源平合戦と南北朝時代には二人の天皇が並び立ち、それぞれが異なる元号を用いたことはよく知られていますが、室町時代にも似た例があります。
このときは二人の天皇がいたわけではありませんが、異なる元号が用いられました。将軍・足利義教と鎌倉公方・足利持氏の対立により、正長から永享への改元に持氏が従わず、鎌倉では正長の元号のままでした。この対立は永享の乱に発展し、持氏は敗死しました。
持氏の子の古河公方・成氏も幕府と対立し、享徳から康正への改元を受け入れず、30年近くにわたって争い続けました。この乱は関東における戦国時代の始まりであり、やがて応仁の乱から全国が乱れることになります。
なお、日本の戦国時代は本当の戦国ではなく、大名たちは京都の天皇と将軍は認めていました。中国の古代の春秋時代に似ています。
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