コロナウィルスの騒ぎが拡大しています。どうも安倍政権はわざと感染を広げて、自らの権力拡大に利用しているのではないかと疑われます。
今日は久しぶりの休日で図書館に行ってみたら、コロナウィルスの影響で臨時休館になっていました。すでに感染が拡大してからこのような措置をとっても無意味なように思われます。
東京オリンピックは「アンダーコントロール」の見え透いた嘘で始まり、エンブレム騒ぎや贈賄疑惑、マラソンの札幌移転などドタバタだらけです。コロナウィルスで中止に追い込まれるのはもはや不可避ではないでしょうか。
今の日本は、1940年に東京オリンピックが中止になった時代に似ています。と言っても大日本帝国ではなく、日本の属国だった満州国に似ているのです。三島由紀夫が嘆いた戦後日本の空虚さは戦前の満州国そのままであり、満州を支配していた革新官僚の岸信介が戦後日本の首相になったことに象徴されています。
この流れを変えるのは限りなく困難ですが、やはり諦めてはいけないと考えています。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
今日は久しぶりの休日で図書館に行ってみたら、コロナウィルスの影響で臨時休館になっていました。すでに感染が拡大してからこのような措置をとっても無意味なように思われます。
東京オリンピックは「アンダーコントロール」の見え透いた嘘で始まり、エンブレム騒ぎや贈賄疑惑、マラソンの札幌移転などドタバタだらけです。コロナウィルスで中止に追い込まれるのはもはや不可避ではないでしょうか。
今の日本は、1940年に東京オリンピックが中止になった時代に似ています。と言っても大日本帝国ではなく、日本の属国だった満州国に似ているのです。三島由紀夫が嘆いた戦後日本の空虚さは戦前の満州国そのままであり、満州を支配していた革新官僚の岸信介が戦後日本の首相になったことに象徴されています。
この流れを変えるのは限りなく困難ですが、やはり諦めてはいけないと考えています。
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コメント
コメント一覧 (8)
ナイル川のクルーズ船は外国人観光客の人気コースの一つ。この船は現在、南部の観光地ルクソールに停泊しており、感染者は全員、病院に隔離された。エジプトで感染が確認されたのは計48人となった。南部アスワンからルクソールまで乗船した台湾系米国人の女性から感染が広がった可能性があるという。この女性はすでにエジプトを出国。その後、世界保健機関(WHO)から「感染が確認された」との連絡を受け、同省が女性との接触者を調べていた。
capelaurig
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「福島県内において震災後犯罪が多数発生しておりますが、福島地検の方で処分保留の釈放が増発されたということが指摘をされた。大臣は、やはり検察の信頼向上に努めるということを所信でもおっしゃっておられた」
「福島地検による被疑者の終局処分をしないままの釈放について大変地域の皆さんにもご心配をかけたことをこれは率直にお詫びをしなければならぬと思っています」
2011年10月27日の参院法務委員会
「震災後、いわき市の地検いわき支部、それから地裁いわき支部も、ちょっと時を異にしておりますが15日、16日に次々と庁舎を閉めて16日には郡山の方に移動してしまったということがあった。それに先立ち地検では勾留をしていた被疑者を全員釈放する、処分しないで釈放するということがあり、その中には女性の家に押し入って性的犯罪を犯すという容疑者もおりましたし、釈放された被疑者がまた再犯を起こしたということも起こりました。あの当時、いわき市は避難地域ではありませんでした。(福島第一原発から)30キロまでが屋内退避です」
「福島地検いわき支部の移転というのは、この支部管内において死者、行方不明者が多数に上り、建物等にも甚大な被害が及ぶとともに水道などのライフラインも途絶えた状況にあって、さらに余震も相次ぐという状況の中で、このいわき市内の庁舎に関係者を呼び出して取り調べを行うことが事実上困難になるというようなことで、いわき市内の庁舎で執務遂行が大きな支障が生じるようになったということが大きな避難の原因であったというふうに思います」
この国会答弁と今回の森法相の発言の齟齬は、森法相が「職員は最初に逃げた」と表現したのに対し、当時の平岡大臣が「避難」という言葉を使っていることだろう。
capelaurig
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政治家は自己愛が強いと言われます。「自分は特別な存在」という性格そのものは、全否定しません。人を酔わせる演説も、自己愛が強くなければできませんから。自己愛は多くの政治家にとって不可欠なエネルギー源です。まっとうな政治家に欠かせない条件があります。それは、他者への共感力です。他者とは、自分とは異なる意見をもつ人たちも含みます。
ひと昔前の自民党政治家には、自己愛と共感力を車の両輪のように併せ持つ人が少なくなかったように思います。「ためのある」政治家と言っていいかもしれません。
田中角栄は、地方に道路をどんどん造ってしまう一方、恵まれない人への人情や涙もろいところもあった。森喜朗だって、国会答弁などで野党議員への気遣いを感じたことがあります。力をもつ与党政治家は、力をもっているがゆえに、力をもたない人たちの声も聞く――という鷹揚さ、寛容さがあったのです。今や、そんな政治家はめっきり少なくなりましたね。。
capelaurig
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