私は子供の頃、天文学者になりたいと思っていた時期があり、天文宇宙検定1級の資格を持っていますが、今は特別な関心はありません。やはりアポロの月旅行が宣伝され、日本でも多くの宇宙アニメが放送されていた影響だったと思われます。
宇宙に興味を持つことは気宇壮大になるなど良い面もありますが、悪くすると身近なことへの関心をなくし、狂気をもたらす危険もあります。アポロについてはアメリカ合衆国による詐欺だった可能性もあり、今後も検証が必要です。
『豊饒の海』第1巻の『春の雪』三十三で清顕、本多、ジャオ・ピー、クリッサダが見上げた星空は今も広がり、この地上を見下ろしています。
それは正しく琴だった! かれらは槽の中へまぎれ込んだ四粒の砂であり、そこは果てしのない闇の世界であったが、槽の外には光りかがやく世界があって、竜角から雲角まで十三弦の弦が張られ、たとしえもなく白い指が来てこれに触れると、星の悠々たる運行の音楽が、琴をとどろかして、底の四粒の砂をゆすぶるのだった。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
宇宙に興味を持つことは気宇壮大になるなど良い面もありますが、悪くすると身近なことへの関心をなくし、狂気をもたらす危険もあります。アポロについてはアメリカ合衆国による詐欺だった可能性もあり、今後も検証が必要です。
『豊饒の海』第1巻の『春の雪』三十三で清顕、本多、ジャオ・ピー、クリッサダが見上げた星空は今も広がり、この地上を見下ろしています。
それは正しく琴だった! かれらは槽の中へまぎれ込んだ四粒の砂であり、そこは果てしのない闇の世界であったが、槽の外には光りかがやく世界があって、竜角から雲角まで十三弦の弦が張られ、たとしえもなく白い指が来てこれに触れると、星の悠々たる運行の音楽が、琴をとどろかして、底の四粒の砂をゆすぶるのだった。
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コメント
コメント一覧 (10)
ヒトラーに貶されたアメリカは真っ青ですが、ヒトラーのような一人に扇動される姿は神に嫌われる。神のみが人々に敬愛される構図が理想です。だからコロナなどが流行する。オリンピックなども必要なくなります。各種目の世界選手権をやれば十分です。神に代わって君臨する事は出来なくなります。
capelaurig
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<第6章 浮島の怪猫>
【大正13年12月27日 綾部祥雲閣にて口述筆記】
(文中 アケハルの岩とは、明治の天皇制国家権力が想定されており、また虎猫夫婦とは明治天皇のすり替え 大室寅之祐と皇后 一条美子とされる。)
波切丸は浮島の岩山の間近に進んだ。島の周囲は何となく波が高い。虎と見えた岩の変化は磯端に下って来た。よくよくみれば牛の様な虎猫である。虎猫は波切丸を目をいからして、睨み乍ら、逃げる如く湖面を渡って夫婦連れ、西方指して浮きつ沈みつ逃げて行く。俄に浮島は鳴動を始め、前後左右に、全山は揺れて来た。チクリチクリと山の量は小さくなり低くなり、半時許りの内に水面に其の影を没して了った。
capelaurig
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(大正11年2月27日 竜宮館 王仁 識)
(聖師が初心者向けには、この章から読むのが良いと推薦されているのがこの総説歌です。 ぜひとも味わって下さい。) ナザレの聖者キリストは 神を楯としパンを説き マルクス麺麭もて神を説く
月照彦の霊の裔 印度の釈迦の方便は 其侭真如実相か
般若心経を宗とする 竜樹菩薩の空々は これまた真理か実相か
物理に根ざせる哲学者 アインスタインの唱へたる 相対性の原理説は
絶対真理の究明か 宗教学者の主張せる 死神死仏を葬りて
最後の光は墓を蹴り 蘇へらすは五六七神
capelaurig
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兄孝明天皇が暗殺され、夫、徳川家茂も暗殺説が飛び交い、孝明天皇の子とされる睦仁親王も暗殺されたと悟ったならば、自身の命を考えるならば、和宮は黙るしかなかった。上京に当たり和宮には千両が渡され、勝海舟は日記に「万事朝廷にて御賄いなし下され、かつ天璋院様へ三千両お送り下され、至厚のご趣意、岩倉殿深情に出ず」と記しています。
岩倉具視や伊藤博文が実行した孝明天皇暗殺と大室寅之佑すりかえに伴う「口止め料」ではないか。1869年に天璋院篤姫を訪問し暇乞いをし東京を発ち箱根塔ノ沢で暗殺される。左手首は、八木清之助が持ち帰って亀岡市の郷里に埋めた。
capelaurig
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「調査団宛の手紙」の主旨は、明治初年に「岩倉卿と祖母が主になって、小数の供まわりを従へ、御手回り品を取まとめ、和宮様を守護して京都へ向う途中、箱根山中で盗賊にあい(多分、浪人共)、宮を木陰か洞穴の様な所に(御駕籠《かご》)おかくまいいたし、祖母も薙刀《なぎなた》を持って戦いはしたものの、道具類は取られ、家来の大方は斬られ、傷つき、やっと追いはらって岩倉卿と宮の所に来て見たところ、宮は外の様子で最早これまでと、お覚悟あってか、立派に自害してお果てなされた」ということです。それならば、明治二年二月二四日に明治天皇に会ったという和宮親子内親王とは、その面会の事実そのものが虚偽か、あるいは、殺されたであろう和宮の「替玉」であったのではないでしょうか。
capelaurig
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