ヒコホホデミ(神武天皇)が日向から大和へ東征をしたという伝説において、最初に立ち寄ったとされるのが豊後の宇佐です。ここで地元のウサツヒコ・ウサツヒメはヒコホホデミの一行を歓迎し、一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)を造ってもてなしたと言われます。この宮について考古学者の森浩一は次のように記しています。

一柱騰宮は、現在の記紀の注釈では「建物の構造不明」とされている。だがこれについては、倭人文化とさまざまな点での共通性がいわれている、中国・雲南省のてん(さんずいに「眞」)池のほとりにある石寨山古墳郡から出土した青銅製の建物模型が注目される。(中略)壁をもたない一柱ないし二柱の建物が中国の稲作地帯にあったことは、事実とみてよかろう。こうしてみると、なお問題は残るにしても、一柱の建物が記紀の撰者たちの創作であったとはとても考えられない。何らかの伝承があったのであろう。
(朝日文庫『日本神話の考古学』より)

「騰」は「升」と同じ意味を持つ漢字であることも興味深いです。
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