カテゴリ: 小説

井上靖の『天平の甍』は奈良時代の唐僧、鑑真の来日を主題にした歴史小説ですが、主要な登場人物の一人に戒融がいます。この戒融は『続日本紀』の2か所に出ており、井上は小説の最後でその史実を明かしています。

この年(天平宝字8年=764年。引用者注)、新羅使節金才伯が来朝して、渤海国経由で新羅に来た唐勅使韓朝彩の依頼で、さきに唐より渤海国を経て日本へ向った日本留学僧戒融の帰朝の有無を訊ねたことがあった。このことから判断すると、戒融は再び故国の土を踏まないといっていたその志を曲げて、いつか日本へ帰っていたのかも知れない。この戒融の帰国の裏づけと見なしてよさそうなもう一つの史料がある。それは天平宝字7年に、戒融という僧侶が優婆塞一人伴って唐から送渤海使船に乗って渤海を経て帰国したが、途中、暴風雨に遇い、船師が優婆塞を海に投じたということが古い記録に載っていることである。

新潮文庫の解説で山本健吉は戒融について「その行動は、日本に何物ももたらさず、広大な国土の中に消え失せて行ったというべきだが、生きようとする自分の意志、確かめようとする自分の疑問に対して、誰よりも忠実だったと言える」と評しています。

お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m

三島由紀夫の遺作『天人五衰』二十六は次のように始まります。

(前略)透が養子に入って、足かけ四年のあいだは平穏に見え、透の変化も目に立つほどでもなかったのが、この春透が成年に達して東大に入学してから、すべてが変ったのである。透は俄かに養父を邪慳に取扱うようになった。逆らうとすぐ手をあげた。本多は透に暖炉の火掻き棒で額を割られ、ころんで打ったといつわって病院通いをしてからというもの、透の意を迎えることにもはや汲々としていた。

この透の状態は、私の高校時代にかなり似ています。私の場合は物を壊す程度で、親に暴力をふるうことはありませんでしたが。

透の一日。
彼はもう海を見なくてよい。船を待たなくてよい。
本当はもう大学へも行かなくてよいのだが、世間の信用を博するためだけに通っている。東大へは歩いて十分足らずで行ける距離なのに、わざわざ車で通うのである。

透はこの時点では「世間の信用」を重視していたようです。透が自殺未遂と失明により、引きこもりのような「天人五衰」になるのはクリスマスに慶子に呼び出された後のことです。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m

この小説は私が若い頃から好きで、三島由紀夫も高く評価していました。当ブログでも何度か取り上げましたが、7の末尾近くにこんな文章があります。

そう思ってわたしは、このような機会にたとえ十日間でも断食が続けられたなら、自分の為に良いことだ、と考えていたくらいです。御馳走を食べたあとは何時だって悪いことをした気持に襲われると、この時分になってやっと気付きました。といって、四日以上に亘って絶食の記録を作ることは到底わたしには為し能えませんでした。我慢が出来なくなるからではありません。ものの四日間もじっと引き籠っているうちには、例の飯塚酒場の常連の誰かがわたしを呼びにやってきて、表から大声に喚ばわるからでした。

足穂は「僕は他人のお布施で生きてきた」と言っていますが、彼には人徳があったのでしょう。私は人徳がないので、お金がなくなれば親や市役所に相談することになります。市役所もなるべく生活保護はしたくないので「就労を促し」ます。
どうも騙されたような気もしますが、無意識に今のような生活を望んでいたのかもしれません。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m

前回の投稿で『天人五衰』を引用しましたが、そこに描かれた「壁」の表現が気になりました。

何か見えない現実とそこから利得を得ている見えない人間との間に介在して、不断にその双方を嘲笑している不透明な壁、生の匂いのきつい油絵具で隅々まで塗られ描かれた壁

『鏡子の家』で四人の男たちは清一郎の提案によって「決して互いに助け合わない」同盟を結びますが、そこにも「壁」が出てきます。四人はそれぞれの思いを「壁」に託します。中でも清一郎は「俺自身が壁に化けてしまう」ことを考えます。
清一郎は「油絵具の壁画に溌剌と姿を現わす人間」であり、「実はもっとも窮屈に機構にとらわれ、他人の支配に屈している」人間であると考えられます。商社マンと肉体労働者の違いは本質的ではないでしょう。筋肉は運動神経と結びついていて、頭脳と不可分に進化してきたものと思われるからです。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m

働き始めて二週間が過ぎました。工事現場で働く人々を毎日見て、話もするようになりました。私は一日ずっと道路を監視して、旗振りや通信をしていますが、三島由紀夫の『天人五衰』二十五で、本多繁邦が養子の透と共に港を訪れる場面を思い出しました。

本多は息子も知らぬことに満足して、荷役の男たちの呼び交わす叫喚に耳を傾け、生涯に自ら決して携わることのなかった労働をしみじみと眺めた。
(中略)額に汗して荷役に従事する沖仲仕たちの、目にも見え絵にも描かれる労働のさまを見ると、本多は決して「良心的な」負け目などは感じなかったけれども、自分の生涯に対する隔靴掻痒の感に悩まされ、目に見える風景や事物や人体の動きのすべてが、自分が接しそこから利得を得た現実そのものであるよりも、何か見えない現実とそこから利得を得ている見えない人間との間に介在して、不断にその双方を嘲笑している不透明な壁、生の匂いのきつい油絵具で隅々まで塗られ描かれた壁のように思われた。しかもその油絵具の壁画に溌剌と姿を現わす人間は、実はもっとも窮屈に機構にとらわれ、他人の支配に屈しているのである。本多は自分がそんな被支配の不透明な存在でありたいと望んだことはなかったが、船のように生と存在にしっかり錨を下ろしているのは、彼らのほうであることも疑いを容れなかった。思えば社会は、何らかの犠牲に対してしか対価を払わない。生と存在感を犠牲にすることが大きいほど、知性はたっぷりと支払われるのであった。

お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m

↑このページのトップヘ