『暁の寺』第一部で本多繁邦は、タイで仕事を終えた後に「五井物産」(笑)のお礼でインドに旅行しますが、中でもベナレスとアジャンタでは「人生にとって何かきわめて重要きわめて本質的なもの」を見ました。
ベナレスはヒンズー教の聖地であり、人々の生活の中に宗教が生きているところです。一方、アジャンタはインドでは衰えてしまった仏教の遺跡です。
本多はベナレスの太陽を仰いで飯沼勲を思い出し、アジャンタの滝では松枝清顕を思い出します。第二部で成長したジン・ジャンに再会したときには、アジャンタの壁画の女神を思い出しています。
アジャンタの石窟で、本多は『春の雪』でジャオ・ピーが指環について話したのと同じようなことを考えたようです。
「何もないことのほうが、却って幻を自在に描かせた」
「何もなくなったということほど、ありありと新鮮な存在の兆を肌に味わわせるものはなかった」
アジャンタの滝口では「一匹の黒い仔山羊」が草を食べていました。『春の雪』で松枝家の庭の滝口にあった黒い犬の死骸が思い出されます。
音の描写は『天人五衰』最後の庭にも似ています。アジャンタで本多は、静寂と滝の音にかわるがわる聴き惚れますが、月修寺の庭では「数珠を繰るような蝉の声」が領していて、ほかには何一つ音とてありません。
私は見ていませんが、21世紀になって『春の雪』は映画化されており、滝の前で二羽の蝶が舞うシーンがあると聞きました。そのシーンは『暁の寺』のアジャンタの滝で
「本多の目と滝をつなぐ一線に、幾羽の黄いろい蝶がまつわって上下していた」
という場面にヒントを得たのではないかと思われます。
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『春の雪』ではシャム(タイ)の二人の王子、パッタナディド(ジャオ・ピー)とクリッサダが学習院に留学し、松枝清顕と本多繁邦の親友になります。この4人が松枝家の鎌倉の別荘で夏休みを過ごす場面は印象的です。特に生まれ変わりについての議論は興味深いものがあります。
そもそもこの4人が鎌倉で過ごすことになったのは、ジャオ・ピーのエメラルドの指環が紛失してしまい、盗難を疑った王子たちを松枝侯爵がなだめようと考えたためでした。(別の思惑もありましたが)
ジャオ・ピーは砂浜での会話でこう言います。
「指環は生き物ではないから、生れ変りはすまい。でも、喪失ということは何かですよ。それが僕には、出現のそもそもの根拠のように思えるのだ」
喪失が出現の根拠とは、どういう意味でしょうか。逆はよく分かります。出現は喪失の根拠です。生き物は生まれた瞬間から死に向かって歩み始めます。誕生は死の根拠です。しかし、死は誕生の根拠だと言えるのでしょうか。これは生まれ変わりの思想そのものといってよいでしょう。
三島由紀夫はジャオ・ピーの言葉に続けて「王子は(中略)問題を外らしてしまったように思われた」と書いており、ここだけを読むと冷淡な感じを受けます。小説中の現実では王子たちの疑いは正しかったわけで、『暁の寺』第二部で本多は戦後、因縁の洞院宮の店でジャオ・ピーの指環を発見することになります。
ところが『奔馬』で飯沼勲が堀中尉を訪れる場面では、面白い記述があります。
「思想はまっ白な紙に鮮やかに落された墨痕であり、謎のような原典であって・・」
勲は『神風連史話』のことを言っているのでしょうが、ジャオ・ピーの思想にも通じているように思われます。
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『奔馬』の飯沼勲、『暁の寺』のジン・ジャン(月光姫)はどちらも『春の雪』で松枝清顕と縁があった人物の子供でした。ところが『天人五衰』の安永透は全く違って、清顕や本多繁邦と何のつながりもない両親の子供のようです。
しかも、その記述はきわめて少なく、三で次のように書かれているだけです。
「貨物船の船長をしていた父が海で死に、その後間もなく母が死んでから、貧しい伯父の家へ引き取られた」
伯父についても亡くなったのか、透が就職してから疎遠になったのか、小説には全く登場せず、本多が透を養子に迎える場面にも出てきません。また透が両親や伯父を思い出す場面もありません。
気になるのは、透の両親が相次いで亡くなったのはいつだったかということです。
これについては、透が自殺未遂と失明の直前、久松慶子に話す言葉がヒントになりそうです。
「僕の誕生日だって、実ははっきりしないんです。父の航海中に生れたので、ちゃんと面倒を見る人がいなくて(後略)」
少し奇妙な説明です。そのまま受け取ると、父が海に出ている間に生まれて、父が帰ってきてから出生届を出したように読めますが、それで「誕生日がはっきりしない」ことになるのでしょうか。
どうやら、透は生まれて間もなく孤児になったのではないかと思われます。そういう不幸をそのまま慶子に伝えるのが癪にさわるから曖昧な説明をしたのではないかと。
透に兄弟や姉妹がいたのか、引き取った貧しい伯父には子供がいたのかも分かりません。想像を逞しくすれば、透には双子の姉か妹、または従姉妹がいて、その人が後に月修寺門跡・綾倉聡子の御附弟になったのかもしれません。
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