ヤマトタケルは日本古代の伝説的な英雄であり、実在したか否かを論じてもあまり意味はないと思います。伝説通りのヤマトタケルは実在しないが、伝説の一部に当たる人物は多くいたのかもしれません。ここで問題になるのは日本書紀の中での年代です。
ヤマトタケルの父、景行天皇の在位年は西暦71年から131年ですが、その在位2年目にヤマトタケルの母に当たる女性を皇后に立てたという記事があり、その後に大碓命と小碓命(後のヤマトタケル)の記事が続くことから、日本書紀はヤマトタケルの誕生を西暦72年としているように見えます。しかし在位27年目のヤマトタケル西征時、彼は16歳だったと書かれていて計算が合いません。おそらく大碓・小碓の記事は後日談として付加された記事に過ぎず、彼の誕生は在位12年目(西暦82年)と解釈すべきでしょう。もちろんこの年代は史実とはほぼ考えられません。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
ヤマトタケルの父、景行天皇の在位年は西暦71年から131年ですが、その在位2年目にヤマトタケルの母に当たる女性を皇后に立てたという記事があり、その後に大碓命と小碓命(後のヤマトタケル)の記事が続くことから、日本書紀はヤマトタケルの誕生を西暦72年としているように見えます。しかし在位27年目のヤマトタケル西征時、彼は16歳だったと書かれていて計算が合いません。おそらく大碓・小碓の記事は後日談として付加された記事に過ぎず、彼の誕生は在位12年目(西暦82年)と解釈すべきでしょう。もちろんこの年代は史実とはほぼ考えられません。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
コメント
コメント一覧 (18)
7年にわたる天皇制下での法廷闘争は不敬有罪を残して、一応の結末を告げた。昭和18年を境に、戦局は転換した。日本とドイツは総くずれとなり、王仁三郎は事態を見極め、歴史の大きな胎動を見通していた。身辺は要注意人物として監視の目が光り、側近の憂慮にお構いなく、時局から身の上相談に至るまで訪ねてくる信者を指導したり、戦争で犠牲になった人々の為に心を砕いた。<今度の戦争は生き残るのが第一のご神徳だから御守りをやる>と信者に与えた。空襲が日常化し、危険にさらされるようになってから、<東京は空襲されるから早く疎開せよ、京都・金沢は安全・空襲は受けない>と指示を与え、<広島は一番ひどい目にあう。新兵器の被害を受けて火の海と化し、戦争は終わりだ。帰ったらすぐ奥地に疎開せよ>と急がせ、信者のほとんどは原爆の難を逃れた。大本営が虚偽の報道を続ける中、破局に近づいている状況、降伏についても、<日本の敗戦後は米ソ二大陣営の対立や、米国の支配下におかれるがしばらくの間や、日本は負けても世界の鑑となる>など戦後の見通しを述べ、弾圧下で入信した有力な人々は多い。昭和20年正月<何が新年お目出とうや、新年敗けましてお目でとうございますや。なごうもっても6ヶ月やな。馬鹿な戦争をしたもんや>とつぶやいた。
capelaurig
がしました
汚染水 薄めて流す ひどい奴 (柚っ子)
あまりにも ひどいと落胆 己が国 (落葉)
ひどい事故 なかったことに 菅総理 (ソクラテスの妻)
鉄面皮 どいてくれない 菅総理 (孫じい)
金もらい 老朽原発 再稼働 (乾草)
特選
ああひどい 捨てれば終わりか トリチウム (海の民)
「集中」の秀句
集中し やったつもりが もう忘れ (ソクラテスの妻)
人数は 関係ないと 集中し (落葉) *座り込みを思っての作*
経産省 ひどいポイ捨て ゴミの山 (原子力ガリレオ)
世界から 変異コロナが 集中し (遊児郎)
運動会 来賓密集 中止せず (孫じい)
特選
全集中 聞くべきことは 民の声 (乾草)
capelaurig
がしました
治国「何とご挨拶を申してよいやら、天国の様子は一向不案内、併しながら今珍彦様に承はれば、同気相求むるを以て、かく和合の境遇にありとのこと、さすればあなたの心は私の心、私の心は貴女の心、他人行儀の挨拶も出来ず、又自分と同様とすれば、自分に対しての挨拶も分らず、実は困っております。」
「現界的虚礼虚式は止めまして、万年の知己、否同心同体となって、打解け合うて、珍しき話を聞かして頂きませう。」
「どうも現界の話は罪悪と虚偽と汚穢にみち、かかる清浄なる天国へ参りましては、口にするも厭になって参りました。それよりも天国のお話を承はりたいものでございます。」
竜公「モシ珍姫様、あなたは珍彦様と服装が違う丈で、お顔はソックリじゃありませぬか。ヨモヤ現界に於て双児にお生まれになったのじゃ。」
「これ竜公、何といふ失礼なことを仰有る。」
「思ふ所を言ひ、志す所をなすのが天国じゃありませぬか。そんな体裁を作って、現界流に虚偽を飾るやうなことは天国には用ひられますまい。天国は信の真を以て光とするのですからなア。」
「これは竜公の副守の外流ですよ。モシ珍彦様、どうぞ私の今の言葉が天国を汚す様な事がございますれば直に宣り直します。」
「滑稽として承はれば、仮令悪言暴語でも其笑ひによって忽ち善言美詞と変化致しますから、御心配なさいますな。天国だって滑稽諧謔が云へないといふことがありますか、滑稽諧謔歓声は天国の花ですよ。」
「娑婆の執着が残って居りますからな。あなたは再び肉体へ帰ろうといふ慾があるでせう。第三天国でいったでせう、此処に居りたいと。過去を憂へず未来を望まず、今といふ此瞬間は善悪正邪の分水嶺といふ三五教の真理を体得してますからなア。」(第47巻 天国巡覧 一心同体)
capelaurig
がしました
昭和20年8月15日、日本は敗戦した。明治から三代にわたった天皇制支配は崩壊した。王仁三郎は<こうならぬとこの神は世に出られぬ。興奮して眠られんのじゃ、筆先に陣引とあるやろう>と側近に語った。国民大衆は茫然として焼土に立ちつくした。大本信者は古き時代の絆をたち新しい世をひらくスタートの日として<この日>を受け止めた。<日本はな、世界を一軒の家にたとえると神床にあたるのや、神床が非常に汚れて塵埃がたまって掃除をせねばならぬ。日本人にやらせると血で血を荒う騒ぎを繰り返し出来はせん。神様はマ元帥という荒男を連れてきて掃除させるのや、次に座敷の朝鮮と中国や。庭先の掃除はソ連や米国にあたるのや。>しかし支配勢力は敗戦の意味がわからず、天皇制と国体維持の為、旧支配体制の温存を図り東久邇宮を首班とし、不敬罪を諦めなかった。天皇がマッカーサーを訪問した記念写真は発禁処分となり、天皇制廃止を主張するものは共産主義者とみなし、治安維持法により逮捕するとさえ述べた。10月8日、GHQはポツダム宣言を無視だと、思想・信教・集会・言論の自由に対する制限の法令・制度の撤廃を指令した。10日に国事・政治犯の釈放、17日に大赦令を交付施行した。天皇の名で有罪とされた大本不敬事件は、一次6年、二次10年と十六年にわたる暴挙にピリオドが打たれた。敗戦・天皇制崩壊という歴史的事件によってもたらされた。
capelaurig
がしました
治国「ハイ微力の及ぶ限り・・否々神様の御神格に拠って吾身を使って戴きませう。」
かく話す所へ、玄関口より一人の男現はれ来り、
「珍彦様、祭典の用意が出来ました、サアどうぞ皆が待って居ります。お宮まで御出張下さいませ。」
「ご苦労でした。直様参りませう。お二人さま、どうです、之から天国の祭典に加はり拝礼をなさったら・・。」
「お供致しませう。」(第47巻 天国巡覧 一心同体)
capelaurig
がしました
capelaurig
がしました
治国別、竜公は珍彦に伴はれ、神の家と称する、天人が祭典を行ひ霊国宣伝使が説教を行ふ木造の殿堂に導かれた。いつまでも木の香新しく薫り、幾年経ても新築した時の想念に依って建てられてあるから、決して腐朽したり或は古くなったりするものではない。(第47巻 天国巡覧 化相神)
capelaurig
がしました
弾圧下の10年、日本の運命は一変し、悪魔の力は除かれて、大本は自由を回復し、神の示した立替え立直しの世になる事を信じ、権力や不法に屈せぬ反骨の精神が光り輝いた。
capelaurig
がしました
capelaurig
がしました