カテゴリ: エッセイ

コノハナノサクヤビメとニニギの神話は面白いです。ニニギが日向国に天下り、これを迎えた大山津見神は二人の娘を差し出しました。
ニニギは二人のうち、美しい妹のコノハナノサクヤビメだけを受け入れ、醜い姉のイワナガヒメを返してしまいました。大山津見神は怒ります。
この事件のために天皇たちの寿命は岩のように永久ではなくなり、木の花のように儚いものになったと伝えられています。

是以至于今、天皇命等之御命不長也。

「天皇命」を「すめらみこと」と読むのが一般的ですが、「命」を天皇以外の皇族(ニニギを含む)と解釈すれば「すめらみことみこと」と読んでもよいように思われます。
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伊勢神宮の内宮では天照大神を祭ります。天照大神は皇祖神で太陽神でもありますが、明治天皇まで歴代の天皇は参拝しなかったと言われています。
実は、参拝したかもしれない天皇が一人だけいました。女帝の持統天皇です。『日本書紀』によると6年(西暦692年)に持統天皇は伊勢国の神郡に行幸しています。
この行幸に従った大臣・石上麻呂(『竹取物語』の「石上まろたり」のモデルと言われています)が『万葉集』の44番に和歌を残しており、大和国を「日本」と表記しています。
持統天皇は伊勢神宮の「式年遷宮」を始めたともされています。それまでは天皇の代ごとに都は移動していましたが、藤原京という恒久的な都を造営しました。結果的に藤原京は僅か16年で平城京に移り、式年遷宮の20年より短命に終わったのは歴史の皮肉です。
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位牌は仏壇に置かれるものですが、本来は仏教のものではなく、中国の儒教に由来すると考えられています。
司馬遷の『史記』によると、殷の最後の暴君・帝辛(紂王)を周の武王が討った時、武王は名君であった亡父の西伯(文王)の「木主」を戦車に乗せていたとされます。木主は位牌のことで、これが位牌に関する最古の記録のようです。
浄土真宗では位牌を用いないのが普通ですが、地域や寺院による違いもあり、一概には言えません。位牌は魂の依り代とされ、これが無いと魂の帰る場所が無いため、仏壇には必須と考えられています。
位牌のことなどあまり考えたことはありませんでしたが、父が亡くなってから興味を持ち、いろいろ調べているところです。
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「武」という漢字は「戈を止める」と書きます。ここに重大な意味を見出だすことも出来そうですが、残念ながらこれは間違いです。
「止」という漢字は足を表す象形文字で、本来(殷の時代)は歩いて行進することを意味していました。そのため「武」という漢字も本来は戈を持って進む意味だったと考えられます。
「止」が周の時代になって意味が変わり、現在のように止まることを表すようになりました。この変化の理由は分かっていません。甲骨文字の発見によって漢字の理解は深まったと言えますが、新たな謎も生まれました。こうしたことが繰り返されて学問は進んでゆくのでしょう。
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甲骨文字は漢字の祖先と言われています。三千年以上前の古代中国の殷の遺跡から獣の肩甲骨や亀の甲羅を焼いて占った記録が残されています。
亀の甲羅を使う占いは現在の日本でも行われており、令和の大嘗祭で稲を献上する地域を定めるために行われたそうです。古代中国との深い繋がりが感じられます。
漢字は不思議な文字で、世界の古代文明で生まれた文字が忘れられてしまった中で滅びることなく使われています。東洋は文字を中心とした文明であり、発音記号のような文字しか持たない西洋の言語学では全く分かりません。
この漢字文明を滅ぼすことなく未来に伝えていきたいものです。
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