カテゴリ: 小説

三島由紀夫の『鏡子の家』は中期の重要な小説ですが、三島はこの作品でニヒリズムを追究しています。第三章では、世界の崩壊を信じるエリート・サラリーマン杉本清一郎のニヒリズムについて、童貞の日本画家・山形夏雄は拳闘選手の深井峻吉に次のように説明を試みます。

あの人は僕たち四人のうちで、誰よりも俗物の世界に住んでいるんだ。だからあの人はどうしてもバランスをとらなければならないんだ。俗物の社会が今ほど劃一的でなくって、ビヤホールでビールの乾杯をしながら合唱するような具合に出来ていた時代には、それとバランスをとり、それに対抗するには、個人主義で事足りただろう。・・でも今はそうは行かないんだ。俗物の社会は大きくなり、機械的になり、劃一的になり、目もくらむほどの巨大な無人工場になってしまった。それに対抗するには、もう個人主義じゃ間に合わなくなったんだ。だからあの人は、ものすごいニヒリズムを持って来たんだ。

この文章は、六十年以上前に書かれたものですが、今でも新鮮に感じられます。夏雄も富士樹海で世界の崩壊を幻視した後、神秘にひかれていくことになります。
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当ブログは三島由紀夫について書くことで始まりました。最近では触れる機会が少なくなりましたが、やはり三島のことは周期的に私の意識に上ってきます。
遺作『豊饒の海』、中でも第三巻『暁の寺』。その十三で本多繁邦が接するヘラクレイトスの雄渾な思想は、三島が最後に辿りつきたいと願った境地と思われます。

時間も空間も超越した領域で、自我は消えさり、宇宙との合一は楽々として成り、或る神的体験の裡に、われわれはあらゆるものになるのだった。そこでは人間も自然も、鳥も獣も、風を孕んでさやぐ森林も、魚鱗をきらめかす小川も、雲を戴く山も、青い多島海も、お互いに存在の枠を外して、融和合一することができた。ヘラクレイトスが説いているのは、そのような世界であった。

本多はこの思想に或る解放を覚えながらも、その光明に盲いることを怖れ、まだ自分の感性も思想も熟していないと感じ、離れてしまうのでした。
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数学に関心を持たなかった三島由紀夫ですが、『豊饒の海』第三巻『暁の寺』十三にはピタゴラスに関する記述が出ています(「ピュタゴラス」と表記されています。)

オルペウス教の祖述とも深化とも云われたピュタゴラス教団は、輪廻転生説と宇宙呼吸説をその特色ある教義とした。
本多はこの「宇宙が呼吸する」という思想の跡を、のちにインド思想と永い対話を交わすミリンダ王の生命観霊魂観の裡に辿ることができたが、それはまたわが古神道の秘義にも似ていた。

三島はピタゴラスより、それに先行するオルペウス教やディオニュソス信仰に多くの頁を割いています。また『暁の寺』十四では十七、八世紀のイタリアに復活した輪廻転生説に目を向けています。
数学についてもピタゴラスの精神は近世のタルタリアやガリレオ・ガリレイに受け継がれており、歴史の奥深さを感じます。
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井上靖の『天平の甍』は奈良時代の唐僧、鑑真の来日を主題にした歴史小説ですが、主要な登場人物の一人に戒融がいます。この戒融は『続日本紀』の2か所に出ており、井上は小説の最後でその史実を明かしています。

この年(天平宝字8年=764年。引用者注)、新羅使節金才伯が来朝して、渤海国経由で新羅に来た唐勅使韓朝彩の依頼で、さきに唐より渤海国を経て日本へ向った日本留学僧戒融の帰朝の有無を訊ねたことがあった。このことから判断すると、戒融は再び故国の土を踏まないといっていたその志を曲げて、いつか日本へ帰っていたのかも知れない。この戒融の帰国の裏づけと見なしてよさそうなもう一つの史料がある。それは天平宝字7年に、戒融という僧侶が優婆塞一人伴って唐から送渤海使船に乗って渤海を経て帰国したが、途中、暴風雨に遇い、船師が優婆塞を海に投じたということが古い記録に載っていることである。

新潮文庫の解説で山本健吉は戒融について「その行動は、日本に何物ももたらさず、広大な国土の中に消え失せて行ったというべきだが、生きようとする自分の意志、確かめようとする自分の疑問に対して、誰よりも忠実だったと言える」と評しています。

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三島由紀夫の遺作『天人五衰』二十六は次のように始まります。

(前略)透が養子に入って、足かけ四年のあいだは平穏に見え、透の変化も目に立つほどでもなかったのが、この春透が成年に達して東大に入学してから、すべてが変ったのである。透は俄かに養父を邪慳に取扱うようになった。逆らうとすぐ手をあげた。本多は透に暖炉の火掻き棒で額を割られ、ころんで打ったといつわって病院通いをしてからというもの、透の意を迎えることにもはや汲々としていた。

この透の状態は、私の高校時代にかなり似ています。私の場合は物を壊す程度で、親に暴力をふるうことはありませんでしたが。

透の一日。
彼はもう海を見なくてよい。船を待たなくてよい。
本当はもう大学へも行かなくてよいのだが、世間の信用を博するためだけに通っている。東大へは歩いて十分足らずで行ける距離なのに、わざわざ車で通うのである。

透はこの時点では「世間の信用」を重視していたようです。透が自殺未遂と失明により、引きこもりのような「天人五衰」になるのはクリスマスに慶子に呼び出された後のことです。
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