奈良時代に始まった日本と渤海の交流は平安時代の前期まで続きますが、926年に契丹が渤海を滅ぼしたことで終止符が打たれました。契丹は渤海の故地に「東丹国」という属国を作りました。戦前の日本が満州国を作り、アメリカが戦後の日本を作ったようなものです。
渤海が滅ぼされた3年後の929年、東丹国の使者が丹後国(京都府京丹後市)に到着しました。大使は璆(はいきゅう)と言い、渤海の大使として2度来日していた人物でした。朝廷は藤原雅量を丹後に派遣して事情を尋ねました。雅量は裴大使と親交があり、裴大使は気を許したのか、渤海国が契丹に滅ぼされたことを伝えただけでなく、契丹の残虐非道ぶりをも訴えました。朝廷は「二君に仕えたばかりか、新しい主人の悪口まで言うとは不義不忠である」として使者を追い返しました。
藤原雅量は裴大使に同情し、後に彼を回想した漢詩を残しています。
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