ゴールデンウィークは私の子供のころからありましたが、様変わりしたところもあります。いくつか挙げてみましょう。
4月29日は昭和の敗戦前は「天長節」敗戦後は「天皇誕生日」で、平成になって「みどりの日」になり、さらに「昭和の日」に変わりました。「みどりの日」が5月4日に移動しましたが、この意味はよく分かりません。平成の初めから「昭和の日」でも良かったと思いますが、11月3日の「文化の日」(敗戦前は「明治節」)は「明治の日」にならないようです。明治維新の美化に励んできたNHKは何か言い出してもよさそうですが。
今日は憲法記念日ですが、護憲派は「政治的」と言われてお上から睨まれるようですね。憲法自体が政治的存在ですし、改憲派のみが認められるのはまさに「政治的」です。
5月5日は本来は男の子の祝日ですが、なぜか男女共通の「こどもの日」だそうです。3月3日を「婦人の日」にする動きも昔ありましたが、立ち消えになりました。元日や七夕もそうですが、旧暦で祝われてきた行事を新暦で祝う不自然さは残ります。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
4月29日は昭和の敗戦前は「天長節」敗戦後は「天皇誕生日」で、平成になって「みどりの日」になり、さらに「昭和の日」に変わりました。「みどりの日」が5月4日に移動しましたが、この意味はよく分かりません。平成の初めから「昭和の日」でも良かったと思いますが、11月3日の「文化の日」(敗戦前は「明治節」)は「明治の日」にならないようです。明治維新の美化に励んできたNHKは何か言い出してもよさそうですが。
今日は憲法記念日ですが、護憲派は「政治的」と言われてお上から睨まれるようですね。憲法自体が政治的存在ですし、改憲派のみが認められるのはまさに「政治的」です。
5月5日は本来は男の子の祝日ですが、なぜか男女共通の「こどもの日」だそうです。3月3日を「婦人の日」にする動きも昔ありましたが、立ち消えになりました。元日や七夕もそうですが、旧暦で祝われてきた行事を新暦で祝う不自然さは残ります。
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コメント
コメント一覧 (15)
capelaurig
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「同じ天人でも、東の団体に住む者と西の団体に住む者とは大変な幸不幸あるじゃありませぬか、西の方の団体が甲団体を羨望して移住して行く様な事はありますかな。」
「決して左様な案じはありませぬ。すべて神格よりする愛其ものの情動如何に依って、各自の運命が定まるのですから、西の団体が東の団体の光明を羨望して行った所で、自分の徳が足らないので、苦しくて居られないのです、それ故個々団体の天人は決して他へ自由に移るといふような事はありませぬ、すべて高天原には順序が第一重んぜられて居ります。此順序を誤る者は、到底天国の生活は望まれないのです。大神様の神格は順序が第一に位しているのですから、地上の世界の如く、決して秩序紊乱などの虞は夢にもありませぬ。これ故に天国は永遠に平和が保たれてゆくのです。」(第47巻 天国巡覧 天界行)
capelaurig
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「成程、実に結構な御経綸がしてあるものですなア。」
「現界の如く、労使の衝突だとか、労働問題だとか、地主対小作争議だとか、思想・政治・経済問題などは夢にも起りませぬ、実に平和な幸福な生涯ですよ。現界人が一度天国の情況を見たならば、再び現界へ帰るのは厭になって了ひますよ。」
「治国別さま、あの南の方に小さき丘陵が見えませう、あれは智慧と証覚とに充ちたる天人共の住居する団体です。そうして此真北に当る所に又一つの丘陵があって一部落が見えましょう、あれは愛善と信真の徳よりする智慧証覚に充ちたる天人共の住居する一個の団体でありまして、南の団体よりは少しく劣っている天人が群居して居ります。少し此から見ても朧気に見えるでしょう。」
「愛の善といふものは凡て吸引力の強いもので、又無限の生命を保有しているものです。天人であろうと、現界人や地獄界の人間であろうと、それ相応の愛によって生命が保たれている。其愛なるものは凡て厳と瑞の御霊の御神格より内分的に流れて来る。実に無始無終の生命ですよ。」(第47巻 天国巡覧 天界行)
capelaurig
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大本神諭 天の巻では『変性男子と女子との身魂の昔からの誠の因縁さえ解りて来たら、外の事は何も解らいでも、今度の御用は勤め上がるのであるから。。。。』、霊界物語でも国祖神の御隠退再現について度々述べられている。聖師(出口王仁三郎)の人類への遺言、1945年吉岡発言では『官国弊社の祭神は神でなく、唯の人間を祀っている。。。』大本第二次弾圧事件の原因をじんわりと誰にでも理解し易く述べられた。
つまり人類愛善の精神と万教同根の精神を強調された。
神社の境内は広く、沢山の神々を祀り、記紀神話の神も出てくる。
事件中、聖師は『わたしの教えに幾人ついて来てくれるか』と大本神観を如何に正しく理解するかが基本になります。
侵略戦争を聖戦とし。国家神道を主張した元凶といわれる筧克彦氏は『天照大御神様が根元として、主たる神様で在らせられ、天之御中主神は是だけを御祀りしようがない、大宇宙の根元というものを直ちに捉まえてお祀りするという事は出来ない』と宇宙創造神を否定している。
神社本庁の座田司氏は『天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神を造化三神と仰いだが、これら三神は観念神であって、氏神制度の祖先神つまり人格神として祭るのが日本の神々』と規定している。これでは、主神信仰に至らないわけで、聖師の『神社は人を祭る墓所の様なものだ』という至言になる。
capelaurig
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