井上靖の『天平の甍』は奈良時代の唐僧、鑑真の来日を主題にした歴史小説ですが、主要な登場人物の一人に戒融がいます。この戒融は『続日本紀』の2か所に出ており、井上は小説の最後でその史実を明かしています。

この年(天平宝字8年=764年。引用者注)、新羅使節金才伯が来朝して、渤海国経由で新羅に来た唐勅使韓朝彩の依頼で、さきに唐より渤海国を経て日本へ向った日本留学僧戒融の帰朝の有無を訊ねたことがあった。このことから判断すると、戒融は再び故国の土を踏まないといっていたその志を曲げて、いつか日本へ帰っていたのかも知れない。この戒融の帰国の裏づけと見なしてよさそうなもう一つの史料がある。それは天平宝字7年に、戒融という僧侶が優婆塞一人伴って唐から送渤海使船に乗って渤海を経て帰国したが、途中、暴風雨に遇い、船師が優婆塞を海に投じたということが古い記録に載っていることである。

新潮文庫の解説で山本健吉は戒融について「その行動は、日本に何物ももたらさず、広大な国土の中に消え失せて行ったというべきだが、生きようとする自分の意志、確かめようとする自分の疑問に対して、誰よりも忠実だったと言える」と評しています。

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