神武天皇の最大の敵であった長髄彦(ながすねひこ)は謎に包まれた人物です。長髄彦が仕えていたというニギハヤヒノミコトも物部氏の祖とされ、神武と同じ天神の子であったとされていますが、やはり謎めいた存在です。
私は以前から神武天皇は西暦100年頃に実在した人物であり、『後漢書』に現れる倭国王の帥升ではないかと考えていますが、57年に光武帝から金印を与えられた倭奴国の王がニギハヤヒであり、大夫が長髄彦と考えると面白いと思います。金印が福岡県の志賀島で出土したため、このような考え方をする人はいませんが、金印は移動しやすいこと、大和の奈良(那羅)という地名も古いことを考えれば、それなりに有り得ると考えられます。
長髄彦との戦いで神武天皇を助けた金鵄(金のトビ)の伝説は、金印の記憶が反映しているかもしれません。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
私は以前から神武天皇は西暦100年頃に実在した人物であり、『後漢書』に現れる倭国王の帥升ではないかと考えていますが、57年に光武帝から金印を与えられた倭奴国の王がニギハヤヒであり、大夫が長髄彦と考えると面白いと思います。金印が福岡県の志賀島で出土したため、このような考え方をする人はいませんが、金印は移動しやすいこと、大和の奈良(那羅)という地名も古いことを考えれば、それなりに有り得ると考えられます。
長髄彦との戦いで神武天皇を助けた金鵄(金のトビ)の伝説は、金印の記憶が反映しているかもしれません。
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コメント一覧 (16)
<ろこくばかりか、亜米利加までが、末に日本を奪る企み、金と便利に任せつつ>(明治36年)<今の世界の国々は、御国に勝りて軍器を、海の底にも大空も。地上地中の選み無く、やがては降らす雨利加の、数より多き迦具槌に、打たれ砕かれ血の川の、憂瀬を渡る国民の、行く末深く憐みて><いよいよ西伯利亜(シベリア)線を花道と、定めて攻め来る曲津神、力の限り手を尽し、工夫を凝らし神国を、ひと呑みせんと寄せ来り、天の鳥船空覆い、東の空に舞ひ狂ひ>(大正6年・瑞能神歌)などの預言があった。
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治国別「いや、そうではない。天国は愛善の国だ。神は愛と信とを以て御神格と遊ばすのだ。吾々も神様の愛と信とを受けなくては生命を保つ事は出来ない。神より頂いた此愛と信とを遍く地上に分配せねばなるまい。地獄におつるのを恐れて現在目の前に苦しんでいる此憐れな人々を救はないと云ふのは、所謂自愛の心だ。自愛の心には天国はない。仮令此場所が地獄のドン底であろうとも、自愛を捨て善と愛との光明にひたる事を得るならば、地獄は忽ち化して天国となるであろう。」
「然し乍ら斯様な天国へ来て居ながら、あの様な穢い人間に触れて、折角磨きかけた精霊を穢す様な事があっては、多勢の人間を娑婆へ帰って救ふ事が出来ますまい。只の一人を助けて精霊を穢すよりも、此場は見逃して多勢の為に愛と信との光を輝かす方が、何程神界の為になるか知れませぬぞ。此処は一つ考え物ですな。」
「いや決してさうではない。目の前に提供された、いはば吾々の試験物だ。此憐れな人間を見逃して行過ぐる位ならば、到底吾々の愛は神の神格より来る真の愛ではない。矢張り自然界と同様に自愛だ、地獄の愛だ。斯様な偽善的愛は吾々の採るべき道ではない。」
「ここは最下層の天国、これより中間の天国団体へ案内致しませう。中間天国の天人の証覚や智慧及び愛と信は、下層の天国に住む天人に比ぶれば、万倍の光明が備はって居ります。此天国より一万倍の愛の善と信の真、
智慧証覚を備へなくては、仮令天国へ無理に上るとも、眼くらみ、頭痛甚だしく、力衰へ、殆ど自分の生死の程も分らない様になるものですよ。竜公は被面布を頂かれて、第二天国の探検もできませう。治国別様も被面布を上げませう。」(第47巻 天国巡覧 天開の花)
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2次弾圧の予審供述調書にこんな記載がある。<十六のまだうらわかき、さほひめを、神代の夢と消へやらで、三千とせならし、今の世に化けて洋服身にまとい大和島根の大空を>は若い稲田姫を呑もうとした八岐の大蛇が現皇統に化けて三千年間日本を統治する意味で、<神の稜威に照らされて、元の姿となる神はきくも邪悪の守護神>とは、鬼門の艮に遂はれて居た国常立尊が現れて、天皇陛下は元の八岐の大蛇となり、邪悪の統治者であった。現皇室は日本を統治せらるべき真正の天子様でなく、王仁三郎が真正の天子である事を主張せんが為に作った。誠に申し訳御座いませぬ。>誰が書かせたものか、現在では不明である。<天子を綾部に隠せり><今の天子偽者なり>昭和天皇が人間宣言をして象徴天皇になっても明治維新における皇室を巡る検証は、平成になってからである。王仁三郎に皇位継承権があった事、南北朝を巡る明治維新の革命理論には、横井小楠や吉田松陰らの南朝革命論があり、大本弾圧は南北朝の権力闘争でもあった。
後醍醐天皇が吉野山で京都の空をにらみ、再び皇位に還ることを念じ、子孫達に想いを託した願いは、明治天皇の崩御前年の勅裁からしばらく、南朝の名誉回復がなされたが、大室寅之祐とのすり替え説が浮上する余地となる。
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治国別「嗚呼どうなり行くも神の御心、吾々人間の如何ともすべき限りでない。神様、御心の儘に遊ばして下さい。罪悪を重ねたる治国別、過分も此清き尊き天国に上り来り、相当の御処分を願います。」もはや絶対絶命となって来た。此時俄に天の戸開けて天上より金色の衣を纏ひたる、目も眩きばかりの神人、二人の脇立を従へ、雲に乗って二人に前に悠々と下らせ給ひ、懐より霊丹(れいたん)と云ふ天国の薬を取り出し、二人の口に含ませたまへば、不思議なるかな二人は正気に返り、痩衰へた体は元の如く肥太り、顔色は鮮花色と変じ、爽快の気分に充されて来た。
「貴神は木花姫命様でございましたか、誠に御仁慈の段感謝の至りに堪へませぬ。」
「神様、能くまあお助け下さいました。竜公は既に天国に於て野垂れ死をする所でございますなあ。」
「総て天国には善と真とに相応する順序が儼然として立って居りますから、此順序に逆らへば大変に苦しいものですよ。身霊相応の生涯をさへ送れば、世の中は実に安楽なものです。水に棲む魚は、陸へ上れば直に生命がなくなるようなものでござります。」(第47巻 天国巡覧 霊丹)
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大正の時代に、王仁三郎は霊界物語第67巻<浮島の怪猫>で預言警告として、金剛不壊の霊山として湖にそびえるアケハルの岩(大黒岩・悪魔島)が突如沈んでしまう情景を発表している。<昔は日の神、月の神二柱が、天上より御降臨になり、八百万神を集いて日月の如き光明を放ち、邪気を払い天下万民を安息せしめ、ご神体として国人があの岩山を尊敬していた。おひおひ世は澆季末法となりその光明も光を失い、今や金毛九尾とも大蛇とも形容しがたい怪獣が棲息所となっている。時々大鳴動を起し、噴煙を吐き散らし、湖面を闇に包んでしまう。アレご覧なさい、頂上の夫婦岩が何だか怪しく動きだしたじゃありませぬか。あれあれ、そろそろ夫婦岩が頂の方から下の方へ歩き始めたじゃありませぬか。岩かと思えば虎が這うているように見え出して来たじゃありませぬか。よくよく見れば牛のような虎猫である。目を怒らして睨みながら、逃げるが如く湖面を渡って夫婦連れ、西方指して浮きつ沈みつ逃げて行く。にはかに浮島は鳴動を始め、半時ばかりの内に水面にその影を没っしてしまった。>
<我々は不安で堪らないのです。つい1時間前まで泰然として湖中に聳えていた、あの岩山が脆くも湖底に沈没すろというような不祥な世の中ですからなア。聖者は野に隠れ、愚者は高きに上って国政を私し、善は虐げられ悪は栄えるという無道の社会ですから、天地も之に感応して色々の不思議が勃発するのでしょう。今日の人間は堕落の淵に沈み、卑劣心のみ頭を擡げ、有為の人材は生まれ来たらず、末法常暗の世となり果ているのですから。
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「ハイ、吾々が命の親の木花姫様、この御恩は決して忘れはいたしません。」
「妾は貴方の命の親ではありませぬ。貴方の命の親は月の大神様ですよ。唯お取次をさして頂いたのみですよ。宇宙一切は月の大神様の御神格に包まれて居るのでございます。決して礼を云うて貰っては迷惑に存じます。何卒神様に直接にお礼を仰有って下さい。」
竜公「もし先生、霊界の如意宝珠と云ふのは善言美詞の言霊ですよ。中間天国へ上る途中に於て天津祝詞や神言の奏上を忘れたので、姫命様がお気をつけて下さったのですよ。」
「成程、ヤ、ウッカリして居った。木花姫様、有難うございます。ほんに竜公さま、お前は私の先生だ、ヤア実に感心。」
「先生、そんな事云って貰ふと大に迷惑を致します。決して竜公の智慧で言ったのではありませぬ。御神格の内流によって、斯様に思ひ浮べて頂かせられたのです。」
「現界に於きましては、竜公さまは治国別さまのお弟子でありませう。併しこの天国に於ては愛善と信真より来る智慧証覚の勝れたものが、最も高き位置につくのでございます。神を信ずる事が厚ければ厚い程、神格の内流が厚いのでございますから。」
「天国に参りましても、やはり現界の虚偽的階級を固持して居ったのが、重々の誤りでございます。月の大神様、日の大神様、木花姫様の肉の御宮を通し、又竜公さまの肉の宮を通して、愚鈍なる治国別に尊き智慧を与へて下さった事を感謝致します。」(第47巻 天国巡覧 霊丹)
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明治天皇のすり替えや天皇制の崩壊に及ぶ預言と、人類が破滅か生き残りかの分水嶺に立って、実に簡単明瞭に神と人との関係を示し警告を発している。大黒主を批判する部分と、現代社会の道義の乱れ・不安を取り上げ、近未来での大戦争と天地の怒りに触れて一旦破壊するとまで断定される。天皇や軍人は神ではない。崇拝黙祈すべきは主なる創造神である。
弾圧直後、当局のでっち上げ予審調書である。<太古伊邪那岐尊は高天原の主宰神とし、地上界は素戔嗚尊が統治、霊主体従の神政を行うが厳格すぎて、八百万神の反抗を受け、天照大神は千座の置戸を負い天の岩戸に隠退された。素戔嗚尊の子、出雲の大国主命は瓊々杵尊の降臨でが帰順したが、現皇統の体主霊従、弱肉強食により民衆は喘いだ。そこで済世救民の教主として王仁三郎が綾部に現れ、世の立替立直みろくの世の成就をはかり、国常立尊の隠退再現説を創作して、国体変革の思想を宣伝している。王仁三郎は国常立尊、豊雲野尊、撞の大神の霊代として現皇統を廃止し統治者になろうとしている。>大本の神は天皇制のかかげる神とは異質であり、独創的、より深い神観神話を当局は着目主張しているが、国体変革の教義はない。片言隻語を抜き出し、宗教用語に当局流の国体変革理論のでっち上げである。
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