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三島由紀夫は時間をよく守る人でしたが、『天人五衰』では「時間」について次のように書いています。

・・利子や各種の利得は、時を刻むにつれて少しずつ増大していたのである。
人々はそうやって財産が少しずつふえてゆくと思っている。物価の上昇率を追い越すことができれば、事実それはふえているのにちがいない。しかしもともと生命と反対の原理に立つもののそのような増加は、生命の側に立つものへの少しずつの浸蝕によってしかありえない。・・そのとき人は、利子を生んでゆく時間と、自分の生きてゆく時間との、性質のちがいに気づく。

コリン・ウィルソンはSF小説『賢者の石』で「時間」を次のように説明しています。(中村保男訳)

何よりもまず、時間とは何か。それは意識の働きであり、それ以外の何ものでもない。外界で起こっていることは「過程」すなわち新陳代謝であり、そこには時間はない。時間旅行をテーマとした従来の物語がひどく理屈に合わない莫迦莫迦しいもので、その種の時間旅行があれほどたくさんのパラドックスを生じさせるのは、このためである。(中略)外に横たわる「時間」などというものはないのだ。「時間」は、過程という観念を勝手に抽象したものにすぎない。「時間旅行」と言えば尤もらしく聞こえるが、厳密に「過程内の旅行」あるいは「新陳代謝を通りぬける旅行」と言ったとすれば、それが莫迦げたたわごとであることが一目瞭然となる。

アインシュタインが相対性理論を発表して、時間旅行は半分、あるいは四分の一は可能だと考えられるようになりました。それは未来への片道旅行に限られます。これならパラドックスは発生しません。
現代人はまるで時間の奴隷で、時間とお金以外には何も存在しないかのように生活しています。「時間を無駄にするな」などと言う人は、恐ろしい勘違いをしているのではないでしょうか。
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三島由紀夫の『豊饒の海』では輪廻転生が描かれますが、稲垣足穂は異なる転生観を持っていたようです。『文芸』1968年10月号の「名著発掘」で足穂はフェヒナー著『死後の生活』(草間平作訳)を次のように評しています。

原著者フェヒナーとは、実験心理学の始祖であり、且つ「フェヒナーの法則」で知られているグスタフ=テオドル・フェヒナーのことである。そこには人間は三回誕生するものだと述べられている。
一、お母さんの胎内(全き眠りの境涯)
二、睡眠と覚醒が互いに循環する世界(現世)
三、永久の覚醒生活(死後)
ボクは読んで行きながら一種無気味な気持におそわれた。奇想よりも先に、なにかしら真相を衝いていると思ったからであろう。

スウェーデンボルグの転生観は足穂、フェヒナーに似ています。高橋和夫氏は『スウェーデンボルグの思想』で次のように述べています。

受胎によって両親の霊魂の枝分かれとして新たに創られる人間の霊魂は、いったん創られると不滅であり、死後も人間は完全な霊的身体を持って、霊界で永遠に生きる。したがって、霊となった人間がこの世へ帰還して何かに生まれ変わるということはありえない。
しかしスウェーデンボルグは、一般に輪廻と呼ばれる現象のような霊的現象が、時おり起こることがあると言う。
それは、霊界で一〇〇年も一〇〇〇年も生きている霊が、何らかの理由で自分の記憶を地上の人間の記憶へ入り込ませることによって起こるという。地上の人間と霊とは、双方が無意識のまま「照応」によって交流するのが普通であるが、突発的な事態、つまり一種の憑依が起こるとき、取り憑いた霊の過去の記憶が、取り憑かれた人間自身の前世の記憶のように、当の人間には思われるのである(『天界と地獄』256)。

前世はともかく、来世は「あるべき」のような気がしますが、残念ながら私は霊界のことは分からないので「気がします」としか言えません。「ない」と断定するのも科学的とは言えないでしょうが、こういう問題は慎重を要します。永久に解決はしないかもしれません。
スウェーデンボルグは自らの死を1772年3月29日と予告し、その日に亡くなりました。稲垣足穂は志代夫人が亡くなった2年と1日後、野尻抱影が亡くなる5日前に死去しました。三島由紀夫の自決は今更言うまでもありませんが、不思議なことはいろいろあります。あるいは、ユングの言う「共時性」でしょうか。
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2018年3月27日、改題し追記しました。

三島由紀夫が批判した手塚治虫の『火の鳥』ですが、『復活編』では瀕死の重傷を負い、人体の60パーセントを機械部品化されて生き残る青年とロボットとの恋愛が扱われています。
この漫画は高校生の頃に読みましたが、不快感というより違和感がありました。大学では科学史家の村上陽一郎先生が駒場におられて、講義を受けていました。ある週の講義で次のように言われました。
「私は数年に一度、試験に出す問題があるんですよ。今年がその年に当たっているかどうかは知りませんけど・・あなたの恋人がロボットだと分かった場合、あなたはどうしますか?」
結局、そのような問題は出ませんでした。村上先生がその週の講義で言われたのは、科学哲学者の中村秀吉氏が『パラドックス・論理分析への招待』という著書の第四章のタイトルにつけられた「他人の心の問題」です。

人間も物質からできている。ただその構成がまだよくわかっていないというにすぎない。そうしたらそれが精神をもつということはどうしていえるのか。それはやはり複雑な機械にしかすぎないのではないか。人間が意識をもつにしても、それを知っているのは自分についてだけである。他人は自分に似た外形をもち、自分に似た音声を発し、挙動をするにすぎない。そのようなものに意義があることは、原理的に知ることができない。それゆえ他人の心は否定される。しかし常識はもちろん他人の心を認める。これが他我のパラドックスである。

中村氏は章の最後で、このパラドックスの解決は「問題は相手を人間として理解するにはどうしたらよいか、ということである」と述べ「たんにその人を観察するのではなく、交流・付き合いが必要である。共同生活を行って同類、仲間とみるからこそ、自分と同様な心的状態をもつと考え、同じカテゴリーを当てはめるのである」とします。
うがった見方をすると「人間」でなく、動物やロボットであっても「同類、仲間」であれば「心をもつ」ということかもしれません。
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この本は「ミレニアム」の騒ぎを前にした1998年に出版された本で、著者のスティーヴン・コークはスウェーデンボルグの研究家です。日本では高橋和夫と大賀睦夫の共訳で2002年に出版されました。
この本の第4章は「ノストラダムスの予言」という題です。日本でも1970年代から五島勉の本などがよく売れて、1995年1月には阪神大震災、3月にはオウム真理教の地下鉄サリン事件が起きて社会不安が高まりました。
ノストラダムスは占星術師でしたが、コークが説明するように20世紀にはユングの心理学により、占星術は「共時性」(意味のある偶然の一致)の一例として再解釈されるようになりました。
三島由紀夫の『美しい星』でも、大杉重一郎が一雄に「お前は偶然というものを信じるかね」と話しかける場面があります。

人間どもは、電車の中、町中で、何ら関心を持ち合わない無数の他人とも、時々刻々、偶然に会っているのだ。・・仏教徒だけがこの必然を洞察していて、『一樹の蔭』とか『袖触れ合うも他生の縁』とかの美しい隠喩でそれを表現した。そこには人間の存在にかすかに余影をとどめている『星の特質』がうかがわれ、天体の精妙な運行の、遠い反映が認められるのだ。・・この地球の無秩序も、全然宇宙の諧和と異質なものではないのだから、われわれは絶望的になることは一つもない。

コークによると「他方、ノストラダムスが使用したような伝統的占星術は、それよりずっと出来事志向であり、したがって、現代の占星術よりも物質界の現実に関心を抱く傾向がある。伝統的占星術は宿命論を助長した。なぜならそれは、星辰に書かれていると思われる出来事が成就することを予言したからである」ということです。
聖書の『黙示録』などのビジョンは物理的な出来事ではなく、霊界の出来事と見なされるべきかもしれません。スウェーデンボルグによると「最後の審判」は1757年に霊界で行われ、すでに終了したとのことです。
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イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクはアイザック・ニュートンが大嫌いでした。コリン・ウィルソンは『アウトサイダー』で次のように書いています。

『ヨーロッパ』には、ニュートンの異端説の結果として最後の審判がおこなわれることが書かれている(ニュートンの『予言論』を読む手数をいとわない人なら、ブレイクがこの科学者をなぜこれほど毛嫌いしたか理解しえよう)。・・この『ヨーロッパ』を最初とする一連の詩は、偏狭で実際的な態度、「単一の視覚とニュートンの眠り」を対象としている。・・東洋人の考えかたは、本質においてブレイクの考えかたと変らず、原爆や電子頭脳の機械文明には向いていないのだ。だからこそ、ブレイクはニュートンを嫌い、産業革命を敵視したのである。(中村保男訳)

『アウトサイダーを超えて』では以下の文章もあります。

突破口が開かれたのは、それから(トマス・アクイナス。引用者注)約300年後、アリストテレス以来ぴったり2000年後であった。それは主に六人の人によってなされた。コペルニクス、T・ブラーエ、ケプラー、ガリレオ、ホイヘンス、ニュートンである。なかでもニュートンは傑出しており、おそらくは人間思想の歴史において最も偉大な人物であろう。彼の偉大さはあまりにもめざましく、そのために彼は非人間的と見えるほどである。(同前)

一方、ブレイクが反発しつつ尊敬した科学者で神秘家のエマヌエル・スウェーデンボルグの『霊界Ⅱ』によると、ニュートンの霊は最上の天国にいるそうです。

ニュートンとは、霊界で何度も会った。そして、彼が実に真面目で、もののわかった人間(霊)であるということに感心した。彼は「天の理」の意味をよく理解していて、霊界でもほかの霊たちに愛されていた。(今村光一訳)

ニュートンも晩年には神学に熱中したようですが、読みたいかどうかと言われると微妙なところです。
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