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https://youtu.be/Ixrje2rXLMA
久しぶりの洋楽です。私は洋楽はほとんど聴きませんが、中学の頃にオリビア・ニュートン・ジョンがこの曲を歌っているのに興味を持ちました。この歌の作者がカントリー歌手のドリー・パートンで、それから彼女の歌も聴くようになりました。
ドリーが作った有名な曲としては "I Will Always Love You" もあります。これはホイットニー・ヒューストンの歌でよく知られています。
黒田有彩さんはホイットニーの大ファンで、ある時のメルマガでホイットニーが歌うアメリカ国歌が素晴らしいと書いていました。これは私には全く理解出来ない感覚です。日本人が「宗主国」の国歌に感動する理由が何処にあるのでしょうね?そうかと言って、「君が代」もそれほど好きでもないのですが・・
黒田さんは中学の時に、兵庫県に応募した作文が優秀賞になって、副賞がアメリカ旅行だったそうです。その時にNASAに行って宇宙飛行士になりたいと思ったとか。そう言えば太田裕美さんも、息子に宇宙飛行士になってほしくてNASAに連れて行ったという話をされています。
三島由紀夫の『美しい星』や『豊饒の海』(月の海から名付けられた)もそうですが、私の子供の頃は宇宙の特撮やアニメが溢れていて、多くの子供が影響されたのではないでしょうか。私の場合、天文学者になりたいと思っても宇宙飛行士になりたいとは思いませんでした。運動神経が悪かったこともありますが、何処となく胡散臭さを感じていたような気がします。
宇宙ステーションで働く人たちも職場が少し地上から遠いだけで、地上の建設現場やトラック輸送で働いている人と違うことをしているわけではありません。宇宙で働くから何となく偉いような気がするという思考では、まだまだ修行が足りないのでしょう。
宇宙ステーションと言っても僅か400キロメートル程度の高さで、「宇宙」と呼ぶのは違和感があります。アポロ宇宙船が本当に月まで行ったのなら、間違いなく「宇宙」でしょうが、ヴァン・アレン帯を越えて行こうとするのは地球生物の分を越えた驕りのように思えます。
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https://youtu.be/BSnnnXDoveI
革命歌『インターナショナル』中国語版です。中国共産党、中華人民共和国でよく歌われる歌です。左翼嫌い・共産党嫌いでも、この曲の壮大な美しさは認める人が多いのではないでしょうか。私にとって、この歌は懐かしい歌です。私は大学で第二外国語として中国語を選択しました。ほとんど忘れましたが、この歌は(発音はデタラメなジャパニーズ・チャイニーズですが)完璧に覚えています。
それにしてもなぜ中国語を選択したのか、今となっては不思議です。普通はドイツ語かフランス語だと思いますが、大アジア主義の意識があったのかもしれません。当時の東京大学ではドイツ語・フランス語・中国語・ロシア語と四つの選択肢があり、私も現役の年はドイツ語を選びましたが、一浪の年は中国語を選んでしまいました。もっとも外国語を学びたい人は三語(第三外国語)をいくつでも選べますが、私にそんな気力はありませんでした。
大学生の「五月病」はよく言われますが、私の場合、十一月の駒場祭までは結構楽しくやっていました。それから徐々に無気力になり、本郷の進学先を決める段階では行きたいところがありませんでした。結局は文学部の国文科に進学したのですが、症状が悪化してゆく自覚があったので、本郷で留年した頃からカウンセリングを受けるようになり、8年かかって卒業するまで続きました。
もともと私は理科系志望で、高校時代に無理強いされて文科系に行かされたという意識がありました。駒場でも数学や科学史を選択していました。いま思い出すと理科系もブルーバックス的な興味で、学問に情熱があったとも思えません。それでも普通の人は適当にうまくやってゆくのでしょうが、どうも私の場合、それが出来なかったようです。
国文科に進学したのも、特に国文学に興味があったわけではありません。当時は三島由紀夫も読んでいませんでした。子供の頃に野尻抱影や草下英明の星座の本をよく読んでいて、草下と親しかった稲垣足穂を知り、足穂から三島由紀夫を知ったという順序です。
一方で日本の古代史や日米戦争の本もよく読み、子供の頃から歴代天皇の名前を覚え、アメリカ軍の日本支配に腹を立てていました。三つ子の魂百までもと言う通り、今とあまり変わらないようです。
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https://youtu.be/5R28KlYNwcI
なぜ季節外れのこんな歌を? という気もしますが、何故かこの曲が浮かびました。『冬の星座』は文部省唱歌として有名ですが、原曲は19世紀にアメリカのウィリアム・ヘイスが書いた『モリー・ダーリン』です。原詞は普通のラブソングで、星や月は出てきますが、特に冬とは限定されません。堀内敬三の日本語詞で広く歌われるようになりました。
前回の投稿後、私がなぜ三島事件を覚えていないのか考えてみました。おそらく、深い理由はないと思われます。その頃の私はテレビを見るのが好きで、現実と虚構の区別が不完全だったと考えられるからです。ニュースで報じられていることより、次回のウルトラマンだかウルトラセブンではどんな怪獣が出てくるのか? に深い興味を持っていたのでしょう。
私が覚えている最初の大きな社会的事件は、1972年5月30日にイスラエルで起きたテルアビブ・ロッド空港乱射事件です。日本赤軍の三人の若者が百人近くの人間を死傷させ、二人が死んで岡本公三だけが逮捕されました。彼は裁判でマルクシズムの歴史観に基づいて自分たちの正当性を主張した後、最後に奇妙な発言をしました。
「私は子供の頃、人は死ぬと星になると聞かされた。信じているわけではないが、わかるような気もする。私たち三人の赤軍派兵士は、死んでオリオンの三つ星になることを願った。又、私たちが殺した人々の誰かれも、同じ天で星になっていると思うと心が静まる。革命戦争はこれからも続き、ますます星は増えるであろう」(『文藝春秋』1972年9月号「岡本公三軍事裁判日記」石田友雄より)
石田氏はヘブライ語が堪能な聖書考古学研究家で、岡本の裁判で通訳を務めました。岡本のこの発言を単なる狂気として切り捨てるのは簡単ですが、そうでない行き方もありそうです。
ちなみに私はオリオンも好きですが、冬の星座では「馭者(ぎょしゃ)座」と一等星カペラのオレンジ色の光が好きです。谷村新司の『昴(すばる)』という曲は、歌と星のイメージが合わないので好きではありません。まさかとは思いますが、谷村氏は昴=プレアデス星団を見ていないのではないでしょうか?
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https://youtu.be/dq1z1rkjw-E
1970年11月25日、三島事件が起きた時、私は小学校二年生でしたが、残念ながら当時の記憶はありません。それから10年後の12月9日、アメリカのニューヨークでジョン・レノン暗殺事件が起きました。レノンは政治家ではないので「暗殺」は少し違和感がありますが、やはり「暗殺」という言葉が一番ふさわしいように思います。
私は地元の進学校の高校三年生という、とても微妙な時期にありました。前の月に周囲の圧力に屈する形で、志望を理系から文系に変えるという選択をしてしまいました。翌年の3月に東大文Ⅲを落ちて、一浪することになりますが、今では文系・理系の問題は重要ではなかったと思っています。もっと前に大きな分岐点がありました。
それはともかく、ジョン・レノン暗殺のニュースを知って、私は自分が非常に喜んだことを覚えています。レノンを殺した犯人を賞賛する表彰状(?)を書いたほどです。おそらくその頃の私は国家主義や民族主義に惹かれ、人間らしい感情がなくなっていたのではないかと思われます。一浪した後で文Ⅲに合格して上京し、秋の駒場祭が終った頃から鬱状態になっていったのですが、その種(たね)はとっくに蒔かれていたのでしょう。
今思い出すと、当時の報道はひどいものでした。犯人は熱狂的なレノンのファンで、頭のおかしい男で、レノンに頼んだサインが気に入らなかったから殺したと報じられました。
アメリカという国は、本当にどうなっているのでしょうか。古くはマリリン・モンローの不審死、頭を飛び散らせたケネディ大統領、キング牧師、ロバート・ケネディと、枚挙に暇がありません。レノンが殺される直前には、大統領選挙で現職のカーターが敗れ、レーガンが当選していました。次期大統領にとってレノンが目障りだったことは間違いありません。レーガンが当選したとき、高校の教室では「この世の終わりだ・・」と言った同級生もいました。少し大袈裟かもしれませんが、間違ってはいないと思いました。家に帰って母親に話すと、母は笑いながら「東大に入ればいいよ」と言ったのです。私の母はその程度の人間でした。
レノンを殺した犯人マーク・チャップマンは、現在も服役中だそうです。この事件が過去のものでないことを、あらためて感じます。
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