カテゴリ: 邦楽

https://youtu.be/_RqQaVfyMhI
以前紹介した石川セリさんも歌っていた『Moonlight Surfer』のカバーです。かとうれいこさんはグラビアクイーンでしたが、歌手として成功したとは言えません。この曲も石川さんと比べたくはありませんが、かとうさんの曲の中ではヒットしました。
かとうさんのバスト詐称疑惑は、馬鹿らしいですが興味深い問題です。86センチのわけが無かろうと、この私ですら思います(笑)別の芸名で活動していた時期のVHSに「97センチ」という表示があるのですが、彼女は昔のことには触れられたくないようです。まあ、事情は分かりますが。30年近く前にあのVHSを見て大きな影響を受けてしまった私としては、割りきれないものが残るわけですが・・
私の見るところ、かとうさんはバラエティ番組などで場の空気を読むのは苦手なように見えましたが、根本的に頭が良い人です。私よりずっと頭が良いです。そんな人が見え透いた嘘をつき続けるのは不思議なことです。おそらく彼女が口に出さない、または意識にも上らない理由があるのではないでしょうか。
幸か不幸か、私はかとうさんにお会いしたことはありませんが、彼女の先輩の堀江しのぶさんには3回ほどお会いしました。最初は1984年4月29日、池袋サンシャイン広場のミニライブの時でした。堀江さんは私と同郷で、私の妹は堀江さんと同じ高校の同級生でした。もっとも面識は無かったようで、堀江さんに聞いたらやはり「ごめんなさい、知りません」と言っておられました。私も兄妹仲が悪く、最近は音信不通の状態ですし・・それはともかく、堀江さんが1988年に23歳という若さでスキルス性胃癌のために亡くなられたのはショックでした。健康そのもののようで、一番そんなイメージから遠い方でしたから。
堀江さんの最期の言葉は「私、仕事がしたい」だったそうですが、これは最後に話を交わした相手が野田社長だったからかもしれません。父親か母親が相手なら、別の言葉になった可能性もあります。それでもこの逸話からは、堀江さんが仕事熱心な高度成長期の申し子だったことも感じ取れます。かとうさんは仕事への熱意はそれほどでもなかったという話もあります。彼女の場合はそれが魅力だったかもしれません。
念のため付け加えると、私は「巨乳」は嫌いではないですが、マニアというわけではありません。細川ふみえさんをはじめ、かとうさん以後のイエローキャブ(今は「サンズ」でしたっけ)の皆さんには何の興味も湧きません。
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歴史的な米朝首脳会談の後、安倍政権は醜態を晒しています。今日は北山修さんの72歳の誕生日です。亡くなられた加藤和彦さん、はしだのりひこさんと三人で歌った『ザ・フォーク・クルセダーズ』の『イムジン河』が、完全に過去の懐メロになる日が来るかもしれません。
偶然ですが「イムジン」の名は、ジョン・レノンの名曲『イマジン』を思い出させます。もっとも北朝鮮の発音では「リムジン」とかで、全く違うイメージになります。三人は朝鮮学校に通っていた友人からこの曲を教わり、なんと美しい曲かと感動し、やはり友人の松山猛が日本語詞を書いたそうです。一番以外は原曲とは違うようですが、二番の歌詞は心に突き刺さるものがあります。

誰が祖国を二つに分けてしまったの
誰が祖国を分けてしまったの

1945年8月15日。日本の降伏のタイミングは、朝鮮民族にとって最悪のものでした。降伏がもう少し早くても遅くても、朝鮮半島が南北に分断されることは無かったと思われるからです。
朝鮮民族の統一を歓迎しない日本人は、少なからずいるものと思われます。隣に大きな国が出来るより、南北で睨み合っていてくれるほうが安心だという考え方でしょうね。それは、アジア人同士が仲良くなることを嫌い、永久に日本と中国を喧嘩させておきたいアメリカの意向ともリンクします。しかしトランプ大統領は歴代のアメリカの大統領と異なり、アジアからの撤退を望んでいるように思われます。
1972年、ニクソン訪中で劇的に変化した東アジア情勢に当時の佐藤栄作政権は対応出来ず、田中角栄が登場し、日中国交正常化を実現しました。栄作の大甥である安倍晋三も同じで、まさに大胆な転換が必要になっていると感じます。
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https://youtu.be/PoLRjWM9nQ4
今日は久しぶりに音楽の話です。1981年の石川セリのアルバム『星くずの街で』を取り上げます。10曲入っていますが、冒頭の『真珠星(Pearl Star)』は私のお気に入りの曲の一つです。
最初にこの曲を聴いたのは、池袋のプラネタリウムだったと思います。そのとき一緒に流れていたのが、当ブログで取り上げさせていただいた水越けいこさんの『星の子守唄』でした。懐かしい・・ほかには『池上線』で有名な西島三重子さんの『天体望遠鏡』も同時に聴いた記憶があります。
石川セリさんは日米のハーフで、井上陽水の奥さんです。以前テレビで見たとき「ライバルは誰ですか」と訊かれて「松任谷」と答えていらっしゃいました。でもたぶん、松任谷由実さんのほうではセリさんをライバルとは思っていないのではないでしょうか(セリさん、ごめんなさい)。ちなみに、このアルバムの2曲目は松任谷さんの作品『手のひらの東京タワー』です。ほかにも『朝焼けが消える前に』『霧の桟橋』という曲が松任谷さんから石川さんに提供されています。
『真珠星』は、パンタこと中村治雄さんの作品です。パンタがまた面白い人物で伝説のグループ「頭脳警察」のメンバーでした。『パール・スター』という曲名は「パンタ」から思い付いたのかもしれませんが、前年の1980年にはジョン・レノンがヨーコ夫人の目の前で「サインが気に入らなかった」ファンに銃殺されています。この曲を聴くと、同音の遥子夫人と三島由紀夫の『潮騒』や『美しい星』も思い出され、私の中ではすっかり三島由紀夫のテーマソングになっています。
パンタはこの曲とほぼ同時期、『スノー・キャンドル』『ムーンライト・サーファー』という二つの名曲もセリさんに提供しています。『スノー・キャンドル』はこのアルバムの4曲目に入っています。『ムーンライト・サーファー』は、かとうれいこさんが1991年にアデランスのCMソングとしてカバーされていて、そちらで知っている人が多いかもしれません。
7曲目の『バイ・バイ・オートバイ』と9曲目の『ローズ・バッド』は、あがた森魚さんの曲で秀逸です。
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今日は作詞家の北山修を取り上げます。この人は本職は精神科医で、しかも日本精神分析学会の会長をされていたようです。このブログによくコメントを下さる「チームぼそっと」さんもお詳しいかもしれませんね。
私が大学時代に見てもらっていた駒場の岡先生(髭もじゃですが、尊敬できる方でした)も知人で、特に親しくはないが学会で話したことはあると聞きました。あとで私のことも伝えて頂き、少し感激しました。
『北山修青春詞歌集』は彼が作詞したヒット曲を自分で歌ったアルバムです。「僕は音程が悪い」と認める通り、歌はどうも?という感じですが、それが奇妙な魅力になっています。
私は2曲目の『さすらい人の子守唄』が特にお気に入りです。原曲ははしだのりひことシューベルツですが、これはどうも甘ったる過ぎて閉口します。北山修は少し歌詞を削り、あの奇妙な音程で?さらりと歌っています。そう言えば、はしださんが亡くなったようです。加藤和彦も既に亡く、フォークルの生き残りは北山さんだけになりました。
3曲目が『白い色は恋人の色』ですが、これは私としては残念ながらベッツィ&クリスの原曲に遠く及びません。
7曲目の『戦争を知らない子供たち』はビートをきかせたアレンジでメッセージ性が強くなっています。北山修は昭和21年生まれで、まさに「戦争を知らない子供」だったわけですが、今は「戦争を知らない老人たち」の時代です。明治から昭和の日本が戦争ばかりしていたことを思うと夢のようです。
しかしながら、かつて満州国が日本の傀儡だったように、戦後の日本はアメリカの傀儡国家になり、宗主国はずっと戦争ばかりしてきました。平和主義は美しい思想ではありますが、それは永久に日本は「アメリカの傀儡」でよいという考えにつながります。アメリカは日本を傀儡のまま「戦争が出来る国」に変えたいようですが、そんな虫のいい話があるでしょうか。もし日本が「戦争が出来る国」になるなら、その矛先は北朝鮮でも中国でもなく、現に日本を占領している国でしょうね。
でも、おそらくそのような未来は来ないでしょう。私は悲しいですが、日本は満州国と同じ運命をたどるだろうと予測しています。
満州国は皇帝・愛新覚羅溥儀の下に「五族協和」の旗を掲げましたが、牛耳っていたのは「弐キ参スケ」(東條英機、星野直樹、鮎川義介、岸信介、松岡洋右)と言われた日本人たちです。関東軍(関東とは山海関の東の満州のことで、日本の関東地方ではない)の参謀長だった東條英機は日本に帰って総理大臣になり、アメリカとの戦争を始めました。満州国の総務庁次長だった岸信介は東條内閣の商工大臣になりましたが、サイパン玉砕の後、東條と対立して内閣を総辞職に追い込みました。アメリカは日本全土を空襲して原爆を落とし、ソ連が日本に宣戦して満州国を滅ぼし(このとき関東軍はほとんど戦えなかった)日本は降伏しました。東條と岸はともにアメリカ軍に逮捕され、東條が戦争犯罪人として処刑された翌日、岸信介は逆に釈放されました。後に岸は総理大臣になり、安保改定を強行しますが混乱の責任をとって内閣は総辞職しました。その孫が安倍晋三です。現在、総理大臣を務めている安倍の上には天皇陛下がおられますが、牛耳るのはアメリカ人たちです。
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2017年12月3日 一部を修正しました。
2017年12月4日 改題し、加筆しました。
2017年12月5日 満州国の「五族」とは日本人、朝鮮人、漢人、満州人、蒙古(モンゴル)人を言います。

『音楽の手帖 ワーグナー』(青土社、1981年)で野口武彦氏は『ワグナーと三島由紀夫 トリスタン和音か『唐獅子牡丹』か』という文章を載せ、次のように書いています。
「昭和四十五年十一月二十五日(中略)三島はもちろん、自分が死体となって帰ることは覚悟していたにきまっている。ながく夢見ていた「英雄的な死」の決行。もしかしたら三島は、四人の青年にかこまれながらも、『神々の黄昏』第三幕への間奏曲、あの「ジークフリートの葬送行進曲」を思い浮かべることはなかっただろうか。(中略)ただ記録に残されているのは、三島が車中で歌ったのは『唐獅子牡丹』であったという一事である」
これを読むと、私は小泉文夫氏の言葉を思い浮かべます。小泉氏は世界を旅した民族音楽学者で、1983年に56歳で早世しましたが、いつも日本音楽の行く末を気にかけていました。『音楽の根源にあるもの』(平凡社、1994年)に収められた谷川俊太郎との対談でこう言っています。
「東海林太郎なんかじゃもうがまんできない。それで美空ひばりのようなのがドーンと出てくると、ハレンチだと大ぜいの人が眉をひそめたけれども、大部分のほんとの愛好家はみんな飛びついた。そして森進一です。途中いっぱいあるけれども、森進一の発声法は明らかにあれは新内の発声であって、西洋音楽の影響はかけらもなくなっちゃった。つまり、ほんとに開き直っちゃった。それから、ぴんからトリオなんていう、あられもないというか、ハレンチなのが出てきて、全部の教養や何かをみんな踏みにじって、日本の一番恥ずかしい部分を一ぺんにあらわしてきた。だけど、それに対するあこがれ、要求は非常に根強いんですね」
私にも、思い当たる節はありますが、具体的に書くのは差し控えます。
『天人五衰』で本多繁邦は養子の透に洋食の作法を教えながら、次のように言います。
「純然たる日本人というのは、下層階級か危険人物かどちらかなのだ。これからの日本では、そのどちらも少なくなるだろう。日本という純粋な毒は薄まって、世界中のどこの国の人の口にも合う嗜好品になったのだ」
この問題は過去のものではなく、今も横たわっていると私は思います。
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2017年12月1日 考えるところがあり、一部を修正しました。

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