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『銀河鉄道999』の「サルガッソーの底なし沼」の冒頭に、次のような文章があります。

宇宙に生まれ出た生命体が上等も下等もひっくるめて等しくきらうものがある。牢獄という名の脱出不可能な囲いの中に入れられることだ。

最後の文章は次のようなものです。

意志さえあれば脱出できる地球という惑星に生まれた自分を、鉄郎はしあわせだと思う。牢獄のような世界を鉄郎はあちこちで見て来た。これからゆく所がそうでないことを今は願うだけだ。

私はこの話を読むと、若い頃に愛読したゲーテの『若きウェルテルの悩み』の次の文章と比べてみたくなるのです。(井上正蔵訳)

むかし、よくここに立って水の流れに見入ったものだが、そのとき水のゆくえを追いながら、ぼくはなんという不思議な予感をおぼえたことだろう。そして、この川の流れゆく先の国々を、どんなに冒険的(ロマンチック)に思い描いたことだろう。すぐにぼくの想像力は限界点に達してしまうのだったが(中略)ところが、きみ、あのすばらしい祖先たちは、あんなに制約を受けながら、あんなに幸福だったじゃないか! その感情、その詩歌のみずみずしさ! オデュッセウスが限りない海や果てしない大地について語るとき、その言葉はあくまでも真実で、人間的で、切実で、緊密で、神秘に満ちているのだ。いまさら、ぼくが小学生のまねをして、地球はまるい、などと言ってみたところで、それがなんの役に立つだろう。

私はコペルニクスやガリレオの業績を否定するものではありません。子供の頃は彼らの物語を感動の涙を流しながら読んだものです。しかし人間は本当に「意志さえあれば地球を脱出できる」のでしょうか。そもそも、なぜ地球を脱出したいと思うのでしょうか。
アインシュタインは一般相対性理論から導かれる「ブラックホール」の存在を予言しました。万有引力とは時空の曲がりです。地球ぐらいの引力では大したことはありませんが、想像を絶して重いか、または密度が高い星、たとえば地球ぐらいの重さで直径が1センチしかない星の周囲では時空が曲がりきって閉じてしまい、光も含めてどんな物質も外に脱出できなくなります。地球の33万倍も重い太陽ぐらいの重さだと、3キロメートル以内に縮めばブラックホールになります。全宇宙の重さを考えると300億光年でブラックホールになります。不思議なことに、これは人類が推定した宇宙のスケールとほぼ同じです。つまり、宇宙は巨大なブラックホールと考えることも出来るわけです。
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私が住んでいる愛知県は製造業が盛んなところで、工場が多いです。しかし私の両親は英語と社会科の教師で、ものづくりをバカにする傾向が強い人達でした。建設業に携わる人達のことも「土方(どかた)」と呼んでバカにしていました。工場で働く人達より、自分達は高等な人種であると本気で思っているように見えました。私も反発しながら影響を受けてしまっていました。
文学者の中では稲垣足穂は工作や機械が好きな人物でしたが、漫画家では松本零士がそれに当たります。『銀河鉄道999』の「鋼鉄天使」ではマスプロンという工場惑星が登場します。ここは銀河鉄道の車両を含め、全宇宙のありとあらゆる製品を作り続けているところです。停車駅の名は「旋盤駅」で、泊まるホテルは「フライス盤ホテル」です。物を生産すること以外に何の関心もなく、確かに問題はあるのですが、それでも星野鉄郎はメーテルにこう言います。

ぼくは何もせずに文句や不平ばかり言ってる人より、一生懸命働いて物を造っている人が好きだよ。オイルのにおいも好きだよ。

神ならざる人間には無から何かを創造することは出来ませんが、材料を集めて組み立てて誰かのために何かを作ることは、本来とても楽しいことではなかったのでしょうか。それが大規模に進歩し過ぎると、カール・マルクスが言ったように「疎外」が生まれるのでしょう。マックス・ピカートが書いたように、現代の都会の大工場は怪物のようなもので、「工場」とは別の名前で呼ばれるべきものです。中には戦争や人殺しの武器を造っているものさえあります。

人間が造った「もの」は果てしなく宇宙に広がってゆく。きらめく星の光の中で持ち主をはげまし助け、ともに喜び悲しみ、そしていつか壊れて消えてゆく。鉄郎は働いてものを造る人たちがとても好きだ。

『銀河鉄道999』では「ネジ」がとても重要な役割を果たします。鉄郎は機械の体をもらいにアンドロメダに行きますが、最後にどうしてもカタログから選ぶことが出来ず、ネジの体にされそうになります。ネジは車輪とともに人類の偉大な発明であることを改めて感じます。
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松本零士の漫画『無の黒船・クライシスⅢ』は1988~89年に夕刊フジに連載されました。謎のテロ組織によって日本列島の沿岸がクラゲに覆われ、原子力や火力を含むすべての発電所が停止に追い込まれるという設定で、2011年の福島原発事故を思わせるところがあります。
今まで当ブログでは手塚治虫以外の漫画は取り上げてきませんでしたが、1970年代に『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『宇宙海賊キャプテンハーロック』を大ヒットさせた松本零士の漫画も、私の精神形成に少なからぬ影響を与えています。戦後の日本が、悪く言えば奴隷や豚のような平和を貪っている現状に憤りを覚えた彼の思想は、三島由紀夫に共通するところがあるでしょう。
『無の黒船』は科学雑誌『ニュートン』の編集などで知られる地球物理学者、竹内均の監修を受けています。作品の中で竹内氏は「第3次元科学産業情報研究所」なる架空の研究所長として登場し、組織に誘拐された部下の女性科学者を「人間戦利品」と表現し、「フォン・ブラウン博士の例もある」と発言します。

第二次大戦の時は・・工業設備の全てを失い、そこで造り出した飛行機も、自動車も戦艦も空母もロケットも、全部を失ったみじめな日本人・・彼らに日本人の頭の中は見えなかった。能力も気力も見えなかった。気付いた時は超々経済大国。そして今度はアジアのカルタゴとしての運命を強制されようとしている・・

この作品では最後に原子力発電所を「やむを得ず」再開し、当面の危機は去り、根本的な解決は将来に委ねていますが、これには大いに疑問があります。原子力発電をやめる以外にどんな根本的解決があるのか、私には分かりません。三島由紀夫は「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目のない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」と言いましたが、日本は既に経済大国ですらありません。
ケネディが宣言して実現させた(ことになっている)アポロの月への有人飛行に捏造疑惑が出てくると、松本氏の漫画も違う見方になります。『銀河鉄道の夜』の宮沢賢治も地球物理学に深い関心を抱いていましたが、幻想文学としての価値は今後も変わらないでしょう。
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