「一寸先は闇」は政界でよく言われる言葉ですが、政界に限らず、何でもそうかもしれません。逆に「一寸先は光」という場合は少ないと思われます。
実家に帰って母の部屋を掃除していたら、間違って指から血を流してしまいました。あわてて絆創膏を貼りましたが、古くて役に立たないことが判明。とりあえずティッシュと輪ゴムで縛り、コンビニで代わりの絆創膏を買って漸く事なきを得ました。
母の部屋の散らかりようは大変なもので、どうしても焦ってしまうのですが、焦っても先には進めません。やはり着実に進めていくしかないようです。
他のことも焦らずに進めていきたいと思います。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
実家に帰って母の部屋を掃除していたら、間違って指から血を流してしまいました。あわてて絆創膏を貼りましたが、古くて役に立たないことが判明。とりあえずティッシュと輪ゴムで縛り、コンビニで代わりの絆創膏を買って漸く事なきを得ました。
母の部屋の散らかりようは大変なもので、どうしても焦ってしまうのですが、焦っても先には進めません。やはり着実に進めていくしかないようです。
他のことも焦らずに進めていきたいと思います。
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コメント
コメント一覧 (14)
君が代:歌詞は平安初期(1000年頃)の和漢朗詠集、古今和歌集第7巻に<我が君はちよにやちよにさざれ石の。。>、鎌倉時代(1200年頃)白拍子の謡曲や地歌などで拡がる。明治3年(1870年)薩摩藩が英人フェントンに作曲させた。昭和52年(1977年)学習指導要領にて国歌とされた。歌詞は封建的君主制の名残りである。節回しから日本人の音痴の根源でもある。
capelaurig
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真の宗教者ならば、世界の軍備全廃のために率先して行動することを、王仁三郎は教えている。みろくの世が実現するもしないも、すべて人の責任にある。この世がいつまでもよくならないのは、人が神の意志を無視して勝手なことをやっていることの証明でもある。
capelaurig
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日本の資本主義は、一貫して農村への激しい収奪の上に発展したが、農村再建に基礎を置く大本教の国家改造論は、異端的ファシズムの民衆運動として急速に成長し、ファシズムの制覇に利用されながらも、やがて徹底的な弾圧を受けねばならなかった。大本教の基底にある民衆的性格は、教義として天皇信仰を強調しながらも、天皇制とその神話に対する異質な神話に立つ変革の主張として、支配階級の激しい憎悪の対象となった。
この経験は貴重なものだった。弾圧のおかげで戦争協力の責任も免れた。そういう歴史的な性格を身につけて、戦後の民主勢力の高まりに応ずる事が出来た大本は、初期の積極的な面を生かして平和・友好と民主主義を強調し、原水爆反対や憲法擁護や中立政策の為に広い民主勢力と共に活動できた。
capelaurig
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<誤解説>当局側の大本神諭、霊界物語に対する誤解からおきた事件。治安維持法違反、不敬罪は大本側には意図も犯罪事実もなく、宗教的表現への無理解から。
<必然弾圧説>立教精神に基づき、世の立替え立直しを激しい宗教情熱にもえた宣伝に対する弾圧。おこるべくしておきた。
一つの事件に三つも見解があること自体おかしな話である。当方は昭和天皇の仕業であると結論ずけています。受け身、単純な理解は如何なものか。神がされるという惟神(かんながら)中毒的なあり方でなく、神意を体して、与えられた時節にどう応え実践するかであろう。
capelaurig
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capelaurig
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確かに大坂城は大工や左官が造った。秀吉がいかに権力があろうと、大工や左官がいなければ、大坂城はできなかった。しかし大工や左官が何万人いようと、あの時、秀吉が築城を決意せねば、大坂城はできなかった。働き手は大工や左官だが、しかし誰が造ったかといえば、やはり豊臣秀吉が造ったというべきであろう。
そのように、みろくの世の建設のための働き手は人だが、絶対的な権限はやはり神にある。革命は人の知恵の限界内で、人の力で理想世界を築こうとするものだが、それが実現してはたして人類が幸福になれるかどうかの保証はない。あるいはジョージ・オーエルの『一九八四年』のような、人聞ががんじがらめに管理されるような状況にならぬとも限らない。だが王仁三郎のいう世界改造は、神人合一、神と人との協同作業で理想世界を築こうとする。それが立替え立直しである。
ちはやふる神の霊魂をわかたれし 人は神の子神の宮かも
いと小さき人聞なれど魂は 全大宇宙に感応するなり
世の中の一切万事の出来事は 神のよさしの経倫としらずや
手も足も動かさずしてみろくの世 はやこよかしと祈る曲神
延び縮み心の船のままぞかし 神の経倫は人にありせば
体も霊魂も神のものなれば 仰ぎうやまえ我とわが身を
capelaurig
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肉体的思考をはなれよ
科学技術の発達によって世の中が便利になり、昔は分らなかった謎もおいおい解明されいろんな迷信や偏見が打破される。その結果、「宇宙戦争が想定きれる現代において、神や霊界などにまどわされるのは前近代的だ」と思い込んでいる人は多い。だがはたしてそれでいいのだろうか。
どんなに科学が進んでも、宇宙の謎を完全に解明することはできぬ。白い米を食って、赤い血をだし、黒い髪をはやし、黄色い糞をたれる。
この原理が明瞭にわかった医学博士もなければ、科学者もない。出口王仁三郎は「鼠一匹を研究して論文をだしても博士になれる世の中だから、学者といっても、真に頼りないものである」(水鏡』「科学の力」)といい、「屁のような理屈を吐いて飯を食う醜のものしりあな恐ろしき」と嘆く。
capelaurig
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