「君はシラーになろうとしてはいけないよ。ゲーテになるべきだ」
と『詩を書く少年』で三島由紀夫は学生監に言わせましたが、『豊饒の海』をゲーテの『ファウスト』と比べてみると、なかなか面白いものがあります。
『ファウスト』第一部では、学問の無力に絶望した老ファウストが悪魔メフィストーフェレスと契約し、青年に若返ります。そして官能的享楽をきわめようとしますが、それは少女グレートヘン(マルガレーテ)との悲劇をもたらしたのみでした。
第二部の前半でファウストは美を追求します。具体的には南国ギリシアの古典的な美女ヘレナを追うわけですが、これもファウストに真の満足をもたらすことはありませんでした。
そして後半で人々のための創造的活動、具体的には新しい国土の開拓に献身することで、初めて救済にあずかることになります。
『春の雪』の最後で出家した聡子は清顕と会うことを拒み、清顕が病死しますが、『ファウスト』第一部の最後では子殺しで捕まったグレートヘンが死刑を受け入れ、ファウストに救われることを拒絶します。
『ファウスト』第二部前半のヘレナは『暁の寺』第二部の月光姫に当たりそうです。ここでは本多繁邦がファウストのようです。国土開拓に励むファウストは、強いて言えば『奔馬』の飯沼勲か、裁判官・弁護士として働く本多かもしれません。
『天人五衰』では本多繁邦も養子の透もメフィストーフェレスのようで、ファウストが見当たりません。これは三島由紀夫が見た日本の戦後を反映していると考えられます。
『ファウスト』第二部の最後では贖罪の女の一人としてグレートヘンの魂が現れ、「永遠に女性的なるものが我らを引きて昇らしむ」という感動的なフィナーレになります。『天人五衰』の最後は全く違う印象を与えますが、これは本多繁邦がメフィストーフェレスだからでしょう。『ファウスト』ではメフィストーフェレスは決して救われない存在です。もし御附弟が清顕の転生であるなら、いっそう『ファウスト』に似てきます。
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同日追加
晩年のファウストに似ているのは、むしろ勲に殺される蔵原武介か、松枝清顕の祖父辺りでしょうね。

昨日、絹江が身ごもった子供は本多繁邦の転生ではないかという推測を書きましたが、これに関連して考えたいのが本多透のことです。
21歳の誕生日(1975年3月20日)の頃には、透は失明したとはいえ、死ぬ気配は全くありません。繁邦も透を「末永く扶けることのできる」保佐人を指定しました。
ところが繁邦が月修寺に旅立つ7月21日には、透は汗と垢にまみれて悪臭を発し、室内に散らばる立葵の花も萎えています。まるで「天人五衰」のようです。もっとも透の精神状態は繁邦に分からないので「本座」を楽しんでいるかどうかは分かりませんが。
もし、これが天人五衰であって透の死期が近いならば、透は本物(清顕・勲・月光姫の転生)なのでしょうか。しかし、昴(すばる)のような三つの黒子という奇妙な比喩から、私はやはりニセモノと考えます。
少なくとも透の来世については考える必要がありそうです。絹江の子供は繁邦、透どちらの転生なのか、あるいは双生児か。「この少年の内面は能うかぎり本多に似ていた」「あの少年の内面は本多の内面と瓜二つ」ということから、双生児でなくても二人の転生になるのでしょうか。
けれど、来世についても考える必要は無いように思われます。夏の盛りに汗と垢にまみれていたといっても特に不思議なことではなく、本当の「天人五衰」と受け取らなくてもよいでしょう。「天人五衰」の陰画(ネガティブ)又は戯画(カリカチュア)と考えられます。絹江が「きっと、私、永いことないと思うんだわ」と口癖のように言い、妊娠の兆候を病気の重い症状と勘違いするのと同じです。
繁邦は今生で涅槃を垣間見ることは出来ても解脱することは出来ず、物語が終わった後の来世でそれを果たすのではないでしょうか。聡子はもうこの世にいないでしょうが、今度は清顕の転生が門跡となって繁邦の転生を導くのかもしれません。
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『春の雪』の最後には三島由紀夫の後註が書き加えられています。後半は『豊饒の海』という題名についてですが、前半は
「『豊饒の海』は『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語であり、」
となっています。『浜松中納言物語』とは何でしょうか。
『浜松中納言物語』は平安時代の王朝文学の一つですが、それほど有名なわけではなく、名作と評価されているわけでもないようです。名前がよく似た『堤中納言物語』のほうがよく知られていると思われます。こちらは多くの物語を集めた短編集で、特に『虫めづる姫君』などが有名ですね。
『浜松中納言物語』の作者は『更級日記』を書いた「菅原孝標の娘」かと推定されていて、現存するのは五巻です。ただし、この前に失われた一巻があったと考えられ、その内容は他の文献からほぼ復元できるものの、細かいところは分かりません。
この物語は「中納言」という、光源氏を思わせる主人公を中心とした、まとまった物語で、「浜松」は主人公が詠む和歌から取られた言葉です。三島が書いたように「夢」と「転生」が物語の中で大きな役割を果たしており、日本だけでなく唐(中国)も舞台になっています。しかし作者の中国に関する知識は深くなかったらしく、日本と同じような国として描かれています。
特に興味深いのは最後の部分で、日本古典文学大系の松尾聰の解説によると
「恋する異国の女性(唐后)のトウ利天(トウはりっしんべんに刀=ふぁーとぅーあんたれす註)に転生したものが、更に再転して日本に生まれかわろうとするその未生の女性(吉野姫腹の皇女)に、物語が終ったあとの十何年か先の日に、主人公中納言は、はじめてその愛をつかみ得ることが期待できるのである」
最後に中納言は唐后が亡くなった知らせを聞いて、自分が見た夢の意味を知ります。ここから想像すると『天人五衰』の絹江の妊娠は、本多繁邦の転生を暗示しているのかもしれません。物語が終わっても内容は完結しないというところが『浜松中納言物語』に通じているように思われます。
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