神武天皇の伝説と共に、第二次世界大戦後に省みられなくなったのが神功皇后の三韓征伐の伝説です。日本書紀の編者は卑弥呼を神功皇后と考えていたらしく、二人の年代を合わせ、神功皇后紀に魏志を引用していますが、この年代は誤りと思われ、神功皇后が実在したとしても4世紀後半の人物と考えられています。
省みられなくなっても、この伝説は日本人の無意識に影響を与えていると思われ、これは意識化する必要があると思います。安倍晋三は「戦争ができる国」を作ろうとしました。これはアメリカの要求によるもので、仮想敵としては中国や北朝鮮が想定されていると思いますが、安倍の本音は「アメリカを敵としても戦争ができる」国造りだったと思われます。それは無意識に押し込められて表には出てきませんが、いつ出てきても不思議はないと思います。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
省みられなくなっても、この伝説は日本人の無意識に影響を与えていると思われ、これは意識化する必要があると思います。安倍晋三は「戦争ができる国」を作ろうとしました。これはアメリカの要求によるもので、仮想敵としては中国や北朝鮮が想定されていると思いますが、安倍の本音は「アメリカを敵としても戦争ができる」国造りだったと思われます。それは無意識に押し込められて表には出てきませんが、いつ出てきても不思議はないと思います。
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capelaurig
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世祢の腹の子はひそかに育っていた。五か月に入る前から、晒の腹帯をこっそりとしめた。宇能も手伝って、きつくきつくしめた。恐ろしい秘密は世祢を寡黙にした。
――有栖川の若宮のお子と知れたら、殺されるかも知れぬ……。
他人をいとい、夫を恐れ、姉の眼をさけて、ただただ一つの目的のために、他はかえり見ぬ覚悟であった。
産む、あの方のお子を。その目的のために、夫を持った。善良な夫をあざむき、世間の目をいつわる苦しみに、身も心も傷だらけになりながら、世祢は出産を待つ。
世祢が伏見から予告なしに戻った晩より、家の空気が微妙に変わった。その変化を、不安のうちに賀るは意識した。家の空気は賀るだけをよけて流れる。母も妹も賀るの視線をさける。むだに老いていく身を恥じる細い神経の賀るを。その配慮がかえって賀るの神経をささくれだたせるのも知らずに。
あれから何日かした夜、不安ははっきりした形をとって、父から告げられた。世祢に婿を迎えたいと。それは相談のようでいて、その実、とっくに決まっていることであった。無理に笑んで式にも出た。さらでだに望みのうすい賀るの前途は真っ暗になった。孤独と絶望の中で、賀るは姉の存在を抹殺した美しい妹を心ひそかに憎む。が、間なしに妹の秘密を悟った。なんという恥知らずな……誰の子やら……あわてて婿をとった謎もとけて、軽蔑心が賀るの心を和らげた。蜜月にも似ぬ妹の苦しみは当然の酬いと嗜虐的に冷たく眺めていた。
ある日暮れ、沢庵石を持ち上げようとして、肩で息をつく世祢を見た。自分でも思いがけず、賀るは土間に走り降りていた。
(大地の母 深山の草)
capelaurig
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精霊は死後漸次に其面貌及音声の変化を来すと雖も、偽善者の精霊の面貌は他よりも遅れて変化するものである。彼等の内分即ち心は常に善き情動を模する事に慣れて居る。之等の精霊は久しく本来の醜悪を暴露せないものである。其虚偽の鍍金は次第を遂うて取除かれ、自ら剥げるが故に、その所成の内分は其情動本来の形態に従って変容せなくては止まないのである。かくなった時には偽善者は其本値を暴露され、醜陋を極め、実に惨めなものである。(第48巻 幽冥模索 亡者苦雑)
capelaurig
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「あきまへん、こんな重い石を……」
「そやさけ、うちが……」
「何言うてはるの。また熱が出ますで」
仕事を終えて野良から戻った梅吉が、庭先で鍬の泥を落としていた。姉妹の美しい諍いをほほ笑んで聞いた。賀るが決然と宣言した。
「とにかく、沢庵だすのはこれからうちの役目や」
「なんで急に……」
「あほうやなあ、今が一番大事な時やんか。沢庵ぐらいで赤ちゃんをわやにしてしもたら……」
「知ってはったん……姉さん」
世祢はうつむき、堪えきれずに姉にしがみついた。賀るの心は溶けていた。おぶって守りした可愛い妹だった。――赤ん坊? 空耳やったんかいな。梅吉は凝然と腕をこまねく。もしほんまなら、なんで真っ先に俺に打ち明けん。あまり水くさいやないか。怒りがつき上がった。汗を浮かべて、癇癪をこらえた。その夜の臥所で、梅吉は妻の背に震えを帯びた声で言った。
「赤ん坊でけたって、ほんまこ?」
不意をつかれて、世祢は全身をこわばらせ、身をすくめた。夫に背を向けたまま、かすかにうなずく。思わず妻の肩をつかんで、荒荒しく己れの方にねじ向けていた。
「子がでけたらでけたと、なんですぐ俺にいわん。お、俺の子やないか、俺の……」
見上げる世祢の眼に恐怖があった。それが哀願の色に変わって、涙がふき上がった。告白するなら今――。何もかも打ち明け、ひざまずいて、欺瞞の罪のせめから逃れたい。だが世祢は歯を食いしばった。言えなかった。告白して何の解決になろう。夫も悩み、自分も苦しみを増すだけである。
「すみまへん、まだはっきりしなかったんで……」
妻の涙で、梅吉の心はいくらかやわらいだ。――考えてみればまだ二月、世祢かて半信半疑で、よう言い出せなんだんやろ。
「泣くな。あほやな。怒ったんやないで。うーん。ほんまなら嬉しのう」
正直に父となる喜びがこみ上げてきた。梅吉は、祈る思いでいった。
capelaurig
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capelaurig
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七月十二日夕食のさなか、世祢の陣痛がはじまった。梅吉はうろたえた。
「早すぎるやんか、大丈夫け、流産やないけ」
「心配おへん。七月たってれば、子は育ちます」と宇能は言い、梅吉に取り上げ婆さんを呼びに行くよう毅然とした態度で命じた。
易々と世祢は男児を産んだ。いかにも小さかった。
「七か月やさけ、やっぱりなあ」
皆に聞かすように言い、ふきあふれる歓喜にうるむ眼で、宇能は嬰児を抱き上げた。
「月足らずいうても、しっかりしてはる。元気な子やで」と慰めるつもりか、取り上げ婆が言った。
「ちびのくせに、どてらい声で泣きくさる。顔も何も皺だらけ、口だらけやのう……」そのくせ梅吉の顔面もだらしなくゆるみっぱなしだ。
月満ちて生まれた児を「七か月児」と言いなりに、夫は信じてくれるのか。おずおずと細い手が寄ってきた。大役を乗り越えた後の安らぎと深い感謝をこめた妻のまなざしを、はじめて梅吉は我が物とした。
この騒ぎにほとんど忘れられながら、賀るは、ほとばしる命の産声につき動かされていた。わが子を産みたい、という女性の本能が、切なく賀るを襲った。
一家の喜びをそのまま冠して喜三郎と名づけたのは、祖母宇能である。戸籍による喜三郎の生年月日は、明治四年旧七月十二日。
「王仁は祖先が源平であろうと藤橘であろうと、はたまたその源をなんの天皇に発していようと、詮議する必要はない。ただ王仁は日本人であって、畏くも天照大御神さまの御血統の御本流たる天津日嗣天皇さまの臣民であることだけは、動かぬ事実だ。そして王仁の生家は上田家である。
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神は至仁至愛にましますが故に、神諭の密意を自然界の外分的人間に容易く悟らしめむが為に瑞霊の神格を精霊に充し、変性女子の肉体に来らしめ、其手を通し口を通して霊界の真相を悟らしめ給はむとの御経綸を遊ばした。(第48巻 幽冥模索 罪人橋)
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喜三郎すなわち後年の出口王仁三郎は、〈故郷の二十八年〉の中で、こう記す。水のみ百姓の伜であるその出生を述べるのに、天津日嗣の天皇までひきあいに出さねばすまぬ彼の胸のうちは、今はふれまい。
喜三郎の生まれ育つ曽我部村穴太は、山陰道の入口に所在する亀岡盆地の中心地、亀岡町から西へ約一里、宮成長者の創立した西国三十三番札所二十一番の穴太寺で知られる。亀岡は以前は亀山と称したが、丹波亀山が伊勢亀山と混同され勝ちのため、明治二(一八六九)年六月、藩主松平信正が藩知事に任命されたのを機に、亀岡と称したものである。
穴太の地名起源説が、豊受大神宮(伊勢外宮)遷座に関して、上田家に伝えられている。雄略天皇の御代、天皇の夢枕に立たれた天照大神のお告げにより、豊受大神を丹波国丹波村比沼真奈比から伊勢の国山田の村に遷す神幸の途次、曽我部郷宮垣内の上田家の地が神輿の旅所に選ばれた。そのおり、祭儀に供えた荒稲の種子が太い欅の樹の穴に落ち、穴から稲の芽が出た。これを育てて瑞穂を得たので、里人は神の許しを得て良田にその種子を蒔きつけ、村内に植えひろめた。以来、この一帯を穴穂の里といい、のち穴太の里になる。小幡神社には、〈穴穂の宮〉の額が今もかかげられている。
穴太寺には別の縁起が伝わる。大飢饉年、寺に桑の切り株が流れてきた。その株の穴から穂がでており、それを種籾にして良質の米を得た。だから穴太寺の住職は、代々穴穂姓である。
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言依別『オー玉彦、神素戔嗚の大神の御舎は、どの方面に当らうかなア。此処は河鹿峠の山麓、河鹿河の岸辺と見える。暴風に吹捲られ、吾等は脆くも此山麓に吹散らされ、何となく一種不可思議な心持になって来たが、汝等はどう考えるか。』
玉彦『仰の如く河鹿峠の烈風に煽られ、千尋の谷間へ転落せしと思ふ間もなく、風に木の葉の散る如き心地し、フワリフワリと魂は飛んで大空高く東を指して進み来りしよと見る間に、不思議や吾等一行の身は、名も知れぬ山の麓の風光明媚の河縁に進んで来たのです。吾々が熟ら考へまするに、此処は決して河鹿峠のの谷間ではありますまい、自転倒島の中心点の様に思はれます。』
厳彦『さうだ、玉彦の言う通り合点の行かぬ四辺の光景、現界とは様子が大変に違って居る様だ、大方此処は天国ではあるまいかいなア。』
楠彦『たしかに天国に間違ありませぬ。迦陵頻迦の数限りもなく、アレあの通に舞狂ふ有様、吹き来る風は美妙の音楽を奏し、空気は何となく香ばしく梅花の香りを交へ、見るもの聞く物一つとして快感を与へないものは御座いませぬ。御案じなさいますな、真心を大神は御見ぬき遊ばして、斯かる天国に導き下さったのでせう。』
天空を轟かして一道の光明と共に天の磐船に乗りて此場に下り来る神人あり。天の磐船は静に一行が前に舞下りぬ。金銀珠玉、瑠璃、瑪瑙、真珠、珊瑚等を以て飾られたる立派なる御船なりき。(第15巻 神行霊歩 第一天国)
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