを得ずこうしたのでしょう。編者の苦労が偲ばれます。
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