『天人五衰』で本多繁邦は安永透を養子に迎える前に、誰にも話さなかった転生の秘密を久松慶子に話してしまいます。ここは不思議な感じがします。
本多は自分が死ぬ直前に月修寺を訪れようと決めていますが、月修寺は決して「慶子を伴ったりして面白半分に訪れるべき寺ではない」と考え、「慶子をそういうところへ帯同するなどとは以ての外」とまで思っているのです。転生の秘密を打ち明けるとは、月修寺に連れていくのに等しいことではないでしょうか。
透の黒子を見た本多が透を養子に迎えると言い出して慶子が驚き、本多が実は(自分と同じく)同性愛者なのではないかと疑ったため、やむを得ず打ち明けたという話にはなっていますが、理由としては弱い気もします。
「本多が慶子に言わなかったことが一つある」以下の文章が、本当の理由かもしれません。本多は透がニセモノではないかと疑っており、一方では本物と信じて養子に迎えながら、他方ではニセモノと信じて慶子に打ち明けるという矛盾した行動になったように思われます。
4年後、慶子は透にすべてを打ち明けてしまい、透の自殺未遂と失明を引き起こし、本多は慶子と絶交します。そして昔の考え通り、一人で月修寺を訪れることになります。
本多が慶子に月修寺の名前を伝えたかどうかは分かりません。もし伝えた場合、慶子は月修寺に興味を持ったでしょうか。それは考えにくいように思います。法相宗は仏教の中でも日本人になじみが薄い宗派で、慶子が本多のように唯識論に没頭したりするとは考えられません。慶子がお寺めぐりを始めたのは密教美術に凝ったからでした。
本多は『暁の寺』で昭和20年の夏に、綾倉家の女中だった蓼科と再会し、聡子の消息を聞きますが、密教の「孔雀明王経」もプレゼントされます。本多が密教の経典に親しんだのはこれが初めてでした。
私は三島由紀夫が大乗や唯識にのめり込み過ぎず、もう少し密教に親しんでいたらと思うことがあります。『春の雪』で聡子が剃髪にあたって唱える「般若心経」も、あれは密教のお経だという見方をする人もいます。ただ密教は誤解されやすい面もあり、三島には合わなかったかもしれません。
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『春の雪』後註によると、『豊饒の海』という題名は月の海の一つのラテン名 Mare Foecunditatis の邦訳だとされています。
「月」は月修寺や月光姫の名前にも使われ、月そのものも松枝清顕の御立待の祝いなど、多くの場面に出ています。「海」もこの小説では重要で、特に『天人五衰』冒頭で安永透が三十倍の望遠鏡から眺める海の描写は印象的です。
ところが「月の海」となると、小説の中には全く登場しません(たぶん・・)。透が望遠鏡で月を眺め、「豊饒の海」を見ていた可能性はあると思うのですが。
肉眼でも満月を見ると暗い部分が「兎の餅つき」の形に見えますが、この兎の右の耳の部分が「豊饒の海」に当たります。現在では「豊かの海」と訳されるのが普通です。因みに兎の顔の部分が「静かの海」で、1969年、まさにこの時代にアメリカのアポロ11号が着陸したところです。
「着陸」という表現で分かるように、月には空気も水もほとんど無いため、海といっても名ばかりです。もっとも21世紀の現在では、月にはかなりの量の氷が存在することが分かってきており、鉱物資源も注目されています。
とはいっても、この小説に関しては『豊饒の海』は何もないカラカラの砂漠という、名前とは逆のイメージが考えられるのは間違いないと思われます。最後に本多繁邦が眺める「何もない庭」「記憶もなければ何もないところ」に通じているのでしょう。
アラヤ識などと言われてもよく分かりませんが、そこからすべてが生まれ、そこにすべてが帰っていくもの。
これを理解するにはアリストテレスの形式論理学は邪魔になるようです。本多は恋に病む松枝清顕を前にして、論理学のノートの文字が脳裡から剥がれ落ちるのを感じます。飯沼勲も論理学にも「煤ぼけた教授」にも興味を持ちません。彼らは「豊饒の海」を見たのでしょうか。
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きょう5月2日は、『天人五衰』が昭和45年(1970年)に始まる日に当たります。もちろん作品中の日付で、終わる日は昭和50年7月22日です。
ところが『豊饒の海』の最後には

「豊饒の海」完。昭和四十五年十一月二十五日

とあり、三島由紀夫が市ヶ谷で自決した日付が書かれています。これは現実世界の日付で、ここには三島のメッセージが感じられます。特にこの日付を入れなくても、『豊饒の海』は三島の遺作であるという事実は残るはずなのに、あえて入れたのですから。
『天人五衰』の中にでこの日付を探してみると、数日のズレはありますが、本多透が家庭教師の古沢と喫茶店で会話をする場面があります。ここで古沢は自殺の話を始めて透を驚かせ、僕は自殺は嫌いだが自己正当化の自殺だけは許せると述べ、猫と鼠の話をしました。自分は猫だと信じている鼠が本物の猫に出会って食われそうになり、おまえが猫ならそれを証明してみろと言われて、洗剤だらけのタライに飛び込んで自殺したというのです。
この猫と鼠の話は、作品中での透の自殺未遂と失明につながっているように思われます。鼠が透だとすれば、猫は久松慶子ではなく、松枝清顕でしょう。透は清顕に会ってはいませんが、清顕の夢日記を読んで自殺を図りました。でも三島自身の自決とは、直接のつながりは無さそうです。
直接つながりそうなのは、やはり『奔馬』の飯沼勲です。

正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕(かくやく)と昇った。

美しい文章ですが、三島の自決が重なってしまうために、清顕や月光姫の死とは違う感慨を持たざるを得ません。
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