コノハナノサクヤヒメの神話には続きがあります。続きというより、似た話というべきでしょう。
垂仁天皇25年、ヤマトの大神が大水口宿禰に乗り移って次のように言った。

先皇の崇神天皇は神祇をお祭りなさったが、詳しくその根源を探らないで、枝葉に走っておられた。それで先皇は命が短かった。今汝は先皇が及ばなかったところを悔い、よくお祭りすれば、汝の命も永く天下も太平であろう。

垂仁天皇はヌナキワカヒメに命じてヤマトの大神を祭らせましたが、ヒメは体が弱ってお祭りすることができなかったそうです。
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コノハナノサクヤビメとニニギの神話は面白いです。ニニギが日向国に天下り、これを迎えた大山津見神は二人の娘を差し出しました。
ニニギは二人のうち、美しい妹のコノハナノサクヤビメだけを受け入れ、醜い姉のイワナガヒメを返してしまいました。大山津見神は怒ります。
この事件のために天皇たちの寿命は岩のように永久ではなくなり、木の花のように儚いものになったと伝えられています。

是以至于今、天皇命等之御命不長也。

「天皇命」を「すめらみこと」と読むのが一般的ですが、「命」を天皇以外の皇族(ニニギを含む)と解釈すれば「すめらみことみこと」と読んでもよいように思われます。
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伊勢神宮の内宮では天照大神を祭ります。天照大神は皇祖神で太陽神でもありますが、明治天皇まで歴代の天皇は参拝しなかったと言われています。
実は、参拝したかもしれない天皇が一人だけいました。女帝の持統天皇です。『日本書紀』によると6年(西暦692年)に持統天皇は伊勢国の神郡に行幸しています。
この行幸に従った大臣・石上麻呂(『竹取物語』の「石上まろたり」のモデルと言われています)が『万葉集』の44番に和歌を残しており、大和国を「日本」と表記しています。
持統天皇は伊勢神宮の「式年遷宮」を始めたともされています。それまでは天皇の代ごとに都は移動していましたが、藤原京という恒久的な都を造営しました。結果的に藤原京は僅か16年で平城京に移り、式年遷宮の20年より短命に終わったのは歴史の皮肉です。
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