三島由紀夫の『鏡子の家』は中期の重要な小説ですが、三島はこの作品でニヒリズムを追究しています。第三章では、世界の崩壊を信じるエリート・サラリーマン杉本清一郎のニヒリズムについて、童貞の日本画家・山形夏雄は拳闘選手の深井峻吉に次のように説明を試みます。
あの人は僕たち四人のうちで、誰よりも俗物の世界に住んでいるんだ。だからあの人はどうしてもバランスをとらなければならないんだ。俗物の社会が今ほど劃一的でなくって、ビヤホールでビールの乾杯をしながら合唱するような具合に出来ていた時代には、それとバランスをとり、それに対抗するには、個人主義で事足りただろう。・・でも今はそうは行かないんだ。俗物の社会は大きくなり、機械的になり、劃一的になり、目もくらむほどの巨大な無人工場になってしまった。それに対抗するには、もう個人主義じゃ間に合わなくなったんだ。だからあの人は、ものすごいニヒリズムを持って来たんだ。
この文章は、六十年以上前に書かれたものですが、今でも新鮮に感じられます。夏雄も富士樹海で世界の崩壊を幻視した後、神秘にひかれていくことになります。
お読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
あの人は僕たち四人のうちで、誰よりも俗物の世界に住んでいるんだ。だからあの人はどうしてもバランスをとらなければならないんだ。俗物の社会が今ほど劃一的でなくって、ビヤホールでビールの乾杯をしながら合唱するような具合に出来ていた時代には、それとバランスをとり、それに対抗するには、個人主義で事足りただろう。・・でも今はそうは行かないんだ。俗物の社会は大きくなり、機械的になり、劃一的になり、目もくらむほどの巨大な無人工場になってしまった。それに対抗するには、もう個人主義じゃ間に合わなくなったんだ。だからあの人は、ものすごいニヒリズムを持って来たんだ。
この文章は、六十年以上前に書かれたものですが、今でも新鮮に感じられます。夏雄も富士樹海で世界の崩壊を幻視した後、神秘にひかれていくことになります。
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